「せっかくだから僕も愛人を作りたいんだけど、いいかな?」と婚約者に訊かれたんだけど、せっかくだから、とは?
「でね、三位決定戦で僕は圧勝して、見事三位入賞を果たしたというわけさ!」
「へえ」
婚約者であるジェフとの、二人だけの茶会の席。
いつもながらのジェフのつまらない自慢話に、適当に相槌を打つ。
大した実力者も出場していない、内輪だけのフェンシング大会で三位になったくらいで、どうしてそこまでドヤれるのかしら?
せめて一位になってから出直してきてほしいものだわ。
まあ、口振りからして準決勝ではボロ負けしたっぽいし、到底無理な話でしょうけど。
「ああそうだ、ところでエレン、実はちょっと大事な話があるんだけどさ」
「……!」
私は思わず身構えた。
ジェフがこういうことを言い出す時は、決まってろくなことがない。
以前カジノで散財して多額の借金を抱えてしまった際は、両家を巻き込んで大騒動になったものだ。
「……何?」
「うん、実はさ、せっかくだから僕も愛人を作りたいと思ってるんだけど、いいかな?」
「…………は?」
子どもが母親に「新しいオモチャが欲しいんだけど、買ってくれる?」と訊くような無邪気な顔で言われたので、私は言葉の意味を理解するのに数秒の時間を要した。
今ジェフは、愛人を作りたいって言った?
婚約者である私に?
「……どういうことかしら」
「うん、実はさ、先日鬼籍に入った僕の祖父は、若い頃は片手じゃ数え切れないくらいの愛人を囲っていたそうなんだよ!」
「……へえ」
そりゃジェフのお爺様が若い頃は、そもそも我が国では重婚が法律で認められていたし、男性が愛人を作るのも半ば文化とされていた。
でも今から30年ほど前、愛妻家だった当時の国王陛下は重婚を全面的に廃止し、今では浮気行為は紛れもない不貞と見なされるような世の中になったというのに……。
あとこれは少し話が逸れるけれど、ジェフのいちいち「実はさ」と言ってからでないと話し始められないトーク力の低さには、ほとほとうんざりする。
「祖父からその話を聞かされるたび、僕はもう羨ましくて羨ましくて……!」
「……」
「やっぱせっかく男としてこの世に生まれたからには、僕も愛人の一人や二人作るべきなんじゃないかと、祖父の葬儀中にそう思ったというわけだよ!」
お爺様の葬儀中に、何て罰当たりなことを考えてるのかしらこの人は。
「でも、君に隠れてコッソリ愛人を作るのは不誠実だろ? だからこうやって、胸襟を開いて相談したんだよ」
「……なるほどね」
愛人を作ること自体が不誠実という認識はないのね。
「そういうことを訊くくらいだから、もしかしてジェフは既に愛人候補に目星を付けてるんじゃないの?」
「流石エレン! 察しがいいね!」
あなたに褒められても微塵も嬉しくないけどね。
「実はベックリー男爵家のブリジットと、最近イイ感じになっててさ」
ああ、あのやたら胸の大きい娘ね。
てかイイ感じになってるって、それ既に愛人にしてない?
「実は今日も、これからブリジットとデートの約束をしてるんだよ。君さえ許可してくれたら、早速ブリジットに正式に愛人になってくれるように頼むつもりさ!」
「……」
…………ふぅ。
「そう、あなたの気持ちはよーくわかったわ、ジェフ」
「おお! わかってくれたか! いやあ、君ならそう言ってくれると思ってたよ、うんうん!」
「うふふふふ」
腕を組みながらしきりに頷くジェフは、私の張り付いたような笑顔の意味に気付く素振りすらない。
「そういうことなら私はお邪魔でしょうから、今日はもうお暇させていただくわね」
「うん、気を付けて帰ってね!」
満面の笑みで手を振るジェフは、次の瞬間には愛人候補への想いを馳せるように、上の空になった。
「ただいま」
「おかえり姉さん。……またあの男と会ってたんだよね」
家に帰ると、弟のサイラスが出迎えてくれた。
女性かと見紛うほどの美しい顔に影が差す。
やれやれ、相変わらずのシスコンね。
とはいえ、私とサイラスは実の姉弟ではない。
今から7年ほど前、不慮の事故で両親を亡くしたサイラスを、サイラスのお父様と懇意にしていた私のお父様が養子として引き取ったのだ。
我が家には男の跡取りもいなかったため、お父様としても渡りに船だったのだろう。
ずっと弟が欲しかった私は、サイラスのことを実の弟のように可愛がった。
その結果、重度のシスコンに育ってしまったというわけである。
そんなサイラスも血の滲むような努力の末、今では貴族学園で首席になるくらい優秀な男に育ち、次期当主として家中の人間から慕われてる。
私の自慢の弟だ。
「うん、そうなんだけど、とても残念なことがあったの」
「……! 何だい残念なことって」
途端、いつもは優しいサイラスの目が、猛禽類みたいに鋭く光った。
うふふ。
私はつい先ほどのジェフとの一件を、包み隠さず伝えた。
「……ふぅん、そんなことが。――わかったよ、あとは任せておいて、姉さん」
そう言うなりサイラスは私に背を向け、ツカツカと自室に戻っていった。
うふふ、私の弟は、本当に優秀ね。
「姉さん、あの男が来たよ。姉さんに話があるって」
「あら、そう」
そして一夜明けた朝。
早速動きがあったらしい。
私は鼻歌交じりに玄関先に行き、ジェフを出迎える。
「ああ、エレン!? どういうことなんだよ僕との婚約を破棄するってッ!! こんなの、話が違うじゃないかッ!?」
ジェフは今にも泣きそうだ。
「はて? 何のことかしら? 私はそんなこと言った覚えはないわよ?」
「は? じゃあいったい……」
「それは僕が決めたことだよ、ジェフ」
「……! サ、サイラス様……」
歳はジェフよりサイラスのほうが下だけど、侯爵家の次期当主であるサイラスが立場は圧倒的に上。
ジェフは氷のように冷たい眼をしているサイラスを、怯えるように窺う。
「ど、どういうことでしょうか、サイラス様」
「どうもこうも、君は姉さんに堂々と愛人を作ると宣言したそうじゃないか。そんな痴れ者に、大事な姉さんを嫁がせるわけにはいかない。次期当主として、君と姉さんの婚約は破棄させてもらったよ」
「そんな!? エレンは許可してくれたんですよ!?」
「私は許可なんかしてないわよ。私は『あなたの気持ちはよくわかった』って言っただけ」
「で、でも……」
「そもそも百万歩譲って姉さんが許可していたとしても、愛人を作ろうとしている時点で男としては下の下だ。――もう時代は変わったんだよ。君みたいな男に、妻を娶る資格はない」
「――!」
途端、ジェフの顔は絶望に絶望を塗り重ねたような、真っ黒なものになった。
うふふ。
おっと、淑女として、こんなシリアスなシーンで笑ってはいけないわね。
「この件は昨日、君が愛しのブリジット嬢と逢瀬を重ねている間に、僕から直接君のご両親に説明しご納得いただいた。むしろご両親は深く頭を下げていたよ。『うちの愚息が、大層ご迷惑をお掛けしました』、とね」
「――! あ、ああ、でも……、でも……」
あらあら、これでジェフはめでたく勘当かしらね。
侯爵家との大事な婚約を台無しにしてしまったのだし。
今まで貴族令息として甘やかされてきたジェフに、平民の生活は耐えられるかしら?
まあ、今や赤の他人となったジェフがどうなろうと、私の知ったことではないけれどね。
「さあ、用が済んだら速やかに帰りたまえ。――さもなくば、こちらにも考えがあるよ」
サイラスが獲物を狩る前の猛禽類のような眼で、ジェフを睨む。
「ヒイッ!? ヒイイイイイイッ!!!」
ジェフは子どもみたいに泣きわめきながら、内股で逃げて行った。
さようならジェフ。
もう会うこともないでしょうけど。
「今日は大分冷える。僕たちも中に入ろう、姉さん」
「ええ、そうね」
そっと差し出されたサイラスの左手に、私の右手を重ねる。
「――姉さんのことは、僕が幸せにするから」
「――うふふ、ありがとう、サイラス」
サイラスの言葉の真の意味はもちろんわかっているけれど、今は敢えて曖昧な返事にとどめた私だった。