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バベル・ギウス  作者: 小名掘 天牙
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ボクのエクスカリバー

 十々丸の活躍もあり、予想よりも大分早く今日の分の酒を捌き終えた有了と十々丸は、予定を繰り上げて十々丸の下腹部に貼り付いた"タロット"について調べるために、パインズゲート市東部に広がる巨大市場、通称"東市"を訪れていた。


「ここは相変わらず凄い人だかりだねえ」


「本当にな」


 市場の入り口に立った十々丸(ととまる)の第一声に、有了も首肯する。

 視界に映るのは所狭しとひしめき合った小さな屋台や露天商と、その僅かな隙間を肩をぶつけ合いながらも忙しなく歩き回る多くの人々。時折荷馬車や台車が通り過ぎると、その場に怒号と悲鳴が響き渡る。

 この東市は江戸から流れて来た流民や犯罪者が集まり形成された一種ので、そういった成立ちからか日用雑貨や軽食といった生活必需品の類から、盗品、密輸品、密造品、禁制品などの犯罪絡みの商品、更には衛生面に大分問題があるが非常に安価な娼婦や男娼といった人身までが当然の如く売買されている。

 かつてはパインズゲート城でも東市の取り締まりを行っていたとも聞くが、余りにも巨大に膨れ上がった東市の規模に、既に匙を投げているとか。

 そういった成立ちから、胡乱な人種が流れ込みやすく、しかも身を隠すにも使いやすいときているこの東市は、ある種必然的にパインズゲートでも最も胡乱な存在として知られる呪術師や魔法使いにとっては根を張るのに最適な土地と言えた。


「わぷっ!」


「っと、大丈夫か? 十々丸」


と、道行く人にぶつかられてよろめいた十々丸を、有了が咄嗟に受け止める。


「ありがとう、有了くん。助かったよ」


「どういたしまして」


有了が肩を竦めると、十々丸が「ふぅ……」と人疲れした様子で溜息を吐いた。


()られてないか?」


「ん、こっちも大丈夫みたいだ」


有了の確認に、十々丸が内ポケットに触れて頷く。

 こういった場所なのもあり、置き引き、スリの類はキリが無い。実際、純粋に外部の人間ならば油断しているとたちまち身包みを剝がされてしまう。


「ここを拠点にしてたのも二年以上前の事だけど、すっかり歩き方を忘れちゃってるねえ……」


恐る恐るといった風に有了から身を離しながら、十々丸が周囲の喧騒を見て少しだけ懐かしそうに金目銀目を細めた。


「そうだな」


十々丸の言葉に、有了もまたかつての事を思い出して溜息を吐く。

 元々、有了と十々丸が出会ったのも、実を言えばこの東市だった。

 故あって密造酒の売買に手を染めたばかりの有了と、パインズゲートの外で生まれ、この掃き溜めの様な大都市に流れて来て男娼となった十々丸。共に、東市という巨大な汚泥は一つの大きな胎内であり傘である時期があったのは事実だ。

 その後、お互いに持ちつ持たれつの関係になり、東市の外で商売をしてもやっていける様になったのが二年前。それ以降は二人とも東市に踏み入れる事はとんと無くなっていた。

 そんな、二人―特に十々丸にとっては―のある種の帰郷ではあったが、元より小柄だった身体が更に小さくなった十々丸は、久方ぶりの人だかりに煽られて、既に大分消耗しているようだった。


「本当に大丈夫か? 十々丸」


「正直割とギリギリだね……」


 心配する有了に、十々丸が苦笑交じりに溜息を吐く。見れば、その額には薄っすらと汗が浮いていて、頬が不自然に上気していた。


「ああ、そうだ……」


「?」


と、そこで十々丸(ととまる)が何かを思いついた様にポンと手を打った。その十々丸(ととまる)の仕草に有了が首を傾げていると、その間に後ろに回った十々丸がよじよじと有了の背中によじ登っていた。


「おい」


「良いじゃないか良いじゃないか」


唐突なその十々丸の行動に、有了が突っ込む。しかし、いつの間にか背中に収まった十々丸はニヤニヤと笑いながら、ムニムニと身をくっつけて来る。


「男にくっつかれて喜ぶ趣味は無いんだけど?」


「おっぱいが付いているんだから許してくれたまえよ。ご褒美だろう?」


おどけた口調のホレホレと胸をくっつけて来る十々丸に、有了が肩を竦める。

  

(まあ、本気で参ってるみたいだからな……)


 努めておちゃらけて見せる十々丸に、有了は内心でそう呟きながらそれ以上は何も言わずに歩き出す。

 元より十々丸の体重が軽いのもあって、普段商品にしているクーラーボックス程の重みも無い。まして、微妙な息使いや声のトーンに張りが無いのを感じた有了は無理に十々丸を振りほどく事はしないのだった。





そして、そんな判断を有了はすぐに後悔することになった。





「え? 十々丸?」


 それは、若い女性の声だった。


「「ん?」」


 明らかに背中の上の荷物(十々丸)の事を知っている口振りに、十々丸を背負った有了も、背中の上の十々丸も、思わず立ち止まって声のした方を振り返る。

 そこに居たのは、濃いアイシャドウの入った両目を見開く、強い夜化粧をさした女性だった。


「十々丸……よね?」


女性は驚嘆した様子で、有了の上の十々丸を見上げている。


(知り合い?)


(多分? お客さんなら記憶にあるはずだけど、そういう感じじゃないからね……)


確かに、十々丸が言う通り、ぱっと見たところ"売る"側の人間で十々丸を"買う"様な女性には見えない。

 強めの化粧もそうだが、この辺りにしては比較的色鮮やかな、むしろ少々強すぎる程の原色ベースの服装を見るに、恐らく東市を縄張りにする娼婦か何かだろう。


「やあ、久しぶりだね」


一方の十々丸は有了の上でにっこりと営業スマイルを浮かべてひらりと手を振る。記憶からすっかり抜け落ちている相手に対し、この変わり身の早さは流石だった。


「もう、どうしたのよ。もしかして、また東市に戻ってきた……って感じじゃないわね」


一瞬、十々丸の姿に苦笑交じりながらも気安い雰囲気で近付いて来たその娼婦だったが、下の有了の存在を目にして、若干の違和感を覚えたのか自身の言葉を打ち消す様に首を横に振る。


「ま、その通り」


一方の十々丸も特に話を膨らませるつもりはないらしく、愛想笑いのまま女の言葉にあっさりと首を縦に振る。


(なあ、十々丸)


(何だい? 有了くん)


そんな二人の間に入った有了は、ふと思いついて背中の上の十々丸に声をかける。


(これって、案外丁度良かったんじゃないか?)


(ん? あー。確かにそうだね)


有了の言葉に、十々丸も同意する。そして、その意図を踏まえて「実はさ」と女性に声を掛けた。


「値段の割に良い魔法使いが居ないか探しに来たんだよね」


十々丸の言葉が意外だったのか、その女は「はあ?」と首を傾げる。


「出来ればタロットに詳しい人だと良いんだけど」


「知らないかい?」と有了の背の上で、女性を見おろしながら器用にも上目遣いになる十々丸。

 

「何? あのあんたが占い?」


十々丸の言葉に、女は今度こそ心底驚いた様子で目を丸くした。


(一体、どの十々丸なんだろうね?)


(さて、正直自分で言うのもなんだけど、心当たりがありすぎてどれとも言えないんだよねえ)


訝る有了の頭に肘を突いた十々丸が、頬杖を突いてニヤニヤと笑う。


「で、どうだろう? 心当たりは無いかい?」


「あー、そうだねえ」


十々丸の言葉に、我に返った女が思案するように少し首を傾げる。


「確か、その辻を左に行った突き当りの黒いテントに、最近腕の良いのが流れて来たって聞いたことがあるよ」


「ふむ、左奥だね。ありがとう!」


女性の返事に、十々丸は両目を細めて満面の猫の笑顔を浮かべる。それまで、立ち止まる有了と十々丸を面倒臭そうに見上げていた通行人が何人か、その笑顔に釣られる様に顔を上げた。


「じゃ、行こうぜ有了くん」


「はいはい」


ペシペシと頭を叩いて急かしてくる十々丸(ととまる)に、有了も肩を竦めて歩き出そうとする。


「ああ、ちょっと待った」


と、その出足を遮る様に、女が声をかけて来た。


「? どうかしたのかい?」


有了の背に揺られた十々丸(ととまる)が、はてと首を傾げる。


「あんた、東市を出たんだろ?」


「ああ、そうだけど?」


「じゃあさ、今度時間が出来た時にでも、あたしの相手(・・)をしておくんなよ」


対して女性の口から出たのは、いわゆる"お誘い(・・・)"だった。


「おや? お姉さんももしかして、ボクのバベルの塔に興味があるのかい?」


その言葉の意味を理解し、十々丸がニヤッと笑みを浮かべる。


「そりゃね、あんたのそれ(・・)は顔や手管と同じくらい東市じゃ有名だったし、あんたと寝たってなりゃあたしにだって箔が付くってもんさ」


そう言いながら、女性はふぁさっと自分のスカートを摘まんで見せる。


「まあ、時間があれば全然かまわないけれど、差額は払えるのかい?」


「ボクとのエッチはそれなりに値が張るぜ?」と猫目を細めて流し目を送る十々丸に、女性は「見くびるんじゃないよ」と笑った。


「あたしだって東市の娼婦さ。あんたにゃ遅れたけど、いずれはこのゴミ溜めみたいな場所からだって飛び出してやるんだ。あんたとの一晩の金くらい耳を揃えて払ってやるよ」


化粧の割に気風の良い女性の返答に、十々丸がひゅぅと口笛を吹く。


「なら、商談は成立だ。ボクは午後から時間があるし、お金を持ってきてくれたらいつでも相手をさせてもらうよ」


そう言って、にっこりと微笑んだ十々丸(ととまる)に、女性は「忘れるんじゃないよ!」と声をかけるのだった。





     ◆





 先の娼婦に教えてもらった通り左辻を進むと、明らかに周囲のガラクタの寄り合わせとは毛色が違う、いかにもな雰囲気のテントがあった。


「ここみたいだな」


背中の十々丸を降ろしながら有了が呟くと、隣に立った十々丸も「だね」と頷く。


「取り合えず、入ってみるか」


「うん」


顔を見合わせて、テントの合わせ目に手を掛け、中を覗き込む。


「あん? 客か……」


果たして有了と十々丸を出迎えたのは、やる気なさげにシケモクをくゆらすマントを纏った小男と、その小男が吐き出した大量の紫煙の塊だった。


「? どうしたんだ? そんなとこに突っ立って。冷やかしか?」


一瞬立ち尽くす有了と十々丸に、不審げに顔を歪めて即座に剣呑な空気を纏う小男。東市ではある意味スタンダードな対応な事もあり、有了は曖昧に笑いながら「ちゃんと客ですよ」と言って、十々丸の背を押して小テントの中に身体を滑り込ませる。

 小男の前に置いてあったのは、紫色のクロスが掛けられた紫色の小さなテーブルと、その上にはお決まりと言えばお決まりの、透明な真球と、目的通りのタロットの束が置いてある。


「で、今日は何をお求めで? 水晶占いなら5銭、タロット占いなら7銭、香はうちではやってねえぜ」


「おや、香木を使っての占いはやってないのかい?」


男の料金説明に、隣の十々丸が物珍しそうに三日月型の眉を上げる。十々丸の言葉に「あれ、一々香木燃やさねーといけねーだろ。たけーし、こいつのせいで雰囲気が出ねーって言われて辞めたんだよ」と言って、男は針を刺したシケモクをひらひらと振って見せる。


「じゃあ、それ以外の相談は?」


「あん?」


 有了が問うと、男が訝し気に顔を顰める。


「なんだ、あんたら誰かを呪いたいのか? それとも、解呪希望……大和ではキツネツキとか言うんだったか? はんっ。そういう話なら、こんなクソの吹き溜まりみたいなとこじゃなくて、もっとちゃんとしたところを当たる事を勧めるぜ。ここで見つかるのは詐欺師か思い込みがせいぜいの五流未満ばっかだ」


(ふーん……)


そう吐き捨ててぷかっと煙をくゆらす男を値踏みしながら、有了は少し物珍しい気持ちになる。

 確かに、男の言う通り、この東市でそんな大仰な仕掛けをこなせる呪術師や魔法使いを探すのはそもそも方針として間違っている。しかし、この東市の民度を考えれば、そんな事を態々口にするあたり、この男は東市の人間としては随分と親切な性質(タチ)とも言えた。

 同時に、男は大掛かりになる"呪い"や"解呪"に関しては否定したが、"占い"に関しては一切の否定をしていない。まあ、元々当たるも八卦当たらぬも八卦とも言うが、それでも手練の技にはある程度きちんとした自信があるのだろう。


十々丸(ととまる)はどう思う?)


(有了くんと同意見だ。見立てをしてもらうなら彼が適任だろう)


ちらりと視線を向ければ、十々丸も同意するように小さく頷く。そこまで決めた所で、有了が「じゃあ」と徐に口を開いた。


「"呪い"の患部……いえ、"呪い"かどうかを見てもらう事までならできますか?」


「んん?」


有了の言葉に、男は訝る様な視線を向けて来る。


「僕達としてはある程度きちんとしたところに行きたいのも確かにその通りなのですが、現状だと方針も立たないというのが正直な所でして。ただ、問診程度で高額な呪術師の方を尋ねる訳にもいかないでしょう?」


「随分と明け透けに言うんだな」


「ま、そういう事なら良いぜ」と言って男が有了と十々丸を向き直る。


「見立てには50銭貰おうか」


「50銭ですか」


「おう。これ以上は1銭たりとも負からねー。それと、俺がやるのはあくまで見立てまでだ」


それ以上を要求するなら今すぐ出て行け。言外にそう言いながら、小男は「で、どうするよ?」と有了と十々丸を試す様に見比べて来る。もっとも、有了と十々丸の腹はとっくに決まっている。


「「お願いします」」


口を揃えて頷いた有了と十々丸に、男は面倒臭そうに「まいど」と紫煙を吐き出したのだった。


「んで? 見せたい呪いってのはどれなんだ?」


「十々丸」


「ん……」


 早速尋ねて来る男に、有了が十々丸を促すと、頷いた十々丸が立ち上がり、自身の黒いパンツに手を掛ける。


「おい……!?」


一見美少年、いや、パツパツの胸元もあり美少女の突然の痴女行為に、男が喜色混じりに困惑の声を浮かべるが、ズリ降ろした先、白い肌に貼り付いた古い紙切れを見て、その表情がサッと変わった。


「……結構不味いものですか?」


その表情を横目に、十々丸の股間とを見比べながら有了が尋ねると、男は「いや……」と首を横に振る。


「正直に言やあ、分からねえ。分からねえが……相当な"力"を持っているのは間違いねえな」


「"力"……」


魔法使いの言葉に、有了は思案するように呟く。


「それは、例えば貼り付いた人間の身体なりに変化を齎してしまうという意味ですか?」


いいや(・・・)


有了の確認に、しかし、今度は男は首を横に振った。


「違うんですか?」


男の意外な言葉に、有了は首を傾げる。隣の十々丸も似た様な表情で、それがおかしかったのか男はクックックと喉を鳴らした。


「あんたらはからすりゃ、"結果"って意味じゃ全く同じかもしれねえが、俺達魔法使いからすりゃ"作用"と"代償"ってのは全くの別物だ」


そう言って、男は首を横に振る。


「こういった呪具に限らず、魔法や祈祷って代物に至るまで、世間の奴らが呪術やら魔法やらの名前で呼ぶもんは、何らかの"代償"を払って"作用"を得るのが基本だ。それは気休めのお守りもどきすら例外じゃねえ」


「……」


「何も払ってねえから、何の作用もえられねーんだ」と小ばかにしたように笑う男。俄かに専門的な話に入り、有了は無言で耳を傾ける。


「供物、祝詞、魔力、生贄……支払う"代償"は古今東西千差万別だが、"代償"のでかさと"作用"のでかさは概ね比例関係にある。要求してくる"代償"がでかけりゃ"作用"もでかくなるし、逆に小さな"作用"しか起こせない呪具に幾ら大量の"代償"をぶちこんでも、効果はたかが知れている」


「ふむ……」


つらつらと語られる男の言葉に、有了は僅かに眉を上げる。

 一見怪しげで、典型的な東市の呪術師の風体をした小男だったが、その弁舌に淀みは無く、むしろその造詣が確かな事を言外に物語っている気がした。


「俺が言った"力"ってのは、その貼り付いた紙の"作用"の事だ。パッと見た限りでも相当な力が滲み出てやがる。間違いなくとんでもない"作用"が期待できる呪具だ」


「なるほど」


男の言葉に有了が頷く。


「あんたらがどんな"代償"を支払わされたのかは知らねーが、少なくとも相当なブツなのは間違いねー。そこから類推するにかなりの"代償"を支払わざるを得なかった筈だ。が、そりゃ呪具に基本的に備わっている機能の話で、良いも悪いもねえってのが答えだ」


そう言って締めくくった男の言葉を、有了は無言で思案する。

 男の言葉通りであるならば、十々丸の女体化はこのタロットによる"作用"ではなく、あくまで"代償"を徴収された結果の副産物でしかないという事だ。そして、そうなると気になってくるのは"作用"の方だ。男の言葉を踏まえて、十々丸の本質(男性器)を支払った事を考えると、その"作用"は相当なものになるはずだ。


「知らん」


その部分を問うてみた有了に対する男の言葉は三文字だった。


「さっきも言った通り、呪具って奴の"作用"は千差万別なんだ。本質的な所は作った奴にしかわからねーし、場合によっちゃ作った奴ですら把握しきれねーこともある」


「時々呪具に呑まれて死ぬ奴がいるのはそのせいだ」と続けた男が、シニカルに口元を歪めた。


「一応、"代償"とは明らかに違う事象があればその限りじゃねーはずだが、心当たりはねーのか?」


「「……」」


男の言葉に、有了と十々丸が顔を見合わせる。そして、


「"これ"ですかね?」


そう言って、有了が十々丸の下腹部の札に触れると、札の中心を割る様にニョキリと一本の"塔"が現れる。昨晩見た時と同じ、木とも土とも取れない質感の、つるつるの灰色の棒。その先端を見た瞬間、男は「うっ」と呻いて口元を抑えた。


「えーと、その反応はもしかしなくても」


「ああ、間違いねえよ」


そう言いながら、男は脂汗の浮いた額を拭う。


「どんな"作用"が待ってるのかは分からねーが、間違いなくそいつはよくねーもんだ。断言するがな」


男は睨みつける様に、十々丸の白い腹の下の"塔"を見詰める。


「俺もそれなりになげーこと見立てをしているが、今まで見たことねーくらいの禍々しさだ。はっきり言って、まともじゃねー」


そして、男はペッと床に唾を吐く。


「俺から言えんのはこれだけだ。これ以上は何も出ねーし、付き合いたくもねー。払うもん払ってさっさと帰ってくれ」


そう言って、睨みつける様に有了と十々丸を見比べる男に、有了は無言で50銭を差し出す。男が硬貨を認めたのを確かめて、有了は十々丸を促し、テントを後にする。


「……最後に一つ良いですか?」


そして、そこでふと足を止めた有了が振り返ると、男が不機嫌そうに「あん?」と首を捻った。


「このタロットについて、何かしら心当たりがあったりとかしますか?」


「さあな」


吐き捨てる様な男の言葉に、有了と十々丸は今度こそテントを後にしたのだった。





    ◆





「意外としっかり目星がついたな」


 テントを出た有了が呟くと、後ろからついて来た十々丸(ととまる)が「そうだねえ」と頷く。


「まさか、ボクの身体が女の子になっちゃった代わりに、生えてきたのがこれ(・・)だったなんてねえ」


そう言って、ニヤニヤと笑いながら軽く腰を振って見せる十々丸。そのパンツの股間部分がタロットから突き出た"塔"で大きなテントを張っている。


「ホント、呪術の類は意味不明だ」


そう言ってぼやきながら、十々丸は狭い空を見上げている。


「だけど良かっただろ?」


「うん?」


「そのタロット」


有了の指摘に十々丸(ととまる)が自分の股間を見おろす。


「あの呪術師の言葉を借りるなら、それ(・・)が"作用"だとしたらまず元に戻れないけど、"代償"なのだとしたら、剥せさえすれば男に戻れる可能性が出てきたって事だからな」


「あー……」


有了の言葉に十々丸も納得した様に頷く。実際、十々丸の身体の変化が代償を支払ったことによるものならば、その推測はある程度成り立つのも間違いない。


「と、なると……」


「それを剥がせる呪術師探しと、剥してもらうための代金集めだな」


そして辿り着く"先立つものは金"という当然の帰結に、十々丸と有了は顔を見合わせて肩を竦め合う。


「じゃあ、早速女の子を引っ掛けないとね!」


そう言って、パンッと自分の顔を叩いて気合を入れる十々丸。こういう話で真っ先に女性と寝る事を考える十々丸に苦笑しながら、有了も「そうだな」と頷いたのだった。


「そうなると、まずは下着と香水選びだね。ついでに買っちゃう……いや、歓楽街の方に行った方が良いかな?」


「……!」


そう言って、自分の格好を見おろしながら思案する十々丸と共に東市の入り口に向かっていた有了は、そこでふと足を止めた。


「有了くん?」


不意に立ち止まった有了に、十々丸が不思議そうに首を傾げる。しかし、その疑問に答えることなく、有了は殆ど衝動的に右ポケットのナイフに手を伸ばしていた。


「!?」


果たして、有了の反応は正しかった。有了がナイフを握ったのとほぼ同時に、寄りかかりあった屋台の隙間から、一筋の白刃が伸びてきたのだった。


「ちっ!?」


咄嗟に身を躱す有了。浅く襟元が切られたが、身体に痛みはない。


「!、!!!」


しかし、その白刃の主の追撃は止まない。二度三度と振るわれるナイフを、有了は道行く人を盾に、ひたすら逃げに徹する。


「ぎゃっ!?」


「うわっ!?」


「おい、どうした!?」


真昼の市場に突如現れた狂人。斬り付けられた通行人達が悲鳴を上げ、たちまち辺り一帯は混乱の坩堝と化す。


「だ、大丈夫かい? 有了くん!?」


左腕に抱えた十々丸の声に、有了は無言で頷く。衣服は既にボロボロになったが、本当に紙一重の差で服だけで済んでいる。見れば、先の襲撃者であったはずの人影、黒いローブと頭巾を被った、ある意味先の呪術師よりも呪術師然とした人物に、有了は油断なくナイフを向けながら、逃走経路を探るためにチラリと左右に視線を走らせる。が、


「おいおい」


「嘘だろう!?」


その呪術師の左右から、同じく黒い頭巾とマント姿の人影。仲間だと思われるその二人の手に握られた、一目で分かるL字型の武器に、有了と十々丸は思わず声を上げた。


「「どわあああああああ!?!?」」


 果たして、躊躇なく引かれた引き金と、パパパパパという妙に軽い発砲音。その通り過ぎる鉛玉に、有了は咄嗟に押し倒す様にして、十々丸と共に横道に飛び込んだ。その音に、辺りの混乱も更に肥大を重ねる。絶叫と共に逃げ惑う通行人がドミノ倒しの様になり、そこかしこで肉と肉が潰れ合う音が響いた。


「逃げるぞ、十々丸」


「あ、ああ」


そんな中、いち早く立ち上がった有了が、強かに打ったらしい額を抑える十々丸を引き上げる。普段ならば心配になる程の十々丸の体重がこの時ばかりはありがたかった。


「一体なんだって言うのさ!」


有了に抱えられた十々丸(ととまる)が、その腕の内で堪らず頭を抱える。


「そうだな……」


十々丸の悲鳴に、有了も顔を顰めながら返事をする。


「十々丸の痴情のもつれの線は?」


「あり得るね!」


「あるのかよ」


自信満々に胸を張る十々丸に、有了が思わず突っ込んだ。


「ボクの前じゃフリーの振りをしておいて、実際は誰かの愛人とか時々あるしね」


「愛人業で稼いだ金を男娼に突っ込むのか」


「珍しいけど珍しすぎるって程でもないよ?」


腕の中であっけらかんと言い放つ十々丸に、有了は内心で頭を抱える。


「なら、お前をこのままぶん投げたら、僕だけでも助かるか?」


「おいおい、後生だよ有了くん。見捨てないでくれ!」


有了の言葉に、腕の内の十々丸がひしと腰元に縋りついて来る。


「走り辛いから離せって」


「いいや、離さないね! ボクと有了くんの仲だろう? 一蓮托生じゃないか!!」


「そんな関係になった覚えは無いし。僕とお前の関係は酒屋と常連客ってだけだろ!」


「ボクのちんちんを握ったのに酷いじゃないか!!」


「お前のそれはタロットの何かで、本物は付いてねーだろ!!!」


ギャーギャーと喚き合いながら市場の細道を走り抜ける有了と十々丸。突然の襲撃と命の危機に、二人とも妙にテンションが上がっていた。が、


「っ!?」


徐々に遠退いていたはずの、有了の内心の警鐘が不意に針を振り切った。

 チリリと焼ける様な(うなじ)の毛が逆立つ感覚に、咄嗟に足を止めると腕の内の十々丸が腹を押し潰されたのか「うぇっぷ」と漏らした。


「!!!!!」


果たして、有了の感は今回も正解を引いた。東市の毛細血管に足を立てて急停止した瞬間、まるで先の光景の繰り返しの様に、白光を放つナイフが目の前を通り過ぎたのだった。


「!?」


同時に、タタタタッと響く妙に軽い足音。振り返れば、先のマントの人影が丁度三つ。有了と十々丸の逃げ道を塞ぐように、脇道に視線を向けながらじりじりと近付いて来る。


(これは……本格的にまずいかもな)


その光景に有了が思わず内心で呟く。前方を見れば、こちらも先のナイフの主と思われる同じ出で立ちの人影が一つ。前後共に襲撃者。左右には襤褸屋台。流石にここに飛び込んでも、脚を絡め取られて滅多刺しにされるのが目に見えている。


「有了くん有了くん」


どうしたものかと思案していると、不意に左腕の十々丸が声をかけてくる。

 見下ろしてみれば、同じくこちらを見詰め返してくる黄と青の猫目。その二つが陽光を反射して、やけに穏やかに輝いていた。


「? どうした? 十々丸」


「ボクをこのまま放り棄ててくれ」


首を傾げる有了に、十々丸がそう口にする。


「もしかしたらだけど、ボクの下半身の不始末なら、ボクを差し出せば見逃してくれるはずだ」


何処か悟った様な十々丸の口振りに、有了は「ふぅ……」と溜息を吐く。


「馬鹿な事言ってんじゃねえよ」


そして、十々丸を脇に下ろしながら、正面に立つ三人の人影を睨みつけた。


「……まさか、こんなゴミ溜めの様な街で、ボクとの友情を取ってくれるとでも言うのかい?」


恐る恐るといった風の十々丸の言葉に、有了は「半分はな」と苦笑交じりに肩を竦める。


「見てみろよ、あいつらの目を」


「?」


そう言って、有了が目の前の人影達の方を顎でしゃくる。


「明らかに十々丸だけじゃなくて、僕の方もターゲットにしている目だ」


「それは……」


「少なくとも十々丸が何かやらかしたから狙われてるって訳じゃないって事だ」


そう言って、肩を竦めた有了が「だろ?」とふざけ半分に人影達に視線を向ける。

 元々、警察がまともに機能していないパインズゲートだ。口封じのために目撃者を皆殺しにする意味は極めて薄い。加えて、仲間意識などもたかが知れている事を加味すれば、ターゲットだけを殺す方がはるかにリーズナブルだ。


「「「「……」」」」


そんな有了の言葉に、男達は返答することなくナイフを構える。敏捷な立ち振る舞いに相応しく、格好の割に野趣を感じさせる身のこなしだった。


「で、まあ逃げても無駄なわけだが……」


「わけだが?」


「応戦したくても逃げてる最中にナイフを落としちゃったんだよな」


そう言って冷や汗をかく有了の隣で、十々丸が「ええっ!?!?」と悲鳴を上げる。


「いや、ど、どど、どうするのさ有了くん!?」


「どうするかな」


有了が首を傾げる内にも、マント達の包囲網はじわじわと狭まり、既にその半円は2mにも満たない

ものになっている。


「有了くん、実はこう格闘技とかのスペシャリストだったりしないかい?」


「そんな技術があったらもっと堂々としてるな」


追い詰められて顔を青くする十々丸に、有了は肩を竦める。実際、そんな技術があったら、そもそも逃げ何か打ってない。

 付き合いの長い十々丸もそれは重々承知していて、「だよねー」と呟きながら思わず祈る様に天を仰いだ。


「まさか、自他共に認めるプレイボーイのボクが、女の子の身体で死ぬなんて……」


いや(・・)


その十々丸の嘆きを、有了は言葉少なに否定した。




「そっちの断定はまだ早計だと思うぞ」




続いた有了の言葉に、「え?」と首を傾げる十々丸。そんな十々丸を他所に、前方の三人の男達を睨みつけていた有了は、殆ど直観的に十々丸の股間に(・・・・・・・)手を伸ばしていたのだった。


「はひゃっ!?」


ズボリとベルトを押しのけて割って入った有了の手に、十々丸が珍しく頓狂な声を上げる。しかし、そんな十々丸の声もお構いなしに有了はそのままトランクスの中に手を捩じ込むと、そこで真直ぐに伸びた、"塔"の先端を握り締めたのだった。

 それは、殆ど、直感によるイチかバチかの賭けだった。

 先の呪術師の言葉と昨晩の光景。その二つを繋ぎ合わせた有了の脳が、そうしろと衝動的に指令を送っていたのだった。


「っ!?!?」


果たして、有了が十々丸の下腹部から生えた"塔"を握った瞬間、その()であったはずの十々丸がフッと姿を失う。同時にズッと伸びる長い灰色の塔。有了の握った亀頭を先端に逆手に伸びたそれが、見立て通り、五尺までに差し迫った黒マントの腹に突き刺さった。


「ぐっ!?」


マントの男の口元から、くぐもった声が漏れ出る。一瞬の内に起きた十々丸の変身(・・)に、反応が遅れたマントはそのまま吹っ飛んで、背から近くの地面に落ちた。


「!?」


直後、その衝撃で、ずるりと崩れ落ちる近くの屋台の屋台骨。

 朽ちて古くなったそれが、今の衝撃で半ばからへし折れ、そして、上に掛けられたシートを抑えるための重石が傾斜の付いた板の上をゴロゴロと転がり、雨あられの如くマントの上に降り注ぐ。

 ドスドスという肉を打つ音に晒され、マントが身を守る様に頭を抱きかかえて胎児の様な姿勢になる。が、その姿勢を取った瞬間、まるで無防備に晒されたマントの脇腹に、へし折れた屋台骨の穂先、鋭く伸びた朽木の棘が突き刺さったのだった。


「「「「!?」」」」


そのマント達が息を飲んだのが分かった。特に、石の雨に打たれていたマントは脇腹から肺腑を貫かれたのだろう。その身をビクリと痙攣させると、そのまま身動ぎ一つ取らなくなる。血だまりの中佇む朽ちた棒きれは、まるでそのマントの墓標の様ですらあった。

 突如訪れた仲間の死に、マント達が動揺とはいかぬまでも一拍遅れた中、十々丸を握り締めた有了がダンと踏み込んで、その穂先を槍の様に突き出した。


「!?」


マント達と有了の間には明らかな遅速があり、有了の踏み込みは多少の機先を制したものの、あくまで素人のそれなのに対し、穂先を向けられた男達の所作には確かな訓練の跡が見て取れた。

 が、それでも先鞭には十分で、有了が付き出した十々丸の"塔"は一直線に伸びて、マントの人影の胸を強かに打った。


「あっ!?」


 痛打となる程ではない。が、その一撃にマントの一人が僅かに身を強張らせた瞬間、半歩後ろに下がった隣の人影のひらひらとしたマントが、屋台に置き去りにされた鉄鍋の取っ手に引っ掛かり、半円を描いてその中身をぶちまける。


「ぎゃっ!?」


その中身、揚げ物を出していたのだろうか、ガスコンロで熱された黒く煮える食用油を浴び、マントの男が野太い悲鳴を上げた。


「ふっ!」


直後、更にもう一歩踏み込んだ有了が突き出した手の内の"塔"端を握り締め、半円を描いて大上段から十々丸の棒を煮え油に悶絶する男の脳天に叩き付けたのだった。

 今度は先の突きとは違い、腰の入った一撃に、男が仰向けにひっくり返る。


「んっ」


同時に、突如眼球に差し込んだ光に、有了が僅かに身を強張らせる。

 直後に響いたザクッという妙に軽い音と、それに続く「がっ!?」という短い悲鳴。そこに目を向ければ、仰向けに倒れたばかりのはずのマントの男が、何故か左胸から今まで手にしていたはずのナイフの柄を生やしていた。


(ああ、さっきの光はナイフだったのか……)


続けざまに出来上がった男の死体を前に、有了は何処か他人事の様に妙な納得を覚える。そして、視線を上げれば、一瞬の内に仲間の半数を失ったマント達がじりじりと及び腰になりながら、それでもナイフの切っ先を有了の心臓へと向けていた。


(有了くん、有了くん!)


マント達が構えたナイフを前に、有了が再び杖を槍の様に構えると、不意に有了の脳内に聞き慣れた十々丸の声が響いて来た。


(……十々丸か?)


(うん)


一瞬、動きを止めた有了が心の内で返事をしてみると、不思議と明瞭に返事が返って来る。


(これ、やっぱり……)


(さっきのおじさんが言ってた"作用"だろうな)


昨晩と同じ様に手の内の杖となった十々丸。その姿と状況を鑑みれば、この棒になった姿が十々丸が受けた"作用"なのはほぼ明白だろう。


(まさか、ちんちんから生まれてきたボクが全身ちんちんになるなんて)


(言ってる場合じゃないだろ)


その内心で、妙に緊張感の無い事を言う十々丸(ととまる)に、有了が思わず突っ込む。


(でも、こうも連続で事故死されると、ボクがまるで下げチンだって言われているみたいでちょっと微妙な気持ちになるね)


そうぼやいた十々丸の声に、有了も杖をマント達に向けたまま少し動きを止める。


(やっぱり、十々丸もそう思うのか)


(うん、まあ)


剛体であるはずの手の内の棒が何故か首肯を返してきた気がした。

 昨晩の初老の女性から、脇腹と胸に墓標を突き立てるマント達。そして、先の呪術師の言葉に、十々丸という男性器から生まれてきたような男娼が失った本人の本質とも言うべき"代償"。

 それらを統合してみれば、十々丸の言葉は強ち的外れではないどころか、確信すら突いている様にも思えた。そして何より、有了の直感がその事象を正しいと見立てているのが何よりも大きかった。


「ふっ!」


半ば賭け。しかし、それ以上に直感に任せ、踏み込んだ有了が、近くの屋台の柱を十々丸(塔杖)で殴りつける。


「「!?」」


身を強張らせる半数となったマント。そんなマント達と有了を繋ぐ三軒の屋台がゾブリ、またゾブリとドミノ倒しになっていく。


「……」


その倒れる向きに、マントの片割れが安堵した様に息を吐いた。実際、視線の先の屋台を見れば、その軌道は明らかで、どう足掻いてもマント達に危害を加える様子はない。


「……」


どうやら、直接十々丸(塔杖)に触れなければ問題ないと判断したのだろう。油断なくナイフを構えたマント達は今度こそ有了の懐に飛び込もうと身構える。

 頭巾の合間から見える視線に油断は無い。先の交戦を踏まえれば、例え素人であっても一撃でも触れれば危険なのは驚異なのは間違いないからだ。





そして、だからこそ男達の反応が遅れた





身構えた男達の横で、都合三軒目の屋台が崩れ落ちた瞬間、既に古くなっていたであろう屋台の金具が侍従に耐え切れず、バツンッと音を立てて弾け飛んだのだった。

 その看板は恐らくどこかしらから、店主が拾ってきたものなのだろう。看板然としたひらひらの布ではなく、所々に錆の浮いた、薄い鉄板だった。その両端を小さな釘で支えられてい錆鉄板は、片側の支えを失うと、もう片側の留め釘を支点に、ターザンの様にぐるんと半円を描いたのだった。その一撃は遠目の有了と十々丸の目にはありありと、しかし、有了と十々丸を視界に収め、前のめりになったマント達には不可視の一撃となって、ヒュオンッと風切り音と共に襲い掛かったのだった。


「!?」


ザクリという裂断音が、人気が無くなった真昼の東市にやけに大きく響いた。ぶしゅりと噴水の様に噴き出した鮮血と、どさりと倒れる二つの躯。


(うわ……)


そのあまりにも呆気なく、それ以上に凄惨な最期に、思わず手の内の十々丸が引き攣った声を漏らす。


「……」


対する有了がトンと十々丸(塔杖)の穂先を地面に突き立てると、再び姿を現した十々丸(ととまる)が乱れた燕尾服の胸元をギュッと握っていた。


「大丈夫か? 十々丸」


「それはボクのセリフだよ、有了くん」


その様子に有了が首を傾げると、十々丸が苦笑交じりに目を細めた。


「ん……特には大丈夫そうだな」


軽く身を改めた有了の返事に、十々丸は「そうかい……なら良かったよ」と心底ホッとした様子で溜息を吐いた。


「それより彼らは一体……」


「そうだな……」


頷き返した有了は一番手近にあった死体、胸からナイフを生やした男の頭巾を剥ぎ取る。


「……」


そこにあったのは、何処にでもある大和人のそれで、無精ひげが目立ったものの、それ以外には取り立てて特徴の無い中年男性のものだった。


「……」


次いで、衣服を改めるも、こちらも取り立てた特徴は見られない。身に纏ったマントの方も特徴らしい特徴は見られず、本当に単に見た目を隠すためだけに纏っていたものの様に思われた。


「あれ?」


と、そこで、有了の隣で男のポケットを探っていた十々丸(ととまる)が不意に頓狂な声を上げた。


「何か見つけたのか?」


視線を向けた有了に、十々丸が「これを見てくれ」と言って、一枚の紙片を取り出して見せて来る。

 それは多少くたびれた見た目の紙幣……なのだが、そこに描かれた彫りの深い人物画は明らかに大和のそれとは趣が異なっている。


「これ、ドル札か?」


 パインズゲートでは凡そ金銭に還元できるもので取引されていない物は存在しない。しかし、その流通貨幣は尾張・大阪・江戸の三幕府が共同で発行する円と銭が主で、ドル札などは滅多に見ることが無い。

 有了自身も知識の中だけのもので、実物はそれらしき物を含めて初めて目にするのだった。


「他には何かあるか?」


「いや、どうやらこれだけみたいだね」


有了の確認に十々丸(ととまる)が首を横に振る。


「ふむ……」


頷いた有了だったが、少し紙幣を眺めながら思案する顔になる。

 実際の所、何か意味があるのかは分からない。しかし、この襲撃とドル札、そして、有了に貼り付けられたタロットと妙に因果めいたものを感じるのも事実だった。


「有了くん」


そんな有了を、ちょいちょいと引っ張る十々丸の声に顔を上げる。見れば、崩れた屋台の陰などから、幾つかの目が伺う様にこちらに向けられていた。


「どうやら、一旦退散した方が良さそうだな」


そう呟きながらポケットに紙幣を捩じ込むと、立ち上がった有了は急いでその場を後にする。

 そして、後ろをトテトテとついてきた十々丸(ととまる)と肩を並べると、「妙な事に巻き込まれたかもしれないな」と嘆息したのだった。






ここまで読んでくださり、どうもありがとうございます。

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