(おまけ)そして、後日談
「どんなに美味しいおやつをもらっても、知らない人間には簡単に付いて行かないように躾けてください。でないといつか本当に攫われてしまいますよ」
その日、寮へ改めてお礼を言いに来たレディ・ドルリスに、リリィーナ教官はまたお説教していた。
旦那さまの猫は一緒じゃなかった。レディ・ドルリスほど言葉が上手に喋れないので、遠慮したそうだ。やっぱり猫なんだな。
「ええ、あれからきびしく言い聞かせましたわ。もう子猫用ゴハンも卒業したので、大人猫用ゴハンをしっかり食べるようになりましたし、おやつはそんなに欲しがらないと思いますわ」
うそだ。
子猫のぼうやはローズマリーの姿を見つけたら足下にとんでいったくせに。
残念ながらローズマリーの持っていた猫用おやつはぜんぶフェスティ夫人のお宅へ届けたので、どんなにおねだりしても、ここに猫のおやつはもう無いのだ。
「それは良かった。ところで話は変わりますが、ドルリス卿に伝言を頼まれておりまして。実家へ帰る気はないのですか?」
「ありませんわ」
即答だった。猫でも飼い主との関係がこじれるんだな。
そういえば、猫って執念深いんだっけ。
「でも、この子が将来、おじいさまに会いたいと言えば里帰りは考えますわ。今回の事でわたくしに疑われて、父も少しは反省しているようでしたから」
子猫はおとなしくレディ・ドルリスの側に座っている。
借りてきた猫みたいなおとなしさだ。
こうしていると、おやつをねだってローズマリーの足にまとわりつき、迷子の演技を押し通しておやつをたくさんもらいまくった詐欺の常習猫とは思えない。
「それがいい。ドルリス卿も喜ぶでしょう」
あの日、レディ・ドルリスとそのご子息が去った後で、リリィーナ教官と僕はローズマリーに、子猫を保護した経緯を改めてくわしく訊ねた。
ローズマリーはスーパーマーケットへ買い物に行った帰りに、小路の前を通りかかった。
そうしたら、どこからか子猫の鳴き声が聞こえた。
ほどなく哀れっぽい子猫が現れ、ローズマリーの足にまとわりついた。
近くに親猫の姿はない。
子猫は小さな声でみゃーみゃー鳴き続けている。
お腹がすいているのだろう。
野良の子猫だろうが、人間に慣れている。人間から餌をもらい慣れている証拠だ。
それが初対面のローズマリーにこんなにもすり寄って鳴くのは、親猫が突然いなくなったか、迷子になって帰れなくなったのかもしれない。
「もしそうだとしたら、まだ幼いからとても自力では生きていけないだろうと思って……。急いでスーパーマーケットに戻って子猫用のおやつを買ってきてあげたんですけど、やっぱり放っておけなくて。とりあえず連れて帰って、ヒルダおばさんに相談しようと思ったんです」
ローズマリーはなんて優しいんだろう。
無視して逃げ去ることも出来たのに、ローズマリーは野良猫を保護することを選んだ。そして子猫のために、里親を探すことまで考えていたんだ。
子猫を探していた僕らとレディ・ドルリスにとってはあぶないところだったけど。
子猫も、偶然だけどローズマリーに保護してもらって良かったんだな。
だが、ほのぼのした気分はリリィーナ教官の次の台詞で吹っ飛んだ。
「では、あの子猫は、君の前では一言も喋ってないんだね?」
そういやあの子猫と母猫レディ・ドルリスは喋っていた。
僕らにも理解できる人間の言葉を、普通に。
じゃあどうしてあの子はローズマリーに「お家は近くです。お母さんはレディ・ドルリスです」と訴えなかったのか。
「そういえば……。てっきり、普通の子猫だと思っていたけど」
困惑するローズマリー。
「普通の子猫にはちがいないけどね」
苦笑するリリィーナ教官。
「いや、普通じゃありませんよ。あの猫たち、喋っていたでしょう?」
いきどおる僕。
「白く寂しい通りの猫は、ちょっと頭が良くてお喋りなんだよ。まあ、君もそのうちわかるさ」
リリィーナ教官の言葉に僕はなんと返したものかわからず、口をつぐんだ。
僕の頭の中で、レディ・ドルリスと子猫のぼうやがクスクス笑いあっている光景がいつまでも消えずに残っていた。
〈了〉