(四)真犯人はいなかった。けど、真相は僕の予想の斜め上だったようで……。
ミルクでお腹がふくれた子猫は、いきなり目を閉じた。
カクッと頭を落としてすぐに目を開け、おもむろにていねいに前足を折りこんだ。だが、胸の下から前足の先が横にずれて斜め前にはみ出している。まだ小さいから前足をきちんと曲げられず、猫らしい香箱を組んだ座り方ができないらしい。
それでも子猫は自分の姿勢に満足したのか、こんどこそ気持ちよさそうにウトウトしはじめた。
息を詰めて見守っていた生徒一同「かわいすぎるッ~!!!」と子猫を起こさぬよう、小声で悶えている。
そうか、猫好きな生徒が多かったんだな。
うん、たしかに可愛いけど。
「子猫だったのか………………」
僕はすっかり気が抜けた。その場で座り込まなかったのは偉いぞ、サー・トール。
「どうしたの、サー・トール?」
ローズマリーと皆が、僕へ不思議そうな目を向ける。
リリィーナ教官から話を聞かされた僕には、人間の子どもが迷子か、最悪なら誘拐されている、そんな事件に思えたんだ。
世の中には猫を我が子のようにかわいがる人がいるくらい、僕だって知っているけどさ……。
迷子の子猫の話で良かった。
いまの僕は、心からそう思える。
「あ、リリィーナ教官だ」
誰かが言った。
生徒が左右に分かれた真ん中を、リリィーナ教官が通ってきた。
僕の足下を見るや、
「やはりここにいたか!」
ため息交じりの呟きだった。
そうか、リリィーナ教官は驚かないよな。最初から子猫だと知っていたんだしさ……。
「まあ、ぼうや!」
え、今のソプラノボイスは誰だ?
リリィーナ教官の左小脇には、白い猫が抱えられていた。けっこう大きな猫だ。リリィーナ教官の胴体くらいある。前足でしっかりリリィーナ教官の左腕に掴まり、プランと垂れた後ろ足のつま先はリリィーナ教官の膝あたりまで伸びていた。
「はやく下ろしてくださいな!」
白い猫は急にジタバタし始めた。
「はいはい、暴れないで!」
リリィーナ教官は白猫を床へ下ろした。
白猫は床に四つ足をつくとしゃんと立ち、両前足をうーんと前へ伸ばしてから、後ろ足を突っ張って伸びをした。
純白の毛並みはふわふわ。
大きな目は緑色の宝石のよう。
ペルシャかチンチラとかそんな種類の、猫のコンテストに出たら必ずチャンピオンになるであろう、ものすごいゴージャスな猫は、尻尾をピンと振り立てると、リリィーナ教官を仰ぎ見た。
「まったく、わたくしを何だと思っているのですか。小荷物扱いして!」
「しゃ、喋った!」
「猫が!?」
生徒一同、大驚愕! この世界の出身者も猫が喋ることは知らなかったらしいな……。
「仕方ありません、レディ・ドルリス。あれがいちばん速い方法だったので」
リリィーナ教官がその名を呼ぶ前に、僕は見当が付いていたが、心の中では「レディ・ドルリスは本物の猫だった」と何度もリフレインした。
「ああらまあ、この子があのレディ・ドルリスなの? 私も会うのは初めてだけど、迷子のお母さんはレディ・ドルリスだったのね!」
ヒルダおばさんが何に感心しているのか、僕を除いた他の生徒は、さっぱり判らない表情だった。
なぜなら可愛い子猫は、ふわっとした毛並みこそ高級っぽいが、薄い焦げ茶混じりの縞模様は野良猫にありふれた雑種の毛色。外見からは純白の輝くような美しさのレディ・ドルリスとは親子に見えない。
「ぼうや! お迎えに来ましたよ」
母猫の優しい呼びかけ。
子猫はぱっちり目を開けた!
「あ、ままーッ!」
幼児らしい高い笛の音のような声だった。
トタトタ走ってきた子猫の顔を、母猫はベロンベロンとなめまわした。
「あの子猫、いまママっていったよな?」
「ああ、たしかにそう聞こえたぞ!」
「ええ? 猫って喋るの?」
「ここでは喋るみたいね……」
生徒一同は騒然となった。
やれやれ、君らも魔法使いの端くれだろ。猫が喋ったくらいで驚いちゃいけないな。
まあ、かくいう僕も、さっきは言葉も出ないくらい驚いたし、いまも少々固まっちゃいるけどね。
レディ・ドルリスは子猫が落ち着くと、ヒルダおばさんへ向き直った。
「迎えに来るのがたいへん遅くなり、皆様にはご迷惑をおかけしてしまいました。このお礼はのちほど改めて、わたくしの主人ともどもご挨拶にうかがわせていただきますわ」
レディ・ドルリスは丁寧に頭を下げると、こんどはローズマリーへ顔を向けた。
「お嬢さんがこの子を保護してくださったのね。心からお礼を申し上げますわ。今日はこれで失礼させていただきますが、また白く寂しい通りで会うこともあるでしょう。これからもよろしくお願いいたしますわね」
「あ、はい、わたしでよければよろこんで!」
ローズマリーはビシッと背筋を伸ばして直立不動。
いや、そこまで畏まらなくてもいいんじゃないかな。だって相手は猫だし。
もっともレディ・ドルリスの方が、僕らよりも上品で礼儀正しい気がするけど。
「さあ、ぼうや。お家へ帰りましょう」
「はーい!」
元気よく返事した子猫は、ふと顔を上げ、タッと母猫より数歩前へ出た。
子猫はローズマリーをまっすぐ見上げた。
「おねいちゃん、ありがとうございました。おやつとミルク、美味しかったです。お世話になりました」
母猫のしつけが良いのだろう、舌っ足らずなご挨拶も、可愛らしさが勝って文句の付けようがない。
「レディ・ドルリス、おやつをもらっても知らない人には付いていかないようにしつけをお願いします」
リリィーナ教官はけっこう厳しく言ったのだが、レディ・ドルリスは、ふっ、と鼻息を吹いた。なんか生意気な猫だな。
「育ち盛りですから、食いしん坊ですの。でも、きびしく言い聞かせますわ。では、失礼いたします」
レディ・ドルリスはリリィーナ教官にも頭を下げて、玄関の方へ向かった。
僕らもその後にぞろぞろついていく。
なにげに隣を歩くローズマリーを見た僕は、彼女の左肩の後ろ、流れる黒髪に絡まった桜の花びら1枚を発見!
さりげなく左肩を軽く叩くふりをしてそれを取り去り、右手に握りこんだ。
リリィーナ教官に報告するのは後でいい。
「ローズマリー、何かおやつをあげたの?」
「ええ、子猫用のおやつを少し。まさかこんなことになるなんて……」
ローズマリーが見つけたとき、子猫は小路の入り口であわれっぽく鳴いていたそうだ。
「ご近所に住んでる飼い猫なら、お腹がすいたらお家に帰ればゴハンを食べられるでしょ? でもおやつをあげたあとも離れないから、お家がわからなくなった迷子だと思って連れてきたのよ」
かくて僕らは、フワフワ毛並みの猫の親子が、白く寂しい通りの道の向こうに見えなくなるまで、寮の玄関先で見送ったのであった。