(三)桜は秘密を知っているとは限らない
喫茶エクメーネに到着するまでの短い時間で、リリィーナ教官は概要を説明した。
行方不明になった子どもの母親レディ・ドルリスは、白く寂しい通りの隣街『月光街』の出身。
現在の住所はフェスティ夫人という資産家の家。駆け落ちしてきた夫ともども身を寄せている。というのも、フェスティ夫人は駆け落ち相手である夫の母親、つまりレディ・ドルリスにとっては義母の間柄。
嫁姑関係は良好なので、家庭内犯罪の可能性は低いとリリィーナ教官は言った。
「ローズマリー以外の学院関係者が関わっている可能性はありますか?」
生徒の僕たちより、自由に出歩ける教授や教官の方が、白く寂しい通りにいた可能性が高く思えるんだが……。
「学院の教授や講師がその時間帯に問題の小路を通ったとは考えにくいんだ」
リリィーナ教官たちは協力して生徒のカリキュラムを組んでいるため、お互いのスケジュールをだいたい把握しあっているそうだ。
「だからわたしは、生徒の誰かだと考えた。桜の花びらに関していえば、場所が限られている。寮へ帰るのにあの中庭は通らないからね。だから対象は君かローズマリーに絞り込めた。あとは消去法で君をはぶいたんだ」
なるほど。あの中庭の桜の下で、僕らが毎日待ち合わせしているのを知らない者は学院にいないらしいから、リリィーナ教官の推測は筋が通っている。
「とにかく、うちの生徒の誰かが保護したとしても、ことは急を要する。最悪の場合、その誰かに悪意が無くとも、その子を他の誰かへ渡してしまわれたら困るんだ」
リリィーナ教官の言い方に、僕はギョッとした。
他人の子を見知らぬ誰かに勝手に渡すなんて、もしやこれは犯罪組織絡みの人身売買事件なのか!?
これにはさすがに僕も真剣に抗議した。
「そんなことは!? いくらなんでもうちの生徒が、そんなことをするはずはないでしょう?!」
「そうだといいが……。」
リリィーナ教官はいかにも懐疑的なまなざしで僕を見た。
同じ学院で学ぶ僕の仲間が、そんな無法なことをするわけがない……と、信じたい。
しかも今最もその容疑を濃厚に駆けられているのは僕の大切なローズマリーだなんて!
喫茶エクメーネの前に到着した僕らは無言でカラフルなステンドグラスが装飾されたドアを見つめた。
リリィーナ教官は僕を振り返った。
「君はこのまま寮へ向かってくれ。もし見つけたら、その場で保護をたのむ。寮にいたらただの迷子だったですむからね」
「そりゃそうですよ。それでリリィーナ教官はどうするんですか?」
「マスターに話を聞いたら、念のために公園の桜を確認してくる。万が一、寮が空振りだったら、振り出しに戻るからな」
「でも、公園の桜を見て何がわかるんですか?」
「まだ花が咲いていないから、花びらは落ちていないはずだ。実際に見てみないと断言はできないからね。あの公園は隣街から白く寂しい通りへ来る際のルートだ。現時点ではまだ、ドルリス卿が公園を通って白く寂しい通りへ来たかも知れないという疑いも残っているんだよ」
レディ・ドルリスの父ドルリス卿は喫茶エクメーネの常連。白く寂しい通りへ来るのに近道になる公園を通り抜けたかもしれない。そのついでに孫の顔を見ようと、こっそり小路にやってきて、連れてさったとか?
「わかりました。僕は先に寮に戻って確認します」
「頼んだよ。わたしもすぐいくから」
リリィーナ教官は喫茶エクメーネへ入っていった。
僕の寮は魔法大学付属学院の隣にある。
学び舎からは歩いて5分。
例の桜の木がある校内の中庭は、寮への道筋からは建物の陰になっていて見えない。
僕は、なんとなく桜の木のある方向を気にしながら寮へ急いだ。
正面玄関を入ってすぐ右手には、舎監室の受付窓口がある。そこには寮母のヒルダおばさんがいて、僕らは出かけるときと帰宅時には必ず挨拶をする。
僕は帽子を取り、受付窓を覗いた。
「ただいま、ヒルダおばさん。……あれ?」
受付窓の奥はリビングスペースになっているのだが、いつもそこで編み物や刺繍なんかをしているヒルダおばさんがいない。
「相談しようと思ったのに……」
もし、生徒の誰かが迷子を連れてきたなら、ミーティングルームや食堂にいれば僕でもわかるが、自室にこもられたら僕だけでは見つけられない。女子の部屋なら完全アウトだ。
リリィーナ教官を待つ間、僕にも出来ることは何だろう。
「おーい、誰かいるかーい? ヒルダおばさんがどこにいるか、知らないかー……!?」
玄関ホールの奥、女子寮と男子寮の分岐点となる廊下の真ん中に人だかりができている。食堂へ入る出入り口の近くだ。
生徒の後ろ頭が並んだ向こう側に、金髪をお団子にひっつめた頭のてっぺんが見える。
ヒルダおばさんだ。あんな大勢に囲まれて、廊下の端っこで何をしているんだろう。
生徒はほとんど女子だ。男子は10人もいない。女子はなにやら同じ方向へ頭を傾けながらヒソヒソ囁き交わしている。
「ほんとに可愛いわ。すごくお腹がすいていたのね」
おっと、この声はローズマリーの友人エリカだ。
「ヒルダおばさん、ありがとうございます。かわいそうだから、つい連れてきてしまったけど、どうしたらいいでしょうか」
あ、こっちはローズマリーだ!
「そうねえ。やっぱりわたしたちで面倒を見るのは大変だから、ちゃんとした里親に引き取ってもらって、育ててもらうのがいちばいんいいわね。家が無いのはかわいそうだわ」
ヒルダおばさんがそういったら、女子からブーイングが出た。
「えー、こんなにかわいいのに、だめなんですか?」
「わたしたち、交代で頑張りますから! ね、ローズマリー?」
「仕方ないわ。ヒルダおばさんだってお忙しいのですもの。わたしたちは勉強があるし、テスト期間になったら遊び相手もできないわ。この子の世話をするのは無理だわ」
ローズマリーが答える。
なんてことだ。女子は本気で迷子を育てるつもりだったのか!?
「ヒルダおばさん、里親を探すのは、どうすればいいのでしょうか」
あ、ローズマリーも、迷子の里親になってくれる人を見つけて引き取ってもらうつもりなんだ。
本当にローズマリーが、迷子を保護して寮へ連れてきていたんだ。
リリィーナ教官の推理が大当たりじゃないか!
「そうねえ、喫茶エクメーネのマスターに相談しようかしら。あの方は顔が広いから。でも、その前に、ご近所でこの子を探している人がいないか調べないとね。きれいでほとんど汚れてないから、それほど長く迷子になっていたわけではないでしょう。きっと白く寂しい通りのどこかの家の子だわ。いまごろは親が探しに来ているのではないかしら?」
「ヒルダおばさん!」
僕は人垣をかき分けてローズマリーの側へ進んだ。
「そうなんです、その子は迷子で、母親が探しています。もうすぐリリィーナ教官が迎えに来ますから、その子をどこにも連れていかないでください!」
ローズマリーの側へたどり着いた僕は、
「あ、…………あれ?」
その光景に、愕然とした。
「あ、お帰りなさい、サー・トール」
かがんで僕を見上げるローズマリーの前にいるのは……。
ちっちゃな猫が一匹。
どこから見ても、子猫。
キジトラっぽい模様は薄く、生後半年も経っていないだろう、ちっちゃな子猫。
ピンクの舌を出しては引っ込め、お皿のミルクをぴちゃぴちゃぴちゃと、音を立てて舐めている。
ふいに、子猫は、僕を見上げた。緑の宝石のような大きな瞳。
口の周りについたミルクを猫らしく舌を伸ばして舐めようとしたが、まだほんとに小さい子猫なのでうまくできない。
ミルクでびちょびちょになった顎を、ローズマリーがティッシュで拭いてやっている。
ローズマリーも見守っている皆も、とろけそうな微笑を浮かべていた。
じつにほのぼのした構図であった。