(二)手掛かりは桜の木?
薄いピンクの小さな花びらは瑞々しくきれいだ。地面に落ちてから1時間も経っていないだろう。
「物的証拠が桜の花びら1枚じゃ、行方不明の子どもとは結びつかないし、どこに生えている桜なのか特定する手掛かりにもならないでしょう?」
「同じ植物なのかを調べる魔法ならあるけどね。今回は魔法を使うまでもない、この白く寂しい通りで桜の木が生えている場所は2カ所だ。ひとつは君もよく知っている、魔法学院の中庭だ」
うちの学院の中庭に3本。
桜の種類はソメイヨシノ。
なぜ異世界の学院の庭に日本の桜があるかといえば、200年ほど前に移住してきた日本人の教授が植えたそうだ。
この数日が満開の見頃なので、僕はここへ来る前にじっくり見物してきた。
桜の木の下で宴会こそしないけれど、春にお花見として桜を見てしまう慣習は、きっと日本人のDNAにインプットされている。
「それと、白く寂しい通りの北側にある公園だ。隣街からの通り道でもあるから、ドルリス卿が喫茶エクメーネへ来るのにあの公園を通ったことも考えられる。しかし毎年桜の花が咲くのは、魔法学院の方が早いんだよ。日当たりが良いからね。公園の桜はまだ咲いていなかったと思う。実際に見てみないとわからないが……。そういえば君の右の襟にも花びらがついているね」
びっくりして自分を見下ろしたら、右襟に桜の花びらが1枚! クタッとして布に貼りついている。
桜の花の生命は短い。
咲いたらほんの数日で、花は枝からポロポロ離れる。地面に落ちたが最後、数時間でもうダメだ。薄い花びらは風に飛びやすく、物に貼り付いて乾きやすく、汚く変色して取りにくいし、非常にやっかいだ。
こんなふうに人の服にひっつくなら、知らないうちに運んで落とすこともあるだろう。
「まだ桜の花が散る季節ではないが、サー・トールはここへ来る前に、桜の花が散っている場所にいたわけだ」
リリィーナ教官の言い方に、僕はなぜだかドキッとした。
「は? 僕が?」
まるで僕が事件の容疑者だといわれた気分になる。
「さっき学院の中庭にいたとき、すごい風が吹いたから、たしかに桜も散っていました。これはたまたまひっついたんですよ」
なんでこんな言い訳じみたことをいわなきゃならないんだ。ちょっと嫌な気分になる。
「だが、きみは無関係だ」
リリィーナ教官は断言した。
あたりまえだ。僕は完全な部外者だぞ。
レディ・ドルリスなんて会ったことはないし、名前だって今日初めて聞いた。
この白く寂しい通りで僕の知り合いはわずかだ。喫茶エクメーネの店長に魔法玩具店カラクリの店長、その店員のお喋りなぬいぐるみ妖精くらい。
ぬいぐるみ妖精とは、魔法の生命体である。
じつに異世界チックでファンタジーな生き物だが、この白く寂しい通りにいるファンタジックな存在を、僕はこのぬいぐるみ妖精しか知らない。
ここは普通に人間の街なのだ。ファンタジックな存在は意外に少ない。
他に知っている人外といえば、リリィーナ教官くらい……いや、リリィーナ教官は一応、人間だ……ろうと、思う。僕が確信を持てないだけだ。
そういや以前、僕のローズマリーが学院内で火の精サラマンドラと遭遇したとかいう話をしていたが、僕はそういった未知との遭遇経験はさっぱりだ。
こんなのでいつか立派な魔法使いになれるのかなあと思う、今日この頃である。
「学院の中庭で、君はローズマリーと一緒だったのか?」
ローズマリーと僕は魔法学院公認のカップルだ。改めて聞かれるまでもない。
訊ねられた理由は、まさかのとんでもない可能性だ。
「もしかして、ローズマリーを疑っているんですか!?」
たしかに僕らは今日も放課後、会ってきた。選択科目が違うのと教室が遠いのとで、放課後はよく中庭で待ち合わせをする。噴水前にはベンチもあるから、待つのに便利なんだ。
桜は満開だし、僕はお花見も兼ねていた。
桜の下では、ローズマリーのストレートな黒髪がよく映える。彼女自身は桜よりもきれいだけど。
僕らは今日も、授業の話や他愛のないお喋りをした。
風に散って降り落ちてくる桜の花びらをかぶる程度には、桜の下にいたな……。
「今日は風が強かったので、中庭の近くなら桜の花びらは飛んでいたと思いますよ」
それでもためしに証拠の花びらを、僕の服に付いていた花びらと比較してみたら、まったく同じ色で同じ形だった。どう見ても同じ品種の花である。
「うん、やっぱりね。魔法で特定するまでもない、これは魔法学院の中庭の桜だよ。公園の桜はもっと濃いピンク色で、花びらの先端には切れ込みがある。枝が長く垂れ下がる品種なんだ」
リリィーナ教官のいう枝の垂れ下がった桜はしだれ桜のことだろう。品種が異なれば開花時期も微妙に異なるんだ。
でも、リリィーナ教官の推理が当たっているのなら、子どもがいなくなった事情の推理も当たっていることになるのでは?
「まさか、リリィーナ教官は本当に、ローズマリーが子どもを連れ去ったと思っているんですか……」
だが、すぐにその『まさか』の可能性があることに気づいた。
「もしもローズマリーが、迷子を見つけたら、優しく声をかけると思います」
「そうだろうね。もし君ならどうする?」
そりゃ僕だって、もしも白く寂しい通りで困っている誰かを見つけたら声くらい掛けるし……。
「手っ取り早く喫茶エクメーネに連れていってマスターに助けてもらうとか……?」
「そうだね、わたしもそうするだろうな」
白く寂しい通りにはお店も何軒かあるから、他の店でもいい。
あれ? すると、ローズマリーだと仮定したら、彼女はそうしなかった、ということになるのか。
それも変だな……。
「そういえば、ローズマリーはスーパーマーケットに用があるからと、僕より早く学院を出ました。他の生徒がいたとしても、子どもがいなくなった時間帯に近いですね」
白く寂しい通りは静かな街だ。土日に外出しても、複数の人に出会うことはあまりない。
この時間帯に出歩いた生徒がいれば、名前まで特定できるだろう。
「この花びらが落ちていた小路はスーパーマーケットから遠くない。よし、出かけよう」
サッとコートを羽織って帽子をかぶったリリィーナ教官に従い、僕も帽子かけから帽子を取った。
リリィーナ教官は玄関ドアをきちんと施錠した。
戸締まりは大事だ。気をつけないと、レディ・ドルリスみたいな招かれざる客が堂々と入って来る。
「おっと、大事なことを忘れてた!」
リリィーナ教官は慌てて鍵を開け、中へ入った。
いったん閉められたドアの下部で、カチャカチャと軽い音がした。
なんだろう。鍵を掛ける音みたいだったけど……。ドアの下の方にも鍵があるのかな?
事務所のドアの下部は、寄せ木細工みたいなカラフルなパネル模様でなかなかきれいである。よく目を凝らしても、べつに変わったところはなかった。
再び出てきたリリィーナ教官は、こんどこそドアをしっかり施錠した。
リリィーナ教官は鍵を背広の内ポケットに仕舞った。古風な鍵でも魔法の封印入りの特別製だ。合う鍵以外の方法ではまず開けられない。
「それでどこへ行くんですか?」
「まずわたしはエクメーネへ行く。ドルリス卿がコーヒータイムでいればいいが、エクメーネのマスターからでも必要な話は聞ける。君は寮へ戻ってくれ。もしもそこに子どもがいたらその場で保護を頼む」
喫茶エクメーネは白く寂しい通りのリリィーナ不思議探偵事務所と同じ並びの5軒先にある。
僕は気になっていることを質問した。
「多次元管理局へ届けなくて良いんですか?」
「誘拐と決まったわけじゃない。ドルリス卿と学院の生徒を確認してからだ」
ローズマリーが誘拐犯なんて絶対にありえないが、迷子の保護あるいは何らかの理由で、ローズマリーでなくとも魔法学院の生徒の誰かが一緒にいる可能性はあるのか……。
でも、ほんとうに本物の誘拐事件だったら大変どころじゃない。大問題だ!
ここは地球にあらず、異次元の『境海世界』。
もしも悪いやつに捕まり、境海を越えてどこか別の世界、別の宇宙へ連れて行かれたら、二度と戻って来られないのだから。