エユゼ -2
国を渡る者はそれほど多くない。危険の伴う渡りよりも国内で生活を築く方が易しいと言えるだろう。しかし、各国を結ぶ存在は少なからず必要であり、現在その役割を大きく担っているのは“紫ノ者”と呼ばれる人であった。
その存在は数百年前に終結した獣人とヒトとの諍いの中で生まれたと云われている。かつて互いの領地を攻め合っていた獣人の国とヒトの国の王は長い諍いが民を滅ぼさんとしていることに気づかず、血で血を洗う戦いを続けていた。
搾取されながらも隣人と支え合うことでその日を暮らしていた人々に手を差し伸べたその人が”紫ノ者”と呼ばれる存在の始まりとされている。その“紫”はヒトに獣人が狩った肉を獣人にヒトの作った薬を与え、戦地の民を安息の地へ導いた。その地で獣人とヒトがともに暮らし始めたことをきっかけに諍いは終わりへと向かう。
「その名残で今もアッチコッチ遣わされているのが“紫”ってワケ。本当に格好いいワヨネー」
うっとりとした目で、スープを匙で救うユアを眺めている少女は散々話し続けた後だというのに、誰の返事も待たずして再度口を開いた。
「アンタの羽織ってるソレも本当は“紫”にだけ許されてるんだカラ!羨ましいワ!」
そういってラントの羽織を指し、恨めしそうにこちらを一瞥してくる。ラントは苦笑いを浮かべその視線から逃げるようにスープをすすった。
「“紫”に許された衣は人によってカタチが違って……」
と変わらず語り続ける少女はラントたちが入った家の家主だ。
先刻、ラントが扉をくぐるとユアが少女に抱きしめられた状態で立ち尽くしていた。
「ヒナさん、久方ぶりです。お変わり……なさそうですね」
そういうとヒナと呼ばれた少女が顔を上げる。
「ユアも久しぶり!さみしかったんだカラ!」
ヒナは満面の笑みを浮かべて再度ユアに抱きついた。ユアはヒナを抱き留めながらラントが入ってきたことに気がつくと、
「ヒナさん、今回は連れがいるんです。義弟のラントです」
「こちらはこの家のヒナさん。今日はここにお世話になるよ」
ユアがそう言うとヒナは抱きついたままこちらを眺めてくる。ヒトの少女と話すことは初めてだったためか若干のぎこちなさがありながらも、ラントは挨拶をした。
「ラントです。お世話になります」
両手の指先同士を合わせ一礼する。ヒトの国では当たり前に行われる挨拶の所作だ。
ヒナはラントを見てユアを見上げ、もう一度ラントを見ると瞬間ムスッと頬を膨らませた。そのままラントに両手を合わせ一礼だけするとユアに耳打ちするように何か話しかけている。
様子が分からずただ眺めていることしかできないラントの腹がなると同時に、ユアの笑い声が上がった。
めったに声に出して笑わないユアの笑い声に驚いてそちらをみると、
「ククク、わかりました」
といいラントを見てもう一度噴き出すように笑う。
「ヒナさん、すみませんが夕餉にしても?」
笑いをかみ殺すようにユアが言うと、ヒナは頷き張り切った様子で奥へと夕餉の用意をしに行ったようだ。
ユアはようやく笑いを止めて廊下のわきにある階段を指すとソリの荷を半分持ち、上っていく。もう半分を抱えてラントもそれに続くが、聞きたいことばかりで勇む気持ちのためか階段を上がるたびに床がギシリと音を上げた。
思えば、扉はどうみてもヒト用に合わせた大きさだったが、屋内は天井が高く階段も上りやすい幅があり音の割に安心感があった。
キョロキョロと見ながら2階の廊下を進むと右手と左手に1つずつ扉がある。右手はヒト用の扉で左手の扉は獣人が通るのに申し分ない大きさをしている。廊下の突き当りは窓があり、覗くと下に井戸が見えた。
ユアは慣れたように左手の扉を開け入っていく。室内は質素な作りだが広さがあり2人が横になるには十分だった。その上、綿の布団まで何組か置いてある。ラントの旅の経験から言わせるとかなり良質な宿といえるだろう。
荷解きをしているユアに続いてラントも荷を下ろし仕分けを手伝う。
「……ずいぶん仲が良さそうだけど」
と聞き出したい気持ちを抑えて口を開く。質問攻めにすると面倒がって二度と教えてもらえなくなるからだ。(通りを歩いた時に聞いたことはほとんど無視されていた)
「あの子の爺さんに世話を焼いてもらったことがあってね。それ以来の付き合いさ。昔この街に来る時はここに泊まるっていう約束をしたんだけど、爺さんが死んじまった後もあの子が宿を継いだから約束も続いてる」
「ヒナさんは爺さんの馴染みには誰にでもあんな感じだからね。まあラントくらいの年の獣人とは関わりがなかっただけで話せば慣れるんじゃないかな」
そう言うとユアは頭巾を外して立ち上がる。
「ヒナさんの飯は美味しいよ」
そういって短刀だけ腰に身につけ直し部屋を出て1階に降りていってしまった。
「一番聞きたかったのはそこじゃないんだけどなぁ」
何を笑っていたのかが気になるがユアも分かっていて言わなかったに違いない。ああ見えて身内を揶揄うのが好きなのだ。
ヒナと呼ばれた少女に聞くほうが早そうだ。そう思ったが彼女のむくれた顔を思い出すとそれも難しいかもしれないと思い直す。
ラントは半分諦めて下から香ってきた美味そうな匂いにつられるように部屋を出た。
ヒナの作る飯はたしかに絶品だった。ヒトの作る食事は初めてだったがどこか懐かしい味がして、ラントは自身の腹が膨らむまで食べ尽くした。
食事中はヒナの“紫”についてのうんちくがひたすら続き、食べ終わってからはユアに食事の感想や旅について根掘り葉掘り聞くものだからラントとヒナが口を交わすことはほぼなかった。
しかしラントが見た目の割に気が強くないとわかったからかユアと共に居ることを羨ましがる態度を隠すことなく接してくるようになった。
ラントからみたヒナは祖父の知り合いだからユアを贔屓しているというより、長年離れていた姉にようやく会えたといったような親愛を持っているように見えた。