エユゼ -1
デナエヴァ大陸の西南を占めているラーシ砂漠は西方をデヤ海に囲まれ、東をカルビナート国の南端と隣接している。
ユアとラントはラーシ砂漠を南北に横断するように移動し、エユゼの街からカルビナート国に入国しようとしていた。
カルビナート国の南端の街の1つであるエユゼは、1日の寒暖差が激しく乾季の長い気候のために、長らく貧しい生活を強いられた土地だった。
しかし、カルビナート国の関所として手が入るようになると、周囲に堅牢な外壁が建てられ国兵の派遣により内部の憂いも大きく改善された。そうして外敵や災害の脅威から解放されたエユゼは、一転して交易の中心地の1つとして栄えることとなる。国内外問わない様々な人の流通が増加した結果、エユゼの街はヒトと獣人の生活様式が混ざる賑やかな様相をしていた。
ラントにとってエユゼははじめて訪れるヒトの街だった。
砂漠と街を隔てる一直線に続いた外壁からせり出すように構えられた門の前には短い人の列ができている。砂漠に沈む陽に背を向けるように立つ列の中ほどにラントたちは並んでいた。
列が進むにつれ近づく門をよく見てみると、所々小花や紋章の装飾が施されている。
獣人の国では見られない細かく繊細な意匠はラントに小さな感動とここまでやってきたという実感を与えた。
列の先頭まで辿りつくと、ユアは慣れたように門兵に袴の袖口を見せる。門兵はチラリと確認してすぐにラントの方を向いた。
事前にユアに説明された通り、首に下げた通行札を取り出して見せる。門兵は札に示された内容に間違いがないか繰り返し尋ね、札の確認が終わると街での禁止事項(概ね、犯罪行為の禁止といった当たり前の内容だった)を伝えた後、ようやくラントを開放した。
ユアは早々にソリを持って門の先に進んでいた。ラントを待つ間、頭巾や袴、荷に付いた砂を落としていたようで身綺麗になっている。
内心で門を通してもらえない不安のあったラントはユアの放任した態度に不満を持ったが、すぐに別のことに気がとられて辺りを見渡した。
門や外壁の鈍い灰色の石材とは異なり、赤茶や黄土の土材らしき壁の家々が門を正面にまっすぐ伸びる通りに並んでいる。
その通りを横切るように空に色とりどりのタッセルが下げられている。同じく鮮やかな織や編が通りを彩っており、日が落ち始め冷たくなった風がそれらを揺らしていた。
「綺麗だ」
徐々に店先や通りの灯りが点り始めると、街はいっそう幻想的な姿を見せた。
先ほどまでの不満はどこへやら、ユアの先導を心半分に
「あれは何?これは?あ!あっちに…!」
と羽織の砂を落とすのも失念してはしゃぐので、ついには人にぶつかり相手の荷を撒いてしまった。
「あっすみません…!」
足元に転がった芋を拾い集め、持ち主の方へ向き直る。ぶつかった相手はヒトと変わらないくらい小柄だったが獣人のようで特に怪我はないように見えた。
「大丈夫?本当にごめんなさ…」
と芋を差し出すと、ラントが言い切る前にその手から芋を奪うようにして受け取り、ラントを一にらみして走り去ってしまった。
ぽかんと驚いてその獣人が去った道を見るもすでに人混みに紛れその姿は見えなくなっていた。
「ラント?どうかした?」
「いや、ちょっと人にぶつかって」
ぶつかった相手がその場に留まっていないと分かると心配することはないというようにユアはまた歩き出す。
「余所見はほどほどにしな。場合によっちゃ怪我させるよ」
ユアの言う通り、獣人とヒトではほとんどの場合その体格に大きく差がある。ラントもその例を漏れず、こうしてヒトの街を歩くならば気を付けなければならないのだが……。
前を行くユアはラントから見てつむじが見える背丈であるものの、ヒトの中では男に引けを取らない体格をしている。生来の身長と鍛えられた身体のおかげで頭巾を被れば、一目で女だとわかる者はほとんどいない。
そのユアと日頃過ごしているおかげで、ヒトに気を付けるという感覚が欠けているのだろう。
冷静になって周りを見てみれば、自分の膝の高さもない子どもが連れられている。前をユアとソリが先導していなければ、下を向いて歩かないと蹴り飛ばしてしまいそうだとラントは思う。
それからは足元に気を配りながら後ろをついて歩いた。門からまっすぐ続く大通りをさらに進むと突き当たりが四又に別れた道になっていた。
ユアは向かって右から数えて3つ目の道に進んでいく。大通りに比べると人気のないものの灯りは絶えず続いている。どうやら居住区のようだった。
住民であろう者の視線を感じながら砂利とソリが擦れる音を響かせて歩くこと数刻。
ユアは何の変哲もない住宅の前に立ち止まるとコンコン、コンコンと4回扉を叩いてからガチャリとその把手を回した。
ラントもそれに続こうとして、体中に砂がついたままだったことを思い出した。羽織を脱いで軽く叩いてから扉に向きなおる。
ラントには少し小さい扉に花のあしらいが施された小さい把手がついている。かわいらしいそれをそっと回し、体をかがめるようにしてラントは中へと入っていった。