ラーシ砂漠 -1
「暑い.......」
デヤ海の海岸沿いであれば、同じ砂漠でももう少し暑さが和らぐだろうか。
そう独言ながら、ラントは丈長の羽織の裾を掴みパタパタと振った。長時間歩き続けて襦袢と袴に汗が張り付いている。
頭から足先まで汗で蒸れていた気持ち悪さが空気に触れることで軽くなるが、それも一瞬のことだ。
体毛の長い獣人にとって暑さは天敵とも言える。しかしいつものように半裸でいれば砂で痛い目をみるのは分かりきったことだった
獅の獣人の中でも体力には自信があったのだが、暑さにバテて、彼の足取りは重くなっていた。
歩みは遅くともラントの足跡は砂と空以外ない景色の中、影となって一直線上に点々と続いている。それは後方にだけでなく前方にも伸びていた。
足跡の先に目を凝らすと陽炎に揺れた、人であろう影がうっすら見える。
ラントは地面に残された足跡とその影を見失わないようにどうにか足を進めていたのだが、そろそろ本気で置いていかれる気がしていた。
「......ちゃん。......ユヤ姉ちゃん!」
咆哮のような大声で前方の影に呼びかけると、かなり距離があったはずだが影が振り返ったように見えた。
さらに歩みを進めてその影が立ち止まっていると分かるとラントは安堵と同時に「着いていく」と豪語した出発前の自分を思い出してため息をつくのだった。
―――
袴に頭巾を身につけ背に弓、腰に得物を備えているユヤと呼び掛けられた人物はラントと同じく重着であるにも関わらず軽やかな動きで荷を下ろしている。
ラントがユヤに追いつく頃には簡易テントを立て終わっていて、空を見上げ時間を確認しているようだった。
ラントが追いついたのに気がついて振り返る時、紫の袴に施された袖口の刺繍がラントの目に光を映した。
眩しくて目を細めるように顔向けると、ユアはラントに座るよう促す。
「もう疲れたの?」
そう言い、ソリから下ろした荷の中から竹筒を取り出し差し出してくる。
ラントは内心ムッとしてつい「暑くなっただけ」と返して、受け取った竹筒のぬるくなった井戸水で喉を潤した。
実際あとどのくらい歩くのか気になるところはあるのだが、疲れたと言っているようで疑問を口に出すのは憚られた。
ユアはこの暑さの中にも関わらずたいして汗をかいていないように見える。実際のところはいつもの『鍛錬で』そう見えないようにできるのだろう。
砂地であろうと荷ソリを引こうと普段と変わらない速さで歩いていくものだから、本当にヒトで女なのか疑わしい。
こういうユアへの驚きと疑惑はラントの脳内で何度も繰り返されていて最近は『ユアだから』で思考が終結するようになっていた。
目を伏せて表情を変えないユアから頭上に目を移す。簡易テントは旅には必須と言えるほど汎用性が高く、このように日差しを遮ったり雨を凌いだりできる。
テント内を常温に保つ呪いのおかげもあり、先刻、体の内側まで巣食っていた熱はすっかり引いていた。もう一度水を含み、ユアの方を見るとこちらを見る瞳と目が合った。
「半分まではきたから休みなしで歩くけど......」
大丈夫か、と聞いてくる瞳に頷く。口元まで頭巾に覆われていて表情はよく見えなかったが、ユアは目を細めて頷いたように見えた。2人でテントを畳みソリに積み直した。
「俺が引くよ」
ユアの手からソリの引紐を取る。ユアは何も言わずにそのまま前を歩き始めた。
今までの旅とは違い、今回はユアとラントの故郷を大きく離れる長旅となる。この暑さは想定外だったが、ユアの旅に着いていくために鍛錬は積んできた。ここで帰されないためにもできるだけ自分を追い込んで暑さに慣れなければならない。
ユアもラントの気合の入りようは知っているし、命の危険があるまでは好きにさせてくれている。
(期待に応えたい)
陽は先ほどよりも強く照りついていたが、エユゼの街に着くまでラントはユヤから離れることなく歩き続けたのだった。