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春の陽気の中、外からは五月蝿いくらいに小鳥達の鳴き声が聞こえる。太陽は今日もはりきって仕事をしているようだが、家の遮光カーテンはきっちり仕事をこなしてくれているらしく、窓から侵入しようとする日光をしっかりと塞いでくれている。
誰にも俺の眠りを妨げさせ──
「×××起きなさーい」
そんな中、母さんの声が来襲する。
日光からはしっかりガードをしてくれたカーテンも、音は守備範囲外と知らん顔だ。いつもなら飛び起きるところだが、しかし今日は週末土曜日休日なのだ。ここは聞こえないフリ、だってまだまだ眠い。
昨日は初めての給料日で、それに格好つけて新人歓迎会があり、無茶苦茶先輩達に呑まされたんだから、もう少し眠らせてくれ……。
痛む頭を少し持ち上げ目を開ける。枕元に置いてある時計はすでに九時を回っている。平日なら大遅刻だが今日はお昼まで寝ていても、怒られないはずだ。
俺は二度寝をする事に決めこみ、再度布団に頭からくるまる。薄情なカーテンに頼らず自ら音のシャットアウトを試みる。この布団こそが俺の鎧だ! 今日は徹底抗戦するぞ。
防御を固める俺に、更なる追撃の声が届く。
「○○○ちゃん来てるわよ、今日デートなんでしょ?」
あれ、今日だっけか? 就職祝いでご飯食べに行こうって約束してたような……してないような……。微睡む重い頭を活動させようとするが、やはり睡魔には勝てず再度瞼が落ちる。視覚を暗闇の中に閉ざしたことにより、より聴覚が過敏になる。その耳に階下での会話が聞こえて来た。
「ごめんね、○○○ちゃん悪いけど起こしに行ってくれる?」
「りょーかい、お邪魔しまーす」
トントントントンっと軽快に階段を上がって来る音が聞こえる。これは二度寝を諦めないといけないか。せめて部屋に突撃される前に体くらいは起こそうとするのだが、気怠さからか力が全く入らない。
結局体も起こせないまま横になっていると、ノックも無しにガチャリと扉が開き、そこから飛び込んで来た人物を俺は布団の隙間から確認する。
白いワンピースに薄ピンクのカーディガンという季節に合わせた春色の服装が良く似合っている。栗色の髪をポニーテールにし、朝日より眩いばかりの笑顔を満面に浮かべている少女。いやもう二十二才のはずだから少女ではないな、童顔のせいで高校生くらいに見えるが幼馴染の○○○だ。
階段を上がってきた勢いそのままに、トトトトっとベッド縁に駆け寄って来ると。
「まだ寝てるの? さあ早く出かけるわよ!」
いまだにベット上で横になっている俺を乱暴に揺する。本来なら一刻も早く起きなければいけないのだが、俺は揺するのに伴い目の前でユラユラと揺れている、大きな双丘に目が釘付けになっていた。ワンピースは胸元が緩く、大きく隙間を空けている。お陰でふよんふよんと動く、柔らかそうな山や谷間彩る可愛いレースまで丸見えである。駄目だ……逆に起きられなくなっちゃう。
その瞬間思い出した。今日は就職祝い名目で一日デートをすると決めていたことを。
午前中は買い物で、昼過ぎからは某アトラクションに行きパレードを見た後近くのホテルで遅めのディナー、その後は遂に──。
なんでこんなにも大事な事を忘れていたのだろう、今日は一世一代の日だったじゃないか!
長かった……幼稚園から一緒。小学校は何も気にせず一緒に遊び回っていたが、中学時代に意識し始めて、付き合い始めたのは高校に入ってから、同じ大学へ無事進学して、そして就職を機にもう一歩進んだ関係になるため今日二人は……いけない! 視覚情報と妄想からいろんなところが盛り上がって来そうだ。
とりあえず起きてるよと声にしようとするが、もう少しこの絶景を眺めてからでもいいよね。それにしても眠い、眠すぎる。
「今日は就職祝いにご飯奢ってくれるって約束でしょ――」
俺が奢るのかよ……就職祝いなら俺が奢ってもらうんじゃ……ないのか……でも社会人だ……し、今夜……の、こ、と……考え、ると……駄目だ、なんだかすごく眠たい……でも起きなきゃ──
(ねえ、ねってばー。もーー)
落ちていく意識の中で○○○の呆れる声が聞こえた――
◆◇◆◇◆
(魔力炉の再構築……開始)
(肉体復元70……78%……)
(魔力炉再構築……完了)
(肉体復元86……90……)
(ダンジョンコアとのリンク……開始)
(肉体復元98……100……復元完了)
(ダンジョンコアとのリンク……リンク……リン……)
◇◆◇◆◇
「ねえ、ねえ……」
ゆさゆさと体を揺すられている。
「起きてよ、ねえ……」
耳元から女の声が聞こえる、なんだよ俺はまだ寝てたいんだ。
「いいからはやく起きなさーい」
ドンという衝撃を体に受け、微かな浮遊感の後にまた衝撃。ひときわ後頭部に強い痛みを感じベットから落ちて頭を床にぶつけた事を自覚する。最悪な目覚めだな。
「痛って~な。○○○なにするん……だ……」
後頭部を押さえながら目を開ける。だがこれはなんだ? 俺はまだ眠っているのか?
目が覚めて感じたのは頭に残る鈍痛と、体が濡れている不快感。目をあけると見慣れた部屋ではない……どこだここは? 頭上に天井ではなく。天高く昇ったお日様がそのまま見えた。
周りには窓もなく……それどころか壁。というより岩壁。フローリングだったはずの床も、石に早変わり。何かの液体を盛大にぶちまけたようで、大きな水たまりができている。その濡れた床に直接座っているので下半身が冷たい。そしてさっきからお尻も痛い。
なんだよこれは? 意識がまとまらない気持ちが悪い。頭がガンガンする。
「何処なんだここは?」
記憶がはっきりしない。今日は何曜日だ? 昨日は何をしていた? あきらかに俺の部屋ではない。洞窟? なぜこんな所で寝てる? なんでびしょ濡れ? ひょっとして漏らしたのか? あまりの異常事態に思考が追い付かない、寝ぼけていた意識に覚醒をうながす為、ピシャリと頬を両手で叩いた。
「やっと目を覚ましたわね」
不意に後ろから声をかけられ恐る恐る振り返る。さっきは気がつかなかったがそこには一人の小さな人影があった。
「だ、誰だ?」
洞窟の入り口から射しこむの逆光と、全体的に黒い服装と相まって見え辛いが、身の丈よりも長い棒を持った人影がじっとこちらを見つめていた。
「起きてはじめての挨拶は、おはようでしょ? お寝坊さん」
呆れるようにそう言ってゆっくり歩いてくる。近づくにつれ、見えづらかった姿がはっきりと見え始める。子供?
「大丈夫よ何もしないわよ、そんなに怖がらないの」
自分でも気がつかないうちに後ずさりしていたようだ。訳の分からない事ばかりで警戒する俺に、やれやれとばかりに首を振りつつ溜息をつく女性。いや少女か?
「危害を加える気はないわ」
杖を後ろ手に隠したと思うとパッと杖が消えた。再度両手を前に出した時には──。
「これでも飲んで落ち着いたら?」
まだ新しそうな青々とした竹筒を持っていた。
確かに緊張のせいか口の中はカラカラになっていた。だが、いきなり見ず知らずの他人から貰う物をとても口にする気にはなれなかった。
「なに、怪しんでるの? それとも飲み方がわからない?」
少女は竹筒の上部にある木の栓を抜くと、コクコクと小さく喉を鳴らして目の前で飲んでみせた。
「こうやるのよ。ねっ大丈夫でしょ? まずは飲んで落ち着きなさい。話はそれからでも遅くないわ」
再度差し出された竹筒を反射的に受けとる。信用した訳ではなかったが、確かに酷く喉が渇いていたので思い切って飲んでみることにした。
少量を口にふくみ、一気に喉へと流しこむ。その途端、鼻の中をフルーティーで華やかな香りが走り、ほんのり甘みを残しつつまろやかで優しいのど越しを感じながら胃の中へと落ちる。すると、お腹の中からジワリと温かさが広がった。
「てっこれお酒やないかい!」
一口飲ん瞬間気がついた。まさしくアルコールの味だ。少女が普通に飲んでいた事から、水かと思ったらお酒とか……どう見てもこの子未成年だよな?
「そうよ? 度数の低い酒だから水みたいなものでしょ?」
「いや、なにその発想……おかしいだろ。お酒はお酒だろ? それに君、未成年じゃ……」
少女は軽く首を傾げると腕を組み、呆れたように。
「わたしがお酒も飲めないような子供にでも見えるの?」
どう見ても見えますが? 小学いや中学生くらいか? 12、3才くらいにみえるけど……ダボダボな黒いワンピースに、ファッションなのか胸元に破れたようにセクシーな穴が開いているが谷間は皆無。年相応かもしれないが、第二次性徴を迎えていれば多少のふくらみくらいはあっても良さそうだが、残念ながら見事なまでのぺったんこだ。
ボブの黒髪、頭に黒い三角帽子をかぶり杖を持っている。なにこの子、魔女のコスプレなの? ハロウィンは大分前に終わっているはずだよな、秋のお祭りだし。あれ冬のお祭りだったけか? どちらにせよ春ではないよな。
「思いっきり見えるけど、いくつ何ですか?」
世の中見かけによらない何てことはいくらでもあるし、思わず敬語で聞いてしまう。
「女に年を聞くもんじゃないわよ」
ですよね~知ってます。なら年齢を自分から言ってくれればいいのに。そのくせ「いくつに見える?」的な正解のわからない質問をされて困るんですけどね。あれってなんて答えるのが正解なんだ?
いきなりお酒を飲まされた事には驚いたが、おかげで体の中からポカポカと温まり確かに気持ちは落ち着いてきた。
「ありがとう、魔女っ子さん」と言って竹筒を返す。
「魔女じゃないわ、でも大分落ち着いてきたようね、良かったわ。さっきまでは捨てられた子犬よりも怯えていたわよ」
確かに先程まで感じていた恐怖が幾ばくか薄れてきていた。お酒の力かな? 目覚めて直ぐの、何も分からない不安からきた気持ち悪さもなくなっている。
「それで君は?」
「私はユリア、ただの人間よ?」
「何故疑問形……。それに――」
少女の格好を改めて見直す。黒い三角帽子だと思っていたのは帽子ではなく、黒い三角巾のようなのを頭につけていた。でも全体的には黒一色でやはり連想するのは魔女なんだが。これってやっぱり。
「コスプレ?」
「誰がコスプレよ!」
誰って、そんな格好しているのは目の前の少女しかいない。不愉快そうな顔をしていたユリアと名乗った少女はスッと目を細めると。
「で、あなた……名前は?」
名前? そういえば名乗っていないな。俺の名前は……あれ?
さっきまで夢の中でも呼ばれていたはずなのに思い出せない。父さんの名前も、母さんの名前も、それにあいつの名前も──
「名前よ、名前……ひょっとして思い出せないの?」
すぐに名乗らないどころか、沈黙している俺に心配そうに聞いてきた。
なまえ、ナマエ、名前、俺の名前。
なぜだ自分の名前がなんで出てこない?
「思い……出せない」
「そう……なのね……。いいわ、それなら私がつけてあげる!」
「いや、つけるなよ」
拾った動物じゃないんだから、わからないならつけるっておかしくないか?
でも、どうやらそんな俺の考えなんてお構いなしのようで。名前を考えるそぶりも見せずに、わずか1秒の早業で片手を腰にもう片方をビシッとこちらに指を指し堂々とポーズを決める。
「あなたの名前はカナメよ!」
満面の笑みを浮かべ、まるで決めていたかのように勝手に俺に名前を付けるツルペタ少女。
二日酔いから目覚めたら、迎え酒もらったあげく勝手に名前を付けられた……。
ナニコレ?