【エッセイ】翁長沖縄知事で思うこと
訃報の第一報は何気なく職場で流れていたテレビの速報だった。
どうやら体調が良くないということを知らないのは私だけで、私以外は「やばいらしい」ということを知っていた。
亡くなるには早い年齢だ、私の上司と同い年であるし、なによりも元気に政府に「抗議」している姿しか目に浮かばない、かりゆし姿の勇士だ。
私は翁長沖縄知事のことをほぼ知らない。
バックグラウンドや、人となりを知らない。
本来、サーチして書くべきところだが、あえて、何も知らないまま執筆しようと思った。
なぜなら、翁長知事を知らないことが、マジョリティではないかと思ったからだ。
加えて言えば、沖縄の現状も知った気でいるかも知れない。
事実、今沖縄に復帰して何年め?と聞かれると答えられない。
「勉強不足」と言われればそうだが、私と同様、何年目の日本なのか答えられない人は、果たしてマジョリティなのかマイノリティであるのか、どうだろうか。
数年前、具志堅用高氏が自信の幼少期の思い出をドル建てで回想していた。
もちろん、沖縄が米軍によって支配されていたことは当たり前の史実として知っていたが、身近な話題として心に刺さった話だった。
沖縄は激戦地となり、悲劇の地であり、その後何十年と渡り苦労を強いられた、
私の知識は教科書とイメージと時折報道される米軍による悲惨なニュースと数ある戦争のドラマだけだ。
そんな中で翁長知事は私の中で生きる沖縄の歴史であった。
ここで翁長知事を肯定するか否定するかと聞かれたら、私のスタンスは限りなく否定派に近い。
しかし、翁長知事の自分の方法で沖縄を守ろうとするぶれない姿は、尊敬に値するのではないかと思う。
経済界、政界で良しとされる沖縄の「犠牲」を、文字通り命がある限り阻止しようとした。
あえて「本土」という言い方をするが、本土の人間は翁長知事をどれほど笑ったことだろう。
辺野古への基地移転を直談判で自国の首相へ訴えに言ったとき、「会いませんよ」とプレス会談だけで菅官房長官に一蹴されたとき、我々本土のマジョリティは「そらそうだ」と笑った。
我々本土の人間からして沖縄というのは沖縄であって、東京、大阪、福岡、などとはちょっと違う感覚なのかも知れない。
沖縄は紛れもなく日本であるにも関わらず、沖縄という特別な地でもある。
それは、言葉や文化が独特で、気候の違いがあるため、日本であるが特別、という感覚が根強いのかもしれない。
「それは差別だ!」と声を上げるのはわかるし、実際そうだと思う。
私が勤める会社にも沖縄出身の人が数名いるが、遅刻をした際に言われることは
「沖縄の人だから」「沖縄タイムだから」といった言葉だ。
それは、遅刻する彼らにも責任があるかも知れないが、この言葉を使っている時点で差別意識がないとは言えない。
しかし、本土の人が遅刻をしたらなんていわれるだろうか。
少なくとも例えば「和歌山タイムだ」とか、「山梨の人だから」なんて言葉は言われないだろう。
翁長知事亡き今、政府はこれまで以上にスイスイと辺野古に基地を立てるであろう。
目にする美しいさんご礁がコンクリートで埋められていく姿をニュースで見て、
心を痛める本土の人は少なくないであろうが、数分後のスポーツニュースでそれも忘れることだろう。
今回の翁長知事の件で、私が最も強く思ったことは、果たして自分の信念を声にすることがそれほど可笑しいことだったのだろうかということだ。
美しい自然を守りたい、人々を守りたい、自分の方法で沖縄を守りたい、とどれだけマジョリティから笑われても声を上げ続けたことは、好き嫌いを抜きにして尊敬に値しないだろうか。
それでもマジョリティの中には嘲笑う人がいるであろう。
そういう人たちは、物事をフェアに見ることができない人たちだと思う。
しかし私もまた、ご逝去された後だからこういう風に感じている側面がある。
翁長知事が今も講義活動をしていたとするなら「まただよ」と感じていることだろう。
自分自身の短絡的な性格を、思い知らされた気がしてならなかった。