当て馬姫の受難⑧
「ダンスをするあなたにみんな見とれていますよ。」
「あ、あの…。」
(それはあなたのリードがうまいからです。)
そう返事をしたかったが、ユリアーデの口からは言葉とも言えない台詞が出てきただけだった。彼のリードは完璧で、こんなに伸び伸びと踊ることができるのはユリアーデにとって初めての経験だった。
「さぁ、もう少し私に身を任せてください。」
「あっ。」
男は優しくユリアーデの体をより密着させるように抱き寄せてくる。すると、彼から色っぽいムスクの香りが漂ってきて、ユリアーデは顔が真っ赤になってしまった。
「…ずいぶんとうぶな方だ。」
「え?」
男が何かをつぶやいたのが聞こえたので、聞き返したが「何でもありませんよ」と答えただけで、何を言ったかは教えてくれなかった。
「さぁ、もう少し私に身を任せて。」
「は、はい…。」
ユリアーデはおずおずと自分の体を男へとより密着させる。すると、男はにっこりと笑って「いい子だ」と笑ってくれた。
(もう22歳にもなるのに、いい子だなんて。)
ユリアーデはうつむきながら、頬を赤く染める。全く表情が変わらない自分は、どうもいつでも冷静沈着な女だと思われているらしく、「いい子」なんて本当に小さな時にしか言われたことがなかった。
(どうしてかしら…。こんなにもうれしいなんて。)
ユリアーデは自分でも知らなかった自分を知ったような気がした。
(私って以外に子供っぽいのね。)
そんなことを考えていると。気づけば長かったダンスも終わりを迎えようとしていた。
ユリアーデは男の腕の中から離れ、一礼した。
「ダンスのお誘い、本当にありがとうございました。」
「いえ…。ただ男を見る目を少し養ったほうがいいかもしれません。あなたにはもっとふさわしい男がいる。」
「え?」
男が突然身を寄せてきて、耳元で囁いてきた。
「あのような小僧では、あなたを満足させられない。ロリコン趣味の男など忘れてしまいなさい。」
「あっ。」
どうやら、この男は先ほどのベルグリード伯爵とのやりとりを見ていたようだ。
(この方に見られていたなんて!)
なんて恥ずかしいことだろう。こんなに美しい人に、あんなに醜い所を見られてしまった。男に置いてきぼりにされる哀れな女の姿を見られてしまっていたのだ。
「お騒がせして申しわけありませんでした…。」
この場から今すぐ消えてしまいたいと願うユリアーデは早口でお礼を言って踵を返そうとした。
「あなたは美しい月光のようだ。信じられないほどに美しく、そして儚い…。手に入れたと思ってもこの手をすり抜けてしまのでしょうね。」
「あの、お、お離しください。」
しかし、男はユリアーデを逃がさず、その手をつかんで、ぐっと引き寄せてきた。どうやら最後のダンスだったようで、周囲の男女もまだ雑談をしているおかげで、異常に密着する二人の姿は悪目立ちせずにすんだ。しかし、それはユリアーデにとっては喜ばしいことではなかった。
(顔が!近すぎるわ!)
ユリアーデは男の顔から少しでも離れようと身をよじるが、男はその手をゆるめようとしない。
「その光をどうか私だけのものにしたい…。どうか口づけすることを許していただけませんか?」
「あっ…。」
どんどんと男の整った顔が近づいてくるが、固まったユリアーデは一歩も動けない。
(どうしよう!こんなこと初めてだわ!キ、キスされてしまう…!)
そう思ったときだった。
「ガルシアン卿!ユリアーデから離れなさい!」
聞こえてきたのは怒気をはらんだエファニエルの声だった。どうしてそんなに怒っているのかと、ユリアーデが疑問に思った時。
「ちっ、時間切れか。もう少しだったのに。」
耳元で、先ほどとは幾分が崩れた言葉づかいが聞こえてきた。
「きゃあ!」
真剣な顔をしていた男がエファニエルの声を聞いたとたんに、くしゃりと崩れた笑顔を見せ、おもむろにユリアーデの頬にキスをしてきた。
「それでは、ユリアーデ嬢。またお会いできるのを楽しみにしてますよ。」
「ちょっと待ちなさいよ!」
「それでは!」
肩を怒らせて近づいてくるエファニエルから逃げるように、男は手を振って去っていった。
「ユリアーデ、大丈夫?あいつに変なことされてないでしょうね!」
「あ、あの。」
「ユリアーデ?」
エファニエルが心配げな顔で問いかけてくるが、ユリアーデは先ほどの男の真剣な顔を思い出して、まともに返事ができなかったのだ。




