人間パニクったら逃げ出す生き物なんです
「帰りたい……」
「瑠依のそれは、口癖なのか?」
苦笑を滲ませながら冥官に聞かれて、俺はきぱっと言い切る。
「いえ、呼吸と同じです。人間三大欲求だから仕方ないでしょう?」
「そうかあ」
肩をすくめて笑うばかりの冥官を、じっとりと見上げた。
「そもそも、俺がお布団に潜り込めていないのは、誰のせいなんですかねえ……」
「雇ったのは、フレアだな」
「ぐぬぬ」
唸る俺にまた笑って、冥官は顔を月の方角へと向ける。
「新月の夜というのは、月読命の加護が薄れるせいで、妖の類が跳梁跋扈しやすいんだ。まあ、中には満月の夜に最大の力を振るえる種族もいるが……鬼は、前者に分類される。新月は、瘴気が濃くなるからな」
「すみません、そーゆー厨二的知識をするっと納得出来るほど、俺の中二病は重症じゃなかったんです」
すちゃ、と手を上げてストップをかけるも、冥官はスルー。構わず説明を続けてるけど、それ以上何か言っても、俺全部つるっと忘れるよ?
「まあ、そう言うわけで鬼狩りは基本新月に見回りをする決まりになっているんだが……、人鬼もまた、新月に力を得る。通常の鬼の見回りのつもりで、人鬼に出くわす可能性もあるんだ。だから、鬼狩りの研修最後に、締めくくりとして俺と人鬼狩りを経験するわけだ」
「……帰りたい」
「結局そうなるんだな」
肩をすくめて、冥官は月を見ていた顔を俺に向けた。俺は大きく頷く。
「俺は未だに鬼狩りにさせられた事を納得していませんし! 彰か拓が帰ってきたら秒で押しつけて帰ってやる!」
「ああ、突然失踪したっていう瑠依の親戚か。あの2人は確かに、適性はありそうだけどな」
「でしょう!?」
「けれどその場合、2人「も」鬼狩りになるだけで、瑠依はこのまま続ける事になるんじゃないか? 研修も無事こなせたわけだし」
「えええええ」
冥官の容赦なさ過ぎる宣告に、がっくりと肩を落とす。1度入ったらやめられないとか、ブラック過ぎるぞ鬼狩り局め。
「瑠依は素直だなあ。……けど、お喋りはここまでにしようか」
すう、と冥官が目を細める。ぴりっと空気が痺れたような感じがする、嗚呼帰りたい。
うん、分かってる。この緊張感は明らかに人鬼が出るんだって分かってるけどな。だからこそ帰りたいだろ、よく分かんないけど人鬼って普通の鬼よりやばいらしいし。
「うう……」
けど、そんな事言える空気感じゃなかったので、呻きつつ数歩下がる。予め用意しておいたローソクに神力を込めて、結界を張った。
「よし。取り敢えず、そこで俺の戦い方を見ていてくれ。タイミングを見て、呪術を使って貰うからな」
「あのう、冥官だけで狩るという選択肢は……」
「そりゃあ俺1人ならあっという間だけどな。これは瑠依の研修だから」
「帰りたいぃ……」
結局漏れ出た嘆きにも構わず、剣を右手にひっさげた冥官が、すいと前に出る。
『────────!!』
言葉にならない鳴き声が届くなり、全身に鳥肌が立った。
「な……っ」
「覚えておけな、瑠依。言葉も思い出せぬほど感情に堕ちたモノ。それが、人鬼だ」
言葉にならない悲鳴を受けて、冥官は淡々と言う。
……こんな、のが。元々、人間だってのか。
あらゆる負の感情を詰め込んで煮詰めたみたいな、赤黒く染めた瞳が俺を睥睨する。ひくっと息を呑み込んで、1歩下がった。
……怖い。
「人鬼は1度堕ちたら戻れない。人間に戻ることは出来ない。だから、鬼狩りが滅するんだ」
こんなときだってのに、冥官が冷静に解説している。その半分も耳に入らない俺は、冥官が迷わずソレを斬りつけるのに、思わず悲鳴を漏らした。
「ひ……っ」
鮮血が飛び散る。
人を斬ったんだから、血が出るのは、当たり前だ。……当たり前だけど、その当たり前に、俺は恐怖した。
なんだ、これ。これじゃあまるで、殺人じゃんか。何で俺、現代日本で、殺人を強要させられてんの。あり得ない。怖い。おかしい。
混乱した俺に、再び鬼の咆哮が突き刺さった。
『────!!』
怒りのような、嘆きのような。ぐちゃどろに詰め込んだ負の感情を吐き出すような、声の圧を、まともに正面から受けて。
頭が真っ白になった俺は、気が付けば結界も何もかも忘れて、全力で駆け出していた。
「瑠依!?」
冥官の驚くような声にも止まらず走りだした俺を、動く的とでも思ったのか。
『────!』
人鬼の鳴き声が、後を追った。
「いやぁああああああ!?」