人間、思い出したくないことのひとつやふたつあるんです
「……と、いうわけだ。案の定っつうか、24時間経った今も訓練所に籠もりきり」
「……あっそ」
本人の意思丸無視で入院させられた医務室にて。
薬の効果がようやく切れて目を覚まし、最終診察で問題がない事を確認されてようやく帰ろうとしたところで、竜胆がふらりと顔を見せた。
契約相手である瑠依本人は全く理解出来ていないが、竜胆はその体質故に、契約者と行動するか、冥府の寮に待機するかのどちらかを義務づけられている。暴走した際に対処出来る人間が側にいるように、という話だが、逃亡対策の監視も意図されているのだろう。
真実については、尋ねても明確な返答は返ってこないだろうから保留にしてあるが、それはともかく。冥府で生きていく事に強迫観念を覚えている竜胆が、わざわざその言いつけを破るとも思えない。前に瑠依を置いて冥府に向かう時ですら、こちらに連絡を寄越させたくらいだ。
怪訝に思ったのを表情から読み取ったらしい竜胆が、苦笑混じりに馬鹿の身の上に降りかかった出来事を説明してくれた。完全なる自業自得だし、迷惑をかけられまくってきた体質の改善に冥官が乗りだしてくれたのは、俺としては利がデカい。
……が、まあ、しかし。流石に、ほんの少しだけ、同情する。
「あの野郎の訓練はえげつないからな……むしろ24時間良く生き残ってるな」
「え」
しみじみとした俺の物言いに目を丸くした竜胆は、どうも冥官との関わりはほぼなかったようだ。何の為かやたらと対外モードをひけらかしていた今回の冥官を見ていれば、確かに真っ当に訓練する様な人格に見えるのかもしれない。
が。
「竜胆……あの瑠依が回れ右で逃げだそうとしたっつー事実を甘く見るなよ。あの野郎、頭おかしいぞ」
「はあっ?」
驚いた声を上げたのは、まあ、馬鹿を評価するような発言をしたからだろう。瑠依を「馬鹿」と評するのが最適解だと結論付けてはいるが、それでもただの馬鹿じゃない事もまた確かだ。
「俺や竜胆相手に1度も怯えない瑠依が、冥官に関しては全力で距離を取りたがっているって意味くらい考えろ」
「……いや、瑠依は疾には十分過ぎるほど怯えてる気がすっけど」
ぼそぼそと呟かれた言葉はスルーする。あれは1年かけた躾の成果であって、本能で怯えているわけではない。初対面時から、さして怯えられた記憶もない。
まあ、それはともかく。
「……冥官は、本当に、ほんっっっとうに、容赦しねえからな」
「だからそれは疾も同じじゃ……」
「その俺がここまでと判断したズタボロ相手に、迷わず追い打ちかけるくらい」
「…………え゛」
竜胆が硬直した。顔を思い切り引き攣らせる半妖に、真顔で頷いてやる。
「あれが「訓練」と言いだしたら命の覚悟は必須だぜ。ついでに、「人間が1番力を出すのは命がかかった時」とか素で思っていて、平気で実行するからな。で、死の淵から無理矢理呼び起こす」
「…………えぇと」
「多分、今頃帰りたいだなんだ叫べる余裕もなく、一方的にフルボッコにされているんじゃねえの」
あるいは、と口に出さずに予想する。あるいは、未だにひたすら逃げ回って、あの冥官相手に「なんら成果も無く時間だけが過ぎていく」、という奇跡が起こっているかもしれないが。瑠依の何故か死なないあれは、異能なんじゃないかと疑ったりもしている。
──もっとも、力の発動が「視え」ないのだから、あり得ないとも分かっているが。
「……なあ、疾?」
「あ?」
「そんだけ言い切れるっつうことはさ……経験でもあるのか?」
「…………」
いきなり人が触れて欲しくない部分に疑問をぶち込んできやがった竜胆に、俺は腕を組み、たっぷりと間を置いてから言ってやった。
「──竜胆。恥を知らない馬鹿ばかりが世の中を占めてると思うんじゃねえぞ。人間、聞かれたくない事の10や20は持っているんだ。その思い付いたら全部尋ねていく残念な行動方針は、今直ぐ修正する事を推奨する」
「あ、つまりあるんだな」
ここまで言ってもやはり深く考えずに結論を出した竜胆は、あの馬鹿と契約しているだけあって、精神的に相性が良いのだろう。
まあ、この流れで誤魔化しても意味がないと分かった上での茶番ではあったので、軽く肯定しておく。
「ある。その時もここに叩き込まれた。あの女が「また」っつってたのはそれだ」
「あー……いつだ?」
「去年の夏前」
……なんというか、竜胆は無意識に物事の核心へ切り込んでいくのが得意なんだろうか。本能的に話の本質を嗅ぎ取っているとしたら、大したものだが。
「……去年……? あれ、それって」
「竜胆」
溜息混じりに記憶を辿ろうとする竜胆を制して、俺は続ける。
「おそらくこのまま会話を続ければ、竜胆が期待した通りの答えが出てくる。が、そこに触れられたくねえからこそ今まで黙っていたと察して、ここで引き下がりやがれ」
「えー……いや、ずっと気になってたんだぞ?」
「そのまま気になっとけ」
「瑠依は断固として言いたがらねえし……」
……トラウマにでもなったか。考えてみれば、あれは端から見ていた方が傷がデカイかもしれない。こっちとしては、根には持っているが引き摺ってはいないんだがな。
「……はあ」
まあ、同じ鬼狩りにこの程度の思い出話を語ったとしても、デメリットは少ないか。言葉さえ選べば支障は無い。
「……あの馬鹿が戻ってくるまでな」
線引きにもならない条件付けをして──そう直ぐに戻ってくるとは思えない──、俺は記憶をたぐり語り始めた。
*****
「うーん、なかなか進まないな。ちょっと休憩にしようか」
「…………」
無理。もう無理。ホント無理。
床にへばりついた俺は、ひたすらそれだけを思っていた。
何この人。分かってたけどやばい。意味分かんねえ。
ただひたすら延々と術ぶっぱで追い込んでくるって何なの? しかも結界張ると刀で叩き斬るって馬鹿なの?
俺に恨みでもあるのか、殺す気かと割と本気で疑ったけど、どうもこの人、100パー善意の行動っぽい。帰りたい。
世の中そういう訳の分かんない気遣い紛いが、他人を追い詰めちゃうんだぞ? やる気を出させる合宿とか言ってメンタル追い詰めちゃった話とか良くネットに流れてるじゃん、本当に良くないって。
それもこの人の場合メンタル追い詰めるなんて話じゃなく、マジで殺されかねないし。何で結界切り裂いてそのまま刀振り上げてくるの? 訓練だろこれ?
「瑠依もさ、術を扱う練習なんだから、逃げ回ってたら意味ないぞ。体力ばかりなくなっていく一方だろう?」
うん、そうだな。でもさ、術を組む時間がないんだよ。俺の呪術は呪術具に意味づけして組み立てて発動するんだから、結界で身を守って作業を行うんだって。その結界をぶった切られたらもう帰るしかないじゃん?
「神力の扱いを学ぶ訓練なんだから、色々試行錯誤しないと意味ないぞ。結界をいつでも張れる状況にあるわけではないんだから、攻撃を避けながら構築していく技術も身に付けないと」
それはもはや後衛の仕事じゃない、チートの仕事だよ。俺の周りが既にチートだらけなんだから、俺までチートになる必要ないんだって。
だからもう、とにかく帰りたい。この際勉強のためでも良い、帰りたい。
「流石に今の神力垂れ流した状態で放置するのは拙いと思うぞ。せめて味方の術を妨害しない程度にはならないと」
「だったら……もうちょい、平和な、方法で……」
呼吸すらひゅーひゅー言ってる状態で、なんとか絞り出した抗議には、なんか訳の分からない返事が返ってきた。
「え? だって本来、神力の制御って精神統一とか滝行とか、ちまちまと地道で時間のかかる方法だぞ? 瑠依、基本そういう地道なの苦手なんだろう? だから1番手っ取り早く身に付けさせようと」
「極 端 !」
ぜーはー言ってても、こればっかはツッコミ入れずにはいられなかった。がばりと起き上がって、俺は握り拳を作って訴える。
「なんで間がないんだよ、デッドオアアライブとか馬鹿なの!? そりゃ俺だって精神統一とかやってらんないけどさ、だからと言って常にマジ死一歩手前でフルボッココースとかもっとやってらんないし!? 身に付ける云々以前に体力気力生命力をがりがりに削られるだけで何も身についてない!」
「えー……疾はこれで相当上達したじゃないか。瑠依だって見ただろう?」
「いじめダメ絶対! 疾と比べられるのも無理ゲー過ぎるけど、そもそもその疾がまずズタボロになってたじゃん!? アレは訓練とは言いません!」
「……おや?」
そこで何で不思議そうな声を上げますかね、俺はフツーにあの光景トラウマですよ? あんな一方的虐殺を見せられて成果があったとか言われても説得力ないから。医務室行きだったから。
「ふうん……これは予想外かな」
「はい?」
「いや、瑠依は疾の事、嫌いじゃないのかと思ってな」
「……はい?」
冥官がまた訳の分からない事を聞いてきた。思い切り首を捻って、ありのままぶっちゃけてみる。
「人の皮被った恐怖の悪魔で、魔術師に対しての扱いがもはや天災レベルのえげつなさで、ぶっちゃけ疾を取り巻く諸々には全力で関わりたくないし帰りたいとしか思ってないですけど。好き嫌いとかそういう……うん、違和感」
なんつーか、そういう普通の感じで疾を見た事ないけども。まあ、嫌いかと言われれば、別に? みたいな? ……いや、まあ、ボッコボコにされるのは勘弁だけども。
「ふうん」
何故かにこりと笑った冥官、意味が分からん。何がしたいんじゃと胡乱げな俺の眼差しもものともせず、さらりと宣う。
「てっきり俺は、嫌いだから人鬼を疾の元に誘導したのかとばかり」
「謂われのない言いがかり!? 待ってそれ疾に言ってないよね!? 俺殺されるよ!?」
「言っていないよ。けど、疾がどう思っているのかは知らないな」
「ちょっと!?」
信頼ならない奴! ここは俺が全力で主張すべきか!
「アレは人鬼の怖さと帰りたさが天元突破して必死に帰ろうとしただけですって! 俺悪くない!」
「うーん、それは疾が納得するかなあ」
「うっ」
それは、うん、微妙だ。
「とはいえあれは、冥官の方が恨まれる対象じゃないんですかねえ……」
「ははは」
いや、はははて。
じっとりと見上げながら、自然俺は、初めての人鬼狩りを思い出していた。