人生終わるかと思いました
「……あ、れ」
気付けば、辺り一帯静まりかえっていた。全身汗びっしょりで、寒い。鳥肌の立った腕を手で擦る。ああ、オフトゥンの温もりに包まれたい。
「……っ」
現実逃避気味にオフトゥンの心地良さを思い返していた俺は、直ぐ側で何かが身動ぐ感触がして顔を上げた。飛び込んできた光景に、目を丸くする。
「……え?」
疾が、座り込んだ俺の足にもたれかかるようにして倒れていた。顔を歪めて、肩で息をしている。
……え? 何でこいつ、何してんの?
「は、疾?」
「……やっと正気に返ったか」
吐き捨てるような声が、現実感を否応なしに引き戻してきた。……ああそっか、俺、人鬼と目が合ってから意識ぶっ飛んでたのか。
「え、っと」
「だから言っただろうが。呪術に中途半端に触れてるせいで、てめえは同調しやすいんだよ。鬼の瘴気に満ちた結界内で、人鬼の感情に無防備に触れやがって」
「……っ」
思い出しかけたのを、必死で頭を振って掻き消す。いやだ、思い出したくない。
「……ま、お陰でどこぞの馬鹿呪術師が暴走して、鬼も鬼を生み出していた充満してた瘴気も根こそぎ吹っ飛んだから、話は早い。とっとと人鬼片付けて、あの役立たず上司や竜胆と合流するぞ」
そう言って、疾はゆっくりと立ち上がった。振り返り、未だ動けずにいる俺を見て、すうっと目を細める。
「おい」
「……」
「瑠依」
「っ!」
低い声で名前を呼ばれて、びくりと肩が跳ねる。それを見た疾は、ほんの少し口元を歪めて。
にっこりと、そりゃあもうにっこりと、笑った。
「──サッカーボールになるのと、呪術紛いを組み立てるのと。好きな方を選んで良いぞ?」
「呪術組ませていただきますっ!!」
もはや脊髄反射的にそう答えて、俺はリュックの中身をひっくり返した。そのまま呪術の準備に入った俺を見てくくっと笑った疾が、今度こそ地面を蹴った。
轟音がするから前を見ると、人鬼が振りかぶった拳を、疾が身を捩って躱したところだった。地面に深々と突き刺さった拳の衝撃波を疾は上手いこと体捌きで受け流して……って待って、色々おかしい。
「人間やめてる!?」
「そうだな、ああいう人鬼こそを人間やめていると言うんだ。その足りない脳みそに刻みつけておけ」
「いや疾は疾で人間やめてるからな!?」
俺の渾身のツッコミは、人鬼が引き抜いた腕に疾の腕が絡みつき、人外の膂力をものともせず動きを止めた所で放たれた。
「だからこれは、人間が作りだした技術だっつう、の!」
言いながら、疾が身体をひねる。人鬼が宙を舞って、地面にど派手に叩き付けられた。わあすげえ、俺のトコまでぐらぐら揺れてる。
「ダウト! ぜーったい、ダウト!」
「不要な場面でのダウトは自爆行為だぜ」
「誰がトランプの話しろって言ったし!?」
言い合いながらも、人鬼の余波で突風が起こるほどの凄まじい攻撃を疾が着実に躱し、逸らし、受け流していく。どうやら今日は投げ技の気分らしく、飛びかかってくるのを次々と吹っ飛ばしていた。
……あれきっついんだよな、疾は1歩も動かないままなのにこっちはゴロゴロ転がされてさ。体力的にもきついけど、心が辛い。
容赦のない疾の攻撃を引き気味に眺めつつ、俺は持ってきた呪術具全部を使っての呪術構築に勤しんでいた。
「えーと、あっちがこうでこっちがああで……げ、やっべ」
けど、途中である事に気付いて顔を引き攣らせる。
「疾!」
「なんだノロマ」
「やばい! 呪術具足りねえ! 瘴気払いきれねえかも!」
「はあ?」
疾が沈黙した。その隙に飛びかかってきた人鬼を掬い上げるようにして、進行方向へ勢いを上乗せして吹っ飛ばす。……にしても、端から見ると半端無い女性への暴力だな、これ。
「……金けちってだっせえ呪術具扱っておいて、足りない? 足りねえのはお前の脳みそだ、二次発酵も大概にしろ」
「人の脳みそを勝手に腐らせるなし!? しょーがねえじゃん、何でか知らないけどごっそりなくなってるんだって!!」
「暴走した時に無駄に消費したんだろう、未熟者。で、どうすんだ」
聞かれて必死で考えたけど、俺に出来る事は何もないという結論に至った。
「疾、根性で何とかならない!?」
「そーか、やっぱりサッカーボール希望か」
「やめて!!」
人を特攻隊扱いするのやめて!? 俺人間だから死ぬよ!?
とはいえ、相手の攻撃をひたすら受け流してじわじわ体力を削るっていう、疾の地道かつ性格の悪い時間稼ぎも、いつまでも続けるわけにはいかねーし。ああもう、せめてローソクの1本でも転がってないかな……!
「……あ」
そういや、あった。
潰れそうだからとリュックの外ポケットに分けておいた、四角い紙の箱を取り出す。冥官から貰ったこのよくわからん術具とやら……もしかして、使える?
「やってみよ」
サッカーボールにされるよりはマシだ。疾はやると言ったら絶対やる。そこに痺れる震え上がる。あいつマジで悪魔だ。
並べた呪術具の中心にポンとおいて、神力を流し込んでみる。すると、墨で書かれた文字っぽい何かが、うっすらと赤い光を纏わせた。
「……わぁ、ほらーちっく」
ホラーハウスにある、特殊な血文字あるじゃん? まさにその感じ。黒一色のこの空間で見ると、ますますおどろおどろしい。
「えーと、ここに置くならこういう意味づけ……って、なんじゃこら!?」
「ったく、今度は何だ……ふざけるな馬鹿野郎!!」
「俺のせい!?」
苛立ったような声を出した疾が、こっちを振り返るなり思い切り怒鳴りつけてきた。理不尽だ、帰りたい。
いや、疾が怒るのも分かるけどな。この威力と規模、フレンドリーファイアなんて話じゃないし。疾の場所から離脱して安全地帯まで逃げ切れるかわかんねーんだから、そりゃ怒るだろうけども。
とはいえちょろっと神力流し込んだだけで、一瞬で視界埋め尽くされる勢いで血文字が溢れ出すとか想像出来るか!! 多分もう疾、俺が全く見えてないよ!?
「待って、ちょっと待って!? 結果が凄すぎて俺の頭が追いつかない!?」
「てめーの苔むした頭脳なんざ1年前から期待してねえよ、本能でも反射でもこの際悪運でも良いから何とかしろボケ! その呪術を俺に掠めでもして見ろ、文字通り地獄に叩き込むぞ!」
「殺人予告!!」
ヤバイ俺の人生が詰む!! 呪術の暴走よりも人鬼よりも疾のマジ宣言が1番怖い! 死ぬ!!
「だぁあああもぉおお! 冥官も何でこんな訳分かんないものくれたんだよ帰りたい!」
「あの野郎が真っ当に助力なんざするか!」
「上司! 直属の上司!!」
ぎゃーぎゃーと喚きながらも必死で血文字を制御しようと頑張る。あっちこっちへ無差別に広がろうとするのを何とか一方向に向くよう、神力をこれまでになく操った。
「そぉい!!」
よっしゃ、何とかひとまとまりに力の流れを捉えた。後はこれを人鬼にぶつけるのみ……!
「疾! 超逃げて! 具体的には最低でも5メートル、出来れば10メートル位距離を置いてくれると俺的に超助かります!」
「……っ、この、駄目半人前呪術師が……!」
ひでえ悪態を吐き捨て、疾が左手の銃を足元に撃った。魔法陣が疾の左足先に展開され、半ば吹き飛ばされるようにして距離を稼ぐ。
「よっし! どうか余波が最小限でありますように!!」
もはやお祈り任せの神様任せだ、とばかりに、俺は呪術を叩き付けた。
「──ギャァアアアアアア!!」
この世のものならざる断末魔が、鼓膜を破かんばかりに突き抜ける。
「ううっ……」
耳を塞ぎたいけど呪術具握りしめて必死で制御してるせいで出来ない、帰りたい。涙目できーんと耳鳴りするのを耐えて、俺は人鬼の方を見やる。
赤い血文字に押し潰されるというか押し流されるというか、とにかく一方的にやられた人鬼は、瘴気を根こそぎ掻き消され、全身ズタボロで地面に伏していた。苦しげな呻き声が漏れ聞こえてきて、俺の心臓に突き刺さる。
「……っ」
悲鳴を必死で呑み込んで、呪術を終わらせる。もう、何もしなくてもこの人鬼は死ぬだろうから。
「甘えよ、馬鹿が」
……だからと言って止めを刺さないようなぬるい真似を、この相棒殿がするわけもないか。
「だって……可哀想じゃん」
「はあ……その甘さが今回の窮地を呼んだってまだ分からねえか、ド阿呆。つくづく人鬼狩りに向いてねえな、お前」
「……うん」
ホント、無理だこれ。銃口を人鬼の心臓に向けた疾を見て、俺はつくづくそう思う。
──パン。
「ま、知ってたがな」
乾いた銃声と、疾の声は、同時に俺の耳に届いた。
「……ぁ……」
何かを言おうとしていたけれど、その声は言葉にならず。
人鬼は、ざあ……ッと、その場で砂となって消えた。
「……終わり?」
「だな」
ふ、っと、疾が息を吐き出すと同時に。
「瑠依! 疾! 無事か!?」
「おや、終わったようだな」
いきなり真っ黒空間が消え去った。竜胆と冥官の声がして顔を上げると、竜胆が慌てた様子で駆け寄ってきていた。
ぺたん、とその場に座り込み。すう、と息を吸って。
「もうやだ帰る!!!」
「……大丈夫そうだな」
「その阿呆が大丈夫じゃねえ状況ってのが想像つかねえけどな」
竜胆の疲れた声と、疾の呆れ声が、やけに突き刺さった。