無理だって言うのにはちゃんと理由があるんです
──どうして。
──どうして、あの子が、喪われなければならないの?
***
俺が人鬼狩りがどうしてもダメな理由は、桁外れの膂力が怖いからじゃない。
人にはない鬼の異形を携えていたり、どろどろした瘴気を纏っていたりするのもおっかないといえばおっかないけど、普段の鬼狩りと大して変わんねえし。
人を食べる、っていう点も、まあもう人間じゃないんからなって思う。妖では珍しくないし、そこは案外怖く感じねえんだよな。
じゃあ、何が怖いのかって。
……人鬼は、鬼に堕ちたその時の姿のままを維持するんだ。
そして──
***
「い……ってえ」
強かに打ったケツを撫でさする。よく見えないけど、地面に尻餅をついたような感じっぽい。……今度はなんなんだよもう、帰りたい。
「馬鹿か?」
おや、この声はと顔を上げると、目の前に銃口が突き付けられていた。
「なんでだよ!?」
俺、味方! この状況でフレンドリーファイアとかアホか帰りたい!
「よし。この馬鹿な反応は本物だな」
「理不尽!?」
唐突に武器を突き付けといてその言い草はなくない!?
「で、冥官はどこだ」
「へ? ……あれ?」
聞かれて見回してみたけど、どこにもいない。落ちた時にはぐれたのかー。……というか、あれ。
「なんで疾、ここにいるんだ?」
「…………」
至極当然の問いかけを投げ掛けると、疾はたっぷりと沈黙した。深々と溜息をついて、銃を引っ込める。立ち上がった俺に、ツンドラ級の冷え切った視線が突き刺さった。
「悪かった。馬鹿に状況を把握しろって言う方が無理難題だったな」
「言われよう!」
ぎゃあと吠えるも、疾の冷め切った視線は小揺るぎもしなかった。ちくせう。
「一応質問に答えておくとな。俺と竜胆は合流出来ていたんだが、何、故、か、急に空間が歪んでな。離脱する間もなくここに俺だけが落とされたわけだ」
「へ」
えと、それって、冥官サマが力尽くで壊した影響って事ですか……?
びくつきながらも俺が落っこちる直前の強行突破を語るも、疾の冷たい視線は何故か、俺に真っ直ぐ突き刺さったままだった。
「だったら俺もお前も外に出てるはずだろうが」
「……じゃあ何で?」
分からないから素直に訊くと、疾はすうと口元に笑みを刷いた。あ、やべ。
「さあ? 少なくとも落ちる寸前に感じたのは、どこぞの落ちこぼれ呪術師が、神力の制御を手放して空間を歪めたような、そんな力の波動だったな」
「げ……うっそ」
「俺が嘘を言っているように見えるのか、瑠依?」
にこりと笑ってって、わあ疾それ、冥官にめっちゃ似てるぞー。
「……見えません」
「そういう事だ」
「……すみませんでしっ!?」
いつもの土下座姿勢に移行しかけた俺の膝に、激痛が走った。皿が、皿が割れる……!
「はん、いつもの事だろうが。学習能力もねえ癖に土下座だけしたところで何ら価値がねえんだよボケ。屈辱ともされる姿勢に価値がないというのも滑稽な話だがな」
「うぐぬう……」
全力で貶してくる疾に反論の言葉が出てこねえ。蹲ったまま呻く俺を鼻で笑ってから、疾が肩をすくめる気配がした。
「ま。てめえがこの仕事に関わると決まった時点でこの程度は想定済だ。ったく、だからこの馬鹿を入れるのは反対だっつったんだ、あの野郎」
「……あのー、あの人一応、上司……」
「知るかボケ」
「わあい揺るぎない」
確かに、疾が直属の上司だからってへりくだる所なんて想像も出来ねえけども。ここまで自然体に貶し倒すというのもすげーよな。
「……気配がねえってことは、竜胆と冥官は一足先に脱出したんだろ。あっちに人鬼が待ち構えていりゃ御の字だが」
言葉を切った疾が、足で小突いて立てと促してきた。慌てて立ち上がると、ぞわりと背筋が凍り付く。
「──ま、馬鹿がわざわざ落ちたところに本命がいねえ訳ねえか。流石の引きだな」
「嬉しくも何ともないけど!?」
何でよりによって大当たりだよ帰りたい!? 俺のせいっぽいけども!
及び腰の俺がじりじりと後じさっていると、疾が俺を振り返った。
「瑠依」
「……何だよ! 怖いもんは怖いんだって! アレ無理なんだって!」
「知ってる。別に臆病なら臆病で良い」
「……へ?」
今、誰かが何か言った?
「半人前だろうが瑠依は呪術師だ、同調しやすいから無意識に忌避してんだろ」
「は……疾……?」
「術ってのは繊細だ。怖がりながらどうにかなるもんじゃねえんだよ」
唖然とする俺の顔を見て、疾は無造作に言ってのけた。
「ただでさえなり損ない呪術しか扱えねえてめえが、びびって術を暴発させたら目も当てられねえ。そこで大人しくしてろ。この間みたいに余計な真似するなよ」
「……っ」
瞠目した俺に頓着せず、疾は視線を前に戻した。びりっ、と空気が痺れる。疾の闘気だ、と分かる程度には、俺も疾とつるんでた時間は長くて、でも。
「……、おれ──」
多分、疾の言葉への反発だったと思う。俺も何かしなきゃ、と無意識にそう思って足を踏み出して。
全身を駆け抜ける悪寒に、思い出す。
──そうだ。俺は、人鬼は、ホントにダメなんだ。
だって、あいつらは。
さく、さく。足音がして。現れたのは、ごく普通の服を着た、女性。俯き気味に歩いてきた女性の足取りは、幽鬼のようで。
「お出ましか」
皮肉げな疾の声に答えるように、ゆらりと顔を上げる。茫洋とした瞳は、どこにも焦点が合っていなくて。俺は、ひくりと息を呑み込んだ。
──俺は、人鬼がダメだ。
だって、あいつらは、俺らと見た目が変わらない。
人間を殺すのを最大の禁忌と教わる現代っ子に、人鬼狩りは、きつすぎる。
……そして。
「……あの子が、いない」
虚ろな声に、全身の毛が逆立つ。
息を詰めて、1歩、2歩と引き下がる俺の足音に反応したのか、女性がこっちを見た。俺は、視えてしまった。
ぐちゃどろに混ぜ込まれた泥と血の、色。見鬼の才がなければただの焦げ茶に見えただろう瞳の、異形の色が。
「ひ……っ」
「どこに、いるの。……なんで、ここに、いないの」
俺の悲鳴が聞こえていないかのように、女性がぶつぶつと呟く。
「人鬼──見るに、嘉上の系列か。結界術はなかなかのものだっつうのに、人の道を外れるとは滑稽だな」
低く笑うような疾の声にも、反応しない。疾の皮肉や嫌みは、人が聞いたら必ずむかっ腹立つような物言いが絶妙で、聞き逃そうにも神経を逆撫でられて大体みんな、ぶち切れるってのに。
「なんで、いないの。……なんで、なんでなんで」
「会話出来るほどの理性は残っていねえ……か。はん、四家の名が泣くな」
疾が頬を歪めて笑うのを、辛うじて認識出来た。
──俺が人鬼が怖いのは、何よりも。
同じ人の姿をしているのに、何一つ心が通わない。言葉が通じない。
……その、どうしようもない齟齬が、どうしたってダメなんだ。