いつの間にか違う世界にいたみたいです
「っと、のんびりしてる場合じゃねえな」
竜胆が呟くと同時、お腹にぐいっと衝撃がかかった。
「ぐえっ」
「ん、ちっと我慢してろよ」
ひょいと俺を担ぎ上げた竜胆は、そのまま一目散に駆け出す。見れば疾なんかとっくに先を走ってる。何あれはっや、身体強化してる……よな?
「えーと、なんでそんなに急いでるんだ?」
「……瑠依、そもそも何で飛び降りたのか忘れてるだろ」
「へ? ……あ」
そうだな。バンジージャンプですっ飛んでたけど、そもそもの危険はまだ回避出来てねえよな。……え、ビル倒壊まで後どんくらい?
「ところで、爆破の範囲はどの程度なんだ?」
「さあ? 初めて試すからな、どの程度派手になるかは俺も分からん」
「おい!?」
「何それ怖い!?」
さらっと言い切られて、竜胆と俺が声を上げた、ちょうどその時。
ゴ……ゴゴ……ゴゴゴゴ……
地響きと共に、地面が揺れる。咄嗟に振り返った俺は、思わず息を呑んだ。
「う、わ……」
ビルが、崩れていく。
ゆっくりと傾いで、次第に低くなって。スローモーションのようにゆっくりとゆっくりと、地面に向けて沈んでいく。
たまにガラス窓が落ちるけど、地響きの音で割れる音がこっちまで届かない。コンクリがブロックのように崩れてぼろぼろと落ちていくようになって、加速的にビルの形が失われていく。
まるで映画のワンシーンのような崩壊に、俺は現実味を失って呆然と眺めているばかりだった。
実際には一分にも満たない程度の時間だったんだろうけど、俺には、ビルがただの瓦礫と化すまでが永遠の時間に思えた。
「ふん、思ったより地味だったな」
呆然とその様を眺めていた俺を正気に返らせたのは、微妙に不満げな声のお言葉だった。
「どこが!? インパクト十分だろ!?」
リアルビル崩壊とか衝撃強すぎる。未だに心臓がばっくんばっくん言ってるぞ。
「もっと一気にぐしゃっといくか、暴走した魔力で爆発するかと期待したんだが。派生被害までコントロール出来ねえってのはいただけねえ」
「ねえお前何なの本当に!?」
どこまでも発想が物騒な相棒様に悲鳴を上げた俺に、竜胆が溜息をついて割って入る。
「瑠依、落ち着け。とにかく、変な二次災害が出なくて良かったっつー話だろ」
「今のどこにそんな要素あった!」
おかんよ、お人好しも大概にしよう。疾の今の台詞をどう捉えればそうなるし。
「ま、終わった事にあーだこーだ言ってもしゃあねえな。用事済ませてさっさと帰るか」
「へ?」
疾が「帰る」なんて言った事に予想外の気分を味わいつつ、視線の先を追った俺は、咄嗟に息を潜めた。
ボロボロの傷だらけで、それでも何とか立っている。そんな様子の、あの時檻の中にいた人達が、そこにいた。数は……決して、多くはない。
「逃げ切ったのは全体の4割、ね。ま、そんなもんか」
「……」
皮肉げな疾の言葉に、返事はない。けど、この世に絶望したようなぽっかりとあいた瞳が、疾の声に反応してこちらを向いた。
「約束通り、治療可能な施設に送り届けてやるよ。その後どう生きるかは好きにしろ」
そう言って、疾はおもむろに端末を取り出して耳に当てる。いきなり電話しだしたのに訝しむより先、疾が電話口に対して話し始めた。
「よ、久しぶり。……人聞きが悪ぃな、俺は被害者だっての。……知るかよ、手出ししてきた方が悪い」
くつくつと笑う疾の言葉に、俺と竜胆は顔を見合わせて頷き、何も聞かなかったことにした。鬼よりおっかねえ疾を誘拐した方が悪いよな、うん。俺悪くない。
「……いや、俺じゃねえ。あ? ……うっせえな、成り行きだ。……あーはいはい、報酬は適当に連中から取り立てとけ。……は? 紹介料? んなもん俺が取る側だろうが。なんであんたに払うんだ、アホか」
「ぶれねえなあ……」
しみじみと竜胆が感想を漏らしたのに頷く俺。うん、どんな相手にも疾って疾なのな。
「……んじゃ、後は任せたぜ」
そう言うなり通話をぶち切り、疾は彼らに目を向けた。
「じゃ、養生しろよ。無料で助けてくれるような善良なお医者様じゃねえが、報酬分の仕事はきっちりする奴だ。金で患者を売る真似はしねえから安心しろ」
そう言って、彼らの足元に魔法陣を浮かべる。茫洋とこちらを見る眼差しに口元を歪め、疾はパチンと指を鳴らした。
「——餞別に一言やるよ。どんな絶望でも、這い上がるのに他人の力を頼るな。手を借りるのは良いが、最後に立ち上がるのはてめえの足だぜ」
魔法陣が輝き、光が彼らを呑み込んだ。
「——さて、と。もうこの場所に用はねえ」
そう言って、疾は俺らを振り返る。普段通りのムカツク笑顔で、俺に言い放つ。
「お望み通り、帰してやるよ」
光が、溢れた。
眩いばかりの光に目を細めて何とか目を凝らすと、俺らを取り囲むようにして編み上げられた光の檻が見える。
「何これ!?」
「何って、複数人の異世界転移だぞ。これくらいの魔法陣は必須だボケ」
「は!?」
何か今とんでもない単語が聞こえた。ぎょっとして振り返ると、呆れた顔の疾さん。
「……ここは異世界だ。言葉も文化もまるで異なる、次元の違う地。置いて行かれたくなきゃ動くなよ、俺にとっちゃ割と賭けに近いんだからな」
「え?」
戸惑い声を上げた竜胆には目もくれず、疾は肩をすくめて手を横に伸ばした。
「世界の壁を越える作業は繊細なんだよ、黙って見てろ。てめえらにゃ一生かけても出来ねえ芸当だ」
そう言って、指先を文字を描くように複雑に動かす。すると光の檻が細かに動いて、複雑で奇妙な紋様を模り始めた。
「……すげ」
ぽかんっと見上げる俺の傍ら、竜胆がぽつりと呟く。俺も黙って頷いて、その異様な光景に見惚れた。
呆然と眺めていると、次第に光がゆらゆらと明滅する。何らかの法則性を持って光が強まったり弱まったりするその光を眺めていると、段々くらくらしてきた。
「……、う」
ぐにゃりと、視界が歪む。光の檻の向こう側が、ぼやけて捻れて、輪郭を失っていく。
「仕上げだ」
呟く声。見れば、疾はここではないどこかを見るような遠い眼差しを上空に向けたまま、指先を動かし続けていた。
パキッ
何かが、ひび割れる音。
「っ……」
息を止めるようにして、疾は伸ばしていた腕を振るった。光の檻が、一層強く瞬いて、俺の目を灼く。
「うわっ」
思わず目を腕で覆おうとしたその時、足元から頭まで捻れるような力がかかった。息が出来ず、ひゅっと喉が嫌な音を立てる。
パキン!
何かが割れる音が、聞こえて。
視界は一気に暗転し、かかる力が一際増す。
やべ、これ俺帰る前に死ぬんじゃね?
そう思ったのは一瞬。
……次の瞬間力が消え去り、息が出来るようになっていた俺は、空中に放り出されていた。