誰か変態の暴走を止めてください
「帰りたい」
「伊巻、朝一番から気が滅入る発言するなよ」
「帰りたいんだから帰りたい。帰宅欲は人生の三大欲求だぞ? 帰りたいのは人間の性」
「……。伊巻、今のお前の台詞がボケである事を俺は切に願う」
翌朝、教室で辻山と交わした会話を聞いていたのは、幸か不幸か竜胆だけだった。じっとりとした目で俺を睨む。
「瑠依……あのなあ。ちっとはまともな発言しろよ」
「何を言う、竜胆。俺は大真面目だ。大真面目に今すぐ帰りたいんだ」
「いつもじゃん」
「だよなあ」
「違う! いや違わないけど、そうじゃない!!」
辻山と2人がかりで反論してくる竜胆に、それでも俺は譲らん。今回ばかりは俺が正しい、辻山だって分かってる癖に惚けるんじゃない!
「今日から毎日放課後強制居残りだぞ!? しかもあの常葉のダダ漏れる変態発言をエンドレスで聞かされながらこのクッソ暑い中筋トレとか馬鹿じゃねーの帰りたい! 帰りたくない奴なんかいるのかよいるなら今直ぐ頭から水被ってこい!」
「伊巻馬鹿野郎! 今から言うなよ! まだ朝だぞ!? 始まる前から現実の直視とかさせるなよ馬鹿伊巻!」
「馬鹿馬鹿言うな、馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ!」
ぎゃーぎゃーと辻山相手に喚き合ってる俺に、竜胆が顔を片手で覆った。
「ホント、何で俺の親戚こんなのなんだろ……」
「こんなの!? 酷くね!?」
最近、竜胆さんがとっても冷たくて俺寂しい。
「というかそれに関しちゃ竜胆だって俺らの仲間だろ!? 今回最大の犠牲者は竜胆だぞ、常葉のヤバさを分かってないとは言わせない!」
1番のお気に入りは他国で楽しくテロリストやってるからな、国外逃亡まで徹底してる災厄にはいくら常葉でもどうしようもない。お陰で竜胆1人に常葉べったりだぞ、幾ら竜胆といえど帰りたくならないはずがない!
「あー……いや……」
「何誤魔化そうとしてんだ竜胆! いくらおかんでも常葉を庇う術とかあるわけないじゃん、諦めろ?」
「おかんじゃねえっての。じゃなくてな、瑠依」
「なんだよ?」
「……とりあえず、後ろ」
「へ?」
何事かと振り返ると同時、にっこり笑ったハゲ頭のおっさん……じゃない、数学の担任教師様とばっちり目が合った。あ、やべ。
「伊巻、朝っぱらから元気だなあ」
「……いいえ? 今すぐでもおうち帰りたい」
「そーかそーか」
にこやかなおっさんに、ガシッ! と頭を掴まれ。
「じゃ、とりあえず今日はみんなの分まで問題解いてもらおうな。何、『伊巻』の事だ。どうせ予習完璧だから授業なんて寝てても何ら支障がない位優秀だもんな?」
「チートな親戚連中と比べるなし!? というか何で俺だけなの帰りたい!」
結局、その日の数学は一方的な生徒いじめで終わった。オノレハゲじじい、残った毛も全部禿げてしまえ。
***
「帰りたい」
「……帰りたいなあ」
「ホント、帰りてえ……」
放課後。人間として当然の欲求が、口々にクラスの男子から吐き出されていった。女子となんでか竜胆が、鬱陶しいものを見るような顔をする。ひでえ。
「うわあ、瑠依が増殖してる……」
「増殖もするだろ、俺だって帰りたい。竜胆もだろ?」
辻山の反論に、竜胆は困ったように頬を指先で掻いた。
「あー……俺はほら、体育祭って初めてだしなあ。どういうものなのか、ちっと楽しみな部分もある」
「瑠依! 竜胆が洗脳されてるぞ!?」
「おかんのお人好し度合いがマッハ超えてるだけだよ俺にどーしろと!?」
「だからおかん言うなって」
ペシッと頭を叩かれたけど、これだけは譲らん。竜胆はおかん、周囲に全力で広めてくれる。
「さーて! はっじまるよーはっじめっるよっ♪」
そんな俺らを余所に、常葉は歌うように地獄巡り開始を宣言した。びくっとなった俺らに向けてにっこにっこと笑み崩れつつ、変態は早くも変態発言を繰り出した。
「まず、脱ーいでねっ!」
『はあっ!?』
男子一同の合唱。いや、今回ばかりは俺も叫んじゃうぞ、何それ聞いてない。
「アホか常葉! この炎天下でそう長々と半裸とか殺す気か!?」
代表として叫ぶと、そーだそーだと男子陣の反論が湧き上がる。
「だいじょーぶ♪ 経口補水液は人数分ばっちり用意してるもーん」
「そういう問題じゃねえわ!?」
ダメだ、来る体育祭への期待を拗らせすぎて暴走してやがる。こんな常葉を止めるとか、出来る勇者がどこにいる!?
「それにー、食べ盛りの男の子達のために、お弁当も用意したんだよ♪」
「いらん!」
「おい、瑠依」
竜胆が窘めるように呼んでくるが、俺は譲らん。ついでに微妙に反応した奴ら、よーく聞くが良い。
「常葉、素直にそのメニューを提示して、理由を明かせ。無垢な野郎どもを騙そうとするんじゃない」
「えー、ひどいなあ。私の心からの思いやりなのに」
頬を膨らませる顔だけは可愛らしいが、続けてぱかっと開けられた弁当箱(特大)の威力は可愛さなんぞ欠片もなかった。
「ささみとブロッコリー……だけ」
「ブロッコリーって野菜の中でも特に糖分少ないからいいんだって! ボディビルダー大会の常連さんから聞いたから間違いないよ♪ 塩茹でだから塩分も取れてばっちり! 筋トレのお伴にジャスティスだね!」
「ハウス!」
「きゃんっ!」
遠慮無く手刀でチョップを叩き込んだ。悲鳴? ノリで上げてるだけだ、罪悪感なんかあるもんか。こいつの鉄壁度合いは疾が何度も立証してる、俺なんかで怪我させられるか畜生。
「こんなもんを時間かけて作ってくるなよ、何で俺ら人数分あるんだアホか!?」
「時間はかかってないよー。だってー、昨日のうちに女子のみんなにお願いして、手分けして用意してもらったし!」
「……は?」
ぱかっと口が開く。俺だけじゃないぞ、男子陣ほぼ全員だ。
見回すと、不機嫌そうな顔をした女子の皆様が俺らを睨んでいる。そーだな、わざわざ準備してきた弁当を貶されればこうなるよな。……元々の立案者である常葉に多大なる問題があったとしても、だ。
『…………』
男子陣、沈黙。無言で顔を合わせるのは他でも無い。男としてのプライドと今後の高校生活が戦ってるのだ。
……クラス内に好きな女子がいるやつなんて、ごまんといるんだよ。意中の子に「あいつ手作り弁当拒否したんだよ、最低」って思われたくないってさ、普通の考え方だろ?
世の中鬼畜ばかりじゃない。迷惑だと分かってて押しつけてくる方が悪いと言い切ってチョコ全部ゴミ箱に突っ込んでも良心1つ疼かない奴がそうそう沢山いてたまるか。いや、誰のことかは言うまでもないけどさ。
ぶっちゃけ、俺はどうでも良い。彼女なんかよりオフトゥンといちゃいちゃしていたい。お布団さえあれば俺の人生バラ色だ。
が、そうじゃないお方も大勢いて、そいつらが「お前ら分かってるよな、ああ?」という目をしていちゃ、俺に出来ることなんかないんだよ。
よって。
「常葉」
「なーに♪」
「お前、ホント覚えてろよ……」
「えー?」
にっこにこな変態の策に見事嵌まった俺らに、選択肢は残されていなかった。嗚呼、帰りたい。