いろいろあったんだろうなあ。
窓から出たものの、時刻はまだ昼下がり。屋根の上を飛んでいくわけにもいかねえからと、歩いて向かったのはいつもの待ち合わせ場所。近くのポイントから冥府に向かおうとぶらぶら歩いていた俺は、いきなり後ろから足に衝撃が来て立ち止まった。苦笑して振り返る。
「いってえな。腱切れたらどうすんだよ」
「俺の知った事かよ。どうせ直ぐ治るだろうが」
「そりゃ明日には治ってるけどな。今からチビ共の相手するんだぞ? 怪我した場所うっかり攻撃される未来がまざまざと」
「されればいいだろ。俺は昔「傷口に塩を塗る」ってことわざを勘違いしたガキに、マジで塩を塗り込まれたぜ」
「待て待て、何その過激なガキ。というか疾相手にとか怖いもの知らずな……」
爆弾発言を落とした疾は、うっかり漏らした本音にふんと鼻を鳴らした。腕を組んで顔を顰めている疾は、案の定機嫌が悪いようだ。また苦笑が漏れたが、それも気に入らなかったらしく睨め付けられる。
「たかだかガキの相手をするだけで、この俺をわざわざ呼び出そうたあ良い度胸だな」
「はは、だってしかたねーじゃん」
「馬鹿連れて行けよ」
「いやまあ……試験後だし。たまには好きなだけ休ませてやりてえっていう優しさ?」
「俺も試験後なんだが?」
「そこはほら、俺の主は瑠依だから」
ちっと疾が舌打ちをした。それ以上文句も言わず銃を右手に喚び出し、冥府への入口を無造作に撃ち抜く。何だかんだ言って甘いなあと、俺はこっそり笑みを零した。
「そういや、今日瑠依の姉貴とやらに紹介されたんだが」
「やっとか」
冥府へ続く道を歩きながら報告すると、疾は呆れ声でそれだけ返してきた。疾は存在を知っていたらしい。
「知ってたのかよ」
「竜胆が馬鹿と組むまでの1年弱、ごねる馬鹿と誰が組まされていたと思っている」
「……お疲れさん」
不機嫌そうな疾が吐き捨てるのに勿論労いはするが、疾に対する瑠依の怯えっぷりを思えば何したんだよという気もする。こっそり苦笑を零しつつ、話を戻す。
「つか、なんで今まで黙ってたんだろうな」
「馬鹿だから。……といいたいところだが、こればかりは無理だからだ」
「は?」
予想外の言葉に視線を落とすと、疾は何故か片目を眇めていた。
「確証はねえが、異能持ちだ。内容は「眠っている間他人の意識から外れる」。探しても見つからねえどころか探そうという気が起こらねえって話だから、まず間違いねえだろ」
「……つまり?」
「紹介しようにも眠ってる間は探し出せない上に、紹介しようという発想から浮かばない可能性があるな」
「……紹介しようと考えたら誰かが探そうとするから、それを回避してるってことか?」
「じゃねえの」
それはまた、なんというか。
「瑠依の姉貴だなあ」
「あの一族に関していえば血は争えねえってこったな」
「……そういや親戚も似たようなもんだっつってた」
「ああ、似たようなもんだな」
「へ?」
予想外の相槌に驚くも、疾は軽く肩をすくめた。
「その様子だと話聞いたか。あれの親戚は揃って行方不明だが、それまではあの高校に通ってたぜ。有名だったから一応知ってる」
「有名……」
「大体想像してる方向にな」
どうやら、瑠依の話していた親戚とやらは瑠依以上に目立っていたらしい。ちょっと遠い所を見かけた俺は、ふと疑問を覚えて口を開く。
「つうか、瑠依の姉貴……ええと、雛さん? 異能だとか一言も言ってなかったぞ」
「気付いてねえからな」
「え、会った事あるのか?」
話の感じからして聞いただけかと勝手に想像していたのだが、違ったらしい。意外に思って視線を下ろすと、疾は軽く眉を上げて答える。
「1度顔を合わせただけだがな。異能の気配は感じたが、この街には弱い異能持ちはごろごろいる。明確に発現しているかどうかまでは見ただけじゃ分からねえし、本人に自覚はねえ。とはいえ、話を聞く限りあからさまに不自然だろ」
「見つからねえってやつ?」
「寝てるって分かりきってるのに見つからねえとか普通あり得るか?」
「いや、部屋の布団引っぺがせば済むな」
「誰もそれを実行できてねえらしい」
「……気付いてねえの?」
「家族揃って全く」
「瑠依も?」
「瑠依も」
……。うん、なんつーか、あれだ。
「本当に……俺の主って……」
「馬鹿だぞ」
「だなあ……」
流石にこれは、頭が痛い。はあっと溜息をついて、疾を半眼で見下ろす。
「その馬鹿を良くも押しつけてくれたよな」
「押しつけても迷惑はかけられてるけどな」
「……それもそうだな」
瑠依は時々予想だにしないポカをやらかすが、その影響は結構疾も被っていたりするな、そういや。先日の呪いしかり。
「いや待て……俺に押しつけてあのレベル……?」
思わずぽろりと零れた言葉に、疾が振り返った。口元に寒々しい笑みが浮かぶ。
「聞きたいか?」
「いや、勘弁してくれ」
何か物凄く嫌な予感がしたので即答で拒否すると、疾がちっと舌打ちした。直感は間違いじゃなかったらしい。
ほっと息をついて思い浮かべたのは、脳天気に家の事情を語った瑠依の顔。俺が今ここに来ている理由を思い出して、少し胃の辺りが重くなる。
「つーか……」
疾も瑠依の親戚達のこと知っていたのか、と続けようとした言葉を躊躇っている間に、冥府に着いた。入口で記名すると、疾は振り返って俺をどつく。
「おらとっとと行ってこい。俺はいつまでも待ってやるほど暇じゃねえよ」
「あ……おう」
そうだ、元々はチビ共との約束を果たしに来たんだった。色々と考えていたせいで忘れかけていたが、順番は守るべきだろう。
「んじゃ、ちっと遊び相手してくる」
返事の代わりにもう1度どついて、疾は踵を返した。方向からして、訓練場に向かうようだ。何ともなしに見送って、俺は今度こそ奥の廊下から繋がる研究所に足を向けた。