試験の前から大差ない気がする。
期末試験が終わった。
テストと名の付くものはこれで二回目だ。編入試験の時は疾が全面的に協力してくれた為、俺は殆ど「知っている」答えを書き込むだけだったから、今回が初めて受けたテストと言って良いと思う。
試験を受けた感想は……「疾ってマジで頭良かったんだな」って事だろうか。
ただ知識を覚えただけで解ける問題なんて本当に一握りで、その知識を上手く使って解くよう求められているものばかり。中には問題文から意味分かんねえのもあるし、本当に頭が痛かった。
疾がくれたのはただの知識じゃなく、「問題を解く知識や技能」だったわけだ。取り敢えず編入試験に出そうな問題を予想した上で俺に覚えさせたんだろう。頭が割れそうな頭痛を経験させられてキレかけたけど、今は感謝している。
「しかもその知識を活用出来ねえって事は、頭の出来の違いだよなあ」
「何か言ったかー竜胆?」
「いや、独り言だ」
思わず零してしまった呟きを耳敏く拾った辻山にそう返し、俺は溜息をついた。……ま、終わったから良いか。
その辻山の言葉を信じるなら、結果が出るまでには1週間近くかかるらしい。それまで何してんのかって不思議に思ったんだけど、何と普通に授業があった。つまり先生達は日中授業をしつつ、他の時間で採点しているらしい。すげえなあって漏らしたら、そこは頑張らなくて良いって即座に言い返された。誰にって、まあ言うまでもなく瑠依だけど。
その瑠依はと言えば、試験が終わった直後こそがっくりと落ち込んでいたけど——辻山曰く「毎度のこと」らしい、ちったあ反省すれば良いのに——、直ぐに元気になった。そのテンションの差に抱いた疑問は、数日以内に解消された。
「瑠依、まだ寝てんのか? もう昼なんだけど」
テストが明けて最初の週末。初日っから布団に潜って出てこない瑠依が、俺の疑問に顔だけ出す。
「今日は土曜日だ!」
「ああ、そうだな」
「しかもまだ結果の出てねえ、つまりお袋様にも目くじら立てられる危険性ゼロの最後の休日だ!」
「結果出たら叱られんのは決定事項かよ」
「いつも通りヤベーって実感はある! ってことは今日明日は唯一のオフトゥン日和だぞ! これを逃すだろうか、いや無い! 反語知ってる俺えらい!」
「俺に焼き付けられた知識が、それは中学生でも知ってるっつってるけど?」
「アーアーキコエナイ!」
再び頭まで布団に入って喚く瑠依の姿に、俺は深々と溜息をついた。
経緯は経緯だったけど、瑠依を主とする今の状況はそれなりに満足してる。アホでサボり魔でどうしようもないほど仕事不熱心なことを除けば、結構良い主だと思う。
……ホント、マイナス要素が酷すぎて残念なんだよなあ。
「あー、瑠依? それはいーけどそろそろ俺が限界」
「うあー……そっか……めんどくせ」
もぞもぞと布団の塊が動くけど、起き上がってくる気配は無い。明らかに面倒くさがってるので、無駄だと思いつつ一応提案。
「別に手短に済ませても」
「却下!」
がばっと瑠依が起き上がった。……本当に、この辺りは考えが良く分かんねえ。
はあと溜息をついて、持ってきていた水を入れたコップを傍らから手にとって渡す。瑠依がへらっと笑って受けとった。
「おー、流石! 気の利くおかんで俺は嬉しいです!」
「おかんいうなっての」
軽く頭を叩いて反論する。最初は意味すら分からなかったその呼称はもはや瑠依の中では固定されてるらしいが、流石に自分で認める気にはなれない。
無理がありすぎるんだよ、という反論は心の中でだけ呟いて、取り敢えず瑠依にコップを押しつける。こっちの複雑な心情など想像もしていないだろう瑠依は、傍らのテーブルにコップを置いて親指を掲げた。同じくテーブルに置いてある刃物を手に取る。
やけに慎重な手付きで、瑠依が親指を刃物で突く。ぷくりと浮かび上がった血に、殆ど無意識に目が惹き付けられた。喉が鳴りそうになるのを辛うじて堪える。
血が雫になって、コップに数滴落ちた。焦れるような思いでそれを見守り、やっと瑠依がコップをこっちに寄越す。なるべく普通に見えるように、その水を一息で煽った。
「サンキュ」
「おー」
1日1度。こうして血を受けとることが、契約の要だ。瑠依はあくまで契約を維持する為のものだと思ってるし、俺もそれで良いと思って何も言わずにいる。……一応最初は、騙してるような気もしてたんだけどな。
「何かこれってさー、もっと楽な方法ねえのかな。毎日とかめんどーじゃん、契約って大体最初に結んだらそのままってのが多いんじゃねえの?」
「多いって……何の契約だよ、それ」
「マンガに出てくるやつ!」
ドヤ顔でこんな事を言い切られたら、別に良いかとか思っちまう自分がいる。
「……取り敢えず、これでも相当簡単だからな? 普通はもっと量飲まなきゃなんねえし」
「うわー、毎日献血か。あ、てか溜めとけばよくね」
「けんけつ……? 生き血じゃねえと無理だって前も言ったろうが」
「ちえー」
暢気に面倒だ何だと愚痴りながら、瑠依が血がまだ滲む親指に絆創膏を貼る。治癒の術でも使えば良いのに、なめときゃ治るとか言っていっつも放置だ。どうも面倒らしい。本当に、何でも面倒がる主だ。
「んじゃ、俺は昼飯に下りるけど、瑠依は?」
「オフトゥン!」
予想通りと言えば予想通りだけど、躊躇いなく答えてまたも布団に潜り込んだ瑠依に、肩をすくめて伝言を伝えておく。
「あっそ。菫さんが下りてこないなら夕飯まで何も食べさせねえって言ってたけどな」
「なぬ!?」
途端に跳ね起きる主を放置して——何せまだパジャマだ——、俺は部屋を出た。
「菫さん」
「あら竜胆君、瑠依は?」
「今頃慌てて着替えてるかと」
エプロンを身につけ台所に立っていた菫さんは、とても高校生の息子がいるとは思えない。おっとりと微笑むのが常の菫さんだが、俺の返答には溜息を堪えられなかったようだ。
「もう……本当に、瑠依はのんびりよねえ。竜胆君を見習って欲しいわ」
「はは……いやまあ、俺が見本になるとは思えないですけど」
流石に苦笑いを噛み殺しながら、昼食の皿を受けとる。大体の量で誰の分か分かるくらいには慣れたから、特に聞かずダイニングに向かう。
そのままいつも通りテーブルに皿を置こうとして……俺は足を止めた。
「……誰?」
「……あなたこそ、だれ」
眠たげに目を細めた女の子が1人、テーブルにだらんとつっぷした姿勢から顔だけ上げて、俺を見上げていた。