お勉強よりもお布団が大事なのです
「ご苦労」
「なあ知ってる? 同僚以上の相手にはご苦労じゃなくてお疲れって言うんだぜ?」
「知ってる」
「デスヨネー」
訓練場の奥にあるシャワーで汗を流して着替えた俺は、フリースペースで優雅に寛いでやがった疾とのそんなやり取りに肩を落とした。
訓練場の奥には個室シャワーだけじゃなく、更衣室もある。個人ロッカーも個別更衣室も完備されてるその場所で、軽い防護効果を持つ訓練着を借りて着替えて訓練。終わったら汗を流して服を着替える。いつもの流れだ。
……そんなゼータクな環境は整えられるのに、訓練場の補強には予算下りないって不思議だけどな。
「つうか、お前も物好きだな。あのクソ局長の呼び出しなんざにわざわざ出向くとか」
「うん、疾はいっぺん呼び出しの意味を辞書で調べ直してみ? 俺の記憶と明らかに違うから」
「馬鹿の記憶を信頼する根拠は欠片もねえな」
一刀両断とはまさにこの事か。容赦のない言葉のトゲに痛む心を押さえつつ、俺は顔が1つ足りない事に気付いて尋ねた。
「そういや、竜胆は?」
「……おい、契約対象の監視は義務だろうが。何だその軽さ」
微妙な顔で一瞬だけ視線をこちらに——今まで一顧だにしなかったんだぜ、こいつ——向けた疾に、俺は顔を顰めた。
「局長っぽいこと言うのやめてくれね? 俺よりよっぽどしっかりしてる竜胆の動向を、そんな過保護な親みてえに見張ってる必要ねえじゃん」
「……はあ」
「え、何その溜息」
心底疲れたような溜息つかれる筋合いなくね? むしろ俺がする方じゃね?
「馬鹿にうんざりする溜息。竜胆は奥に顔出してる」
「ひっで……あー、そういや俺と契約してからは1度も行ってねえの?」
追い打ち付きで返って来た返事に納得して聞くと、疾は黙って頷いた。
俺の監視という謎すぎる任命をされるまで、竜胆の基本的な生活スペースはここだったらしい。契約相手と生活を共にするってのは珍しい方で、大抵は俺と疾みたいに待ち合わせで動いていたとか。
局長の執務室より更に奥に行った先は、冥府所有の研究施設になっている。鬼狩りの武器や術についても研究されてるらしいそこに、竜胆や仲間達——竜胆は「チビ共」っつうから多分後輩で子ども——が暮らす寮のようなものがある。行ったことはねえけど。
顔出すって事は多分挨拶とかなんだろーなーと適当な予想で納得した俺は、改めてメニューに目を向けた。
「オレンジジュース」
「ガキか」
「うっせ疾だってジュースじゃん! てか運動後は柑橘系が良いって言ったのも疾だろ!」
「グレープフルーツが良いと言った覚えならあるが」
「苦いしやだ!」
「結局ガキじゃねえか。——アイスコーヒー」
罵倒のついでとばかりに疾が注文を口にすると、丸テーブルの端に付いてる水晶が淡く輝いた。少し待つと、空中を滑るようにコップを2つ乗せたトレーが飛んできて、ぴたりとテーブルの横に付けた。
注文通りのオレンジジュースを飲む。うむ、染みる。疾もアイスコーヒーに口を付けて、そのまま黙り込んだ。間を持たすという概念が存在しない相棒に、ずっと気になってたことを聞く。
「……つうか、とっくに帰ってると思ってたのに何してんの? 本とか読んで、暇か?」
「お前……読書は暇潰しでしかねえのか。どうせマンガだろ」
「マンガの悪口は許さん! オフトゥンの相棒を愛して何が悪い!」
「勉強しろ勉強。何の為にあれだけの閲覧機能が備わってると思ってんだ」
さらっと出て来た言葉に、俺は心底戦く。
「疾……こんなとこでまで勉強してるとか何なの? 俺ら学校でも散々勉強してんじゃん、まだやるとか馬鹿なの?」
「馬鹿はお前だ。学校の勉強なんか授業聞いてればどうにでもなるじゃねえかよ」
「は……? 聞いてるだけ……?」
何か信じられない言葉が聞こえてきて、俺はぽかんと口を開けた。
「え? 何、嘘だろ。嘘と言ってくださいマジで」
「こんなつまんねえ嘘ついてどうすんだ。あのアホ高、課題と授業で扱った内容しか試験に出てねえんだぞ。その気になればお前でも満点取れる」
「なわけあるかあぁっ!?」
「うるせえ」
「ごふうっ」
椅子を蹴って叫んだ俺を、疾は文字通り一蹴りで黙らせた。待って、今のは俺悪くない。
「疾……いっぺん馬鹿になってみろって。んなトチ狂った発言2度と出来なくなるから」
「お前になるとか想像しただけで気持ち悪い」
「なんで馬鹿の代名詞が俺になってるんだよ!?」
「気体1molの体積は?」
「…………もるってなんだっけ」
「馬鹿どころか、基本事項の暗記も怠る馬鹿だったか」
「ぐぅ……」
ぐうの音は出たけど、反論はどこからも引っ張り出せなかった。くそう。
「学校の学習もサボる、鬼狩りの仕事もサボる、命に関わる知識の習得もサボる。努力という言葉を学びに小学校からやり直せ、そうなりゃ俺も馬鹿を見て不愉快にならずに済む」
「そ、そこまで言う……?」
容赦のない言葉の刃がざくざくと俺を傷付ける。情けない声が出たけど、疾の涼しい顔は揺るがなかった。
「俺は才能の有無より努力の有無に評価の価値をおいているからな、お前は地をぶち抜いて戻って来られない程度にはマイナスだ」
「わあい悲しい……お布団恋しい……」
刺された止めに、俺はついにテーブルに突っ伏した。しくしく悲しむ俺に、呆れ声が降り注ぐ。
「……ここまで言っても閲覧コーナーに行くでもなくその台詞か、筋金入りの馬鹿だな」
「俺の恋人はオフトゥンだから良いんですー……」
精一杯の反論には、心底うんざりしたような溜息が返って来た。ああ、オフトゥンの温もりに癒されたい。