噂なんて当てになりません
校門で遅刻者を見張る教師の横をすり抜けて走り、校舎に駆け込む。一段飛ばしで階段を駆け上がって扉をスパーン! と開けたと同時、チャイムが鳴った。
「いよっしゃセーフ!」
「セーフじゃねえ馬鹿」
「ぅあいてっ」
ガッツポーズしてたら後ろから背中をどつかれ、よろめくように中に入る。続いて滑り込んだ常葉の後を、律儀に扉を閉めた竜胆が入った。
担任はまだかと視線を向けると、クラスメイトがぐっと親指を立ててきた。よし、セーフ。
「ふー、はよー」
誰にともなく挨拶しつつ自分の席につくと、隣席の辻山が挨拶を返してきた。
「はよ。またギリギリかよ、女子引き連れていーご身分だよな、伊巻」
「羨ましいか、譲るぞ?」
「いやいーわ。竜胆もはよ、付き合わされて大変だな」
「おはよう辻山。走るの嫌いじゃねえけど、俺も朝はゆっくりしてえ」
さらっと躱した辻山の労いに、竜胆が笑いながら返す。無難に朝の雑談に突入した竜胆を尻目に、俺は反対側の隣席に声をかけた。
「はよ、波瀬」
「…………」
ガン無視。安定の対応に肩をすくめて、俺は竜胆たちの雑談に戻った。
授業をぼーっと聞き流して——後方からのどつきか前方からのチョークが飛んでくるから居眠りできない、つらい——昼食の時間。いっつも自分の席でそのまま弁当出すから、自然、隣席の辻山や竜胆と一緒になることが多い。
つっても女子みたいにいつも同じって訳じゃあない。予定あれば勝手に食うし、他の奴が入ってくることもあるし。
「そろそろ竜胆が入ってきてひと月かあ。大分慣れたみたいだよなー」
「お陰様で」
何より、竜胆が編入生ってこともあって、割と普段話をしない奴とも最近は昼食ってたしな。
「お、瑠依そのハンバーグいただきっ」
「やるか!」
……あと、お袋様の手料理狙いでひとの弁当にハシ突っ込んでくる常葉は常連だ。
「ちえっ、最近瑠依のガードが堅いー」
「どこかの誰かと戦いを繰り広げてる内にな」
「ちえー」
悔しげに言いつつ、常葉が自分の弁当から唐揚げを放り込んできた。許可もなく、ハンバーグ3分の1と交換するハシを諦め気味に眺めてると、辻山がにやにやと話しかけてくる。
「つーか、お前らそこだけ切り取れば普通にカップルだぞ」
「ない。断じて、絶対に、ない」
「そうだよー辻山君。瑠依はただの幼馴染みだもん」
食い気味に否定した俺に同調しつつ、常葉が首を捻って声を上げた。
「波瀬くーん、一緒にごはん食べようよー!」
「無駄な真似を……」
「懲りねえなあ……」
辻山としみじみ呆れている間に、声をかけられたお隣さんは、視線を向けることもなく教室から出て行った。
「今日も無理かあ」
「いや諦めろよ、無理に決まってるだろ」
「そうそう、いくら常葉でもそのごり押しは通用しないって」
残念そうな常葉に突っ込む俺と辻山。唇を尖らせる常葉に苦笑して、美味そうに弁当をかき込んでいた竜胆が尋ねてきた。
「なあ、なんで波瀬にそんな構うんだ?」
毎日昼に誘ってるので当然っちゃ当然の問いに、俺と辻山は同時に目を逸らした。常葉は答える。
「えー、だっていっつも話してくれないし。たまには声聞きたいよう」
「たまにって……?」
怪訝そうな竜胆に分かりやすいよう、辻山に聞く。
「名前だけの自己紹介以来、アイツ口聞いたっけ?」
「いんや、俺は覚えなし」
「え、マジ?」
驚いた顔をした竜胆に、辻山は意外そうに目を向けた。
「何、興味あんの? 今まで聞かれないから、どうでもいいのかと」
「あ、いや今までは話しかけてくれるみんなの事で一杯一杯だったからさ」
「あー、そりゃそうか」
ぶっちゃけ誤魔化しだろう竜胆の言い訳に納得したらしく、辻山は何度か頷く。
「波瀬って確か、中学まで海外だったんだよ。で、何せ「あれ」だしみんな興味津々で声かけに言ったんだけどな? 今みたいにぜーんぶガン無視。教師までガン無視してるもんだから、ついに授業でも当てられなくなったんだぜ」
「何せ「ああ」だから、今でもめげずに話かける子も告白する子もいるんだけどねー。ぜーんぶ無視されちゃうんだ。シャイなのか無口なのかって、女の子同士でよく議論になるよ」
「へ、へえ……」
竜胆の口元が小さく痙攣した。分かるぞその気持ち、俺も聞く度に机叩きたくなる。
「それで良くやっていけるな?」
「何せ「あれ」だからな。後、めっちゃ頭良いっぽい」
「そうそう、ただでさえ「ああ」なのに、全教科満点とかとっちゃうんだよ! 何で春影に行かなかったんだろうねー。あっちは同じ公立でも、ちゃんとした進学校なのに」
「満点……」
ぼそっと呟いて、竜胆が俺を見下ろしてくる。もの言いたげな顔に顔を顰め返す。
「なんだよ」
「いや、つくづく残念な奴だなと」
「うっせ、比べんな」
「竜胆、伊巻は無理だぞ。何せ毎度真逆の方向で俺らを感心させる点数だ」
「瑠依お馬鹿だもんねー」
「うっせ!」
重ねて言われる低評価にぎゃあと喚くも、みんな平然としてやがるくそう。
「ていうか、「あれ」とか「ああ」とか……何?」
ふと気付いたように竜胆が問うと、辻山と常葉が顔を見合わせた。
「何って、なあ」
「うん、だってねえ」
示し合わせたように俺を見るから、あわせて頷いた。
「もう他に言いようがないよなあ、「あれ」は」
「いやだから……ああ、なんか分かった」
言いかけて思いだしたらしく、竜胆が苦笑して頷き返す。
丁度その時予鈴が鳴り、ほぼ同時にドアが開いた。クラス中示し合わせたように振り返って硬直、数秒おいて顔を背けるという、このクラスのお決まり。
「こういうことか」
「そーゆーこと」
肩をすくめ、噂をすればで現れた当人にちらっと視線を向ける。怪奇現象とも言えるクラスメイト達の行動を引き起こしたとは思えない無関心な顔で自分の席——俺の隣に腰を下ろした波瀬は、鞄から本を取り出して読み始める。
……大分慣れたけど、不意打ちだと変わらず見入ってしまう無駄に綺麗な顔は、本人にもどうしようもないんだろうけどな。だからといってこいつが、こう、人形のように物静かに行動してると、何ともむず痒くなってもしゃーないと思う。
目を持って行かれる美人、全教科満点、それでいてコミュニケーション皆無。
それが、波瀬の——波瀬疾の、学校での評価だったりする。世の中わっかんねえ。