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6 カモミールの約束

 懐かしい部屋にいた。

 物心ついたときからここを知っている。ここはアカネの実家だ。

 冒険を続け、ひと財産築いたアカネの母が、旅の終着地として選んだ穏やかな湖畔沿いの街に建てた、そこそこ大きな一軒家。木造のあたたかい家。自室の窓から見えた離れは道場だった。小さい頃から街の子供達に混じって剣術を教わった。師範はもちろん母だ。

「ご飯できたよー」

 母の声が階下から響いた。

「今行くー!」

 アカネは子供時代に戻ったみたいに無邪気な返事をし、どたどた階段を降りた。

 すでに席に着いている弟と妹の姿、いつも通り仲のよい父と母。アカネが家を出る前と何ひとつ変わらぬ光景がそこにあった。

 食卓には鍋に入った好物のビーフシチューが鎮座し、早くも食欲をそそる。それを皿に取り分けながら、母が言う。

「アカネ、いつまでここにいるつもり?」

 やさしさくも厳しい口調、怒られているというよりも諭されているようだった。

「へ? いつまでって……」

 そのとき思い出す。——たしかグレイボアと戦って、勝って、そのあと現れた少女を前にして気を失ったんだ。あれは多分魔人だ、つまりはもう……。

「そうだよ、きみの旅は始まったばかりじゃないか」

 父も言った。

「いやお父さん、わたしは……」

 言いかけて、妙な匂いに気づいた。母が皿に盛ったシチューから、何故か果実のような甘い香りと青さを帯びた草のような香りがした。それは自然的な植物の香りで、それも生っぽく、到底肉や野菜を煮込んだ料理のそれではない。なんだかおかしい。別に、嫌な香りという訳じゃないけれど。

「さあ、戻った戻った」

「戻るって、どこに?」

 母がそう言うと、家は音を立てて崩れていく。壁も家具も、弟も妹も何もかも、乾いた砂のように、細かな粒子になってぽろぽろと消えていく。

「待ってお母さん! もっと話したいよ! まだ話したいことがあるんだ!」

 アカネを父と母が後ろから抱きしめた。

「いってらっしゃい」

 そう言った母も肩を抱く父も、消滅が始まった。言葉を言う間もなくそこは、どこまでも果てしなく、白だけの空間になってしまった。何もない、誰もいない。アカネだけがぽつんと立つ。

 ただ一つ、シチューの皿から漂った謎の植物の香りだけがそこに残っていた。


 意識が戻ったとき、頬を一筋の涙が流れていた。

 全部、夢だった。途中からうっすら気づいてはいたけれど、久しぶりに家族に再開できた。それは空虚な張りぼてだった。だけど、春のひだまりの中で昼寝していたような、あたたかな安らぎが、確かに胸の中に残っていた。

 あれが夢だったということは、生きているのか?

 おそるおそる目を開ける。

 ……やはりいた。あの魔人と思しき少女が、アカネを心配そうに覗き込んでいた。

 近くで見る彼女の肌のまだ白い部分は、新雪のように透き通って美しかった。

 まったく可憐で儚げな少女だ。魔人だなんて嘘みたい。

「よかった、目を覚ましたのですね」

 響き渡る少女の声は、ガラス細工のように繊細で、綺麗な水色の声だった。

 アカネは彼女の膝を枕にして寝ていたようである。

 もし、敵だと思われていたのなら、いつでも殺せただろう。けれど、彼女はそうしなかっただけでなく、魔物はびこる森の中で、見守ってくれていたのだ。魔人と推測される彼女の行動がわからなくなった。

「あの……」

「どうしました?」

 アカネはまだ舌が回らず、うまく喋れなかった。たどたどしく伝えていく。

「鞄に……瓶がある。……はちみつ。……飲ませてほしい……」

「はい。今とりますから待っててください」

 少女はアカネが身につけていた鞄から、小指ほどの瓶を取り出し、丁寧に栓をはずすと、それをゆっくり飲ませてくれた。

 スプーンにとれば一杯ほどの量しかないけれど、とろとろでうっとりするほど濃厚な甘みが押し寄せてくる。

「ああ、沁みる……ありがとう」

「それはよかったです。突然倒れるのでびっくりしました」

「あれはね、急性魔力欠乏症っていうの……。まあ、単純に魔力切れって言う方が浸透しているけど」

「あれが魔力切れというものなのですね。実際見たのは初めてだったので、死んでしまったのかと思いましたよ」

「はは、大袈裟だな」

「じゃあ今飲んだのはお薬みたいなものですね」

「そう、魔力を回復するためのね。本物の魔力ポーションは高いから代用品なんだ。ただ、効くのがちょっと遅くってね。だから、もうしばらく動けないや」

「そうなんですね。安心してください、わたくしが見張りますから」

 彼女はアカネの体をさすってくれた。夢を見たせいだろうか、子供の頃、母の見守る中で昼寝をしたときを思い出す。

「助けてくれてありがとう。あなた、やさしいのね」

「いいえ。ただ見捨てられなかっただけですわ」

「そうだ、お礼しなくちゃ。鞄にね、茶色の小さな木箱があるの、クッキーが入っているから、食べていいよ」

「え、そんな、お礼なんていりませんよ。別に大したことなんて……」

「嫌い? 名産のはちみつ入りだから甘くて美味しいの、ここに来たばかりなら食べて欲しいな」

「……いいのですか?」

「もちろん。命の恩人だもの、それじゃあ足りないくらいだよ」

「じゃあ……お言葉に甘えて」

 昨日一枚食べたから、残りは四枚。箱を開けたそばから甘い香りが立ち込めてふたりは笑顔になった。少女はそれに刺激されてかお腹がぐーっと鳴った。

「お腹空いてた?」

 アカネは少し笑って、からかうように言った。

「ええ、まあ。ただ、それもあるのですけど、久しぶりなんです。こういうの」

 物悲しい声。——久しぶり、と彼女は言っていたけど、裏を返せば人の手を加えた食品を食べていたことがあるということか。魔人が人間に混じって暮らしていたとは考えにくい。なら、彼女は魔人として生まれたのではなく、元は人間ということにならないか?

 ただの推測。アカネは彼女のこれまでに思いを馳せた。口調や雰囲気で彼女は品格高いお嬢様のように見える。彼女がもし、人間のお嬢様だったら、周りにはいつもたくさんの人がいて何一つ不自由ない生活を送っていたことだろう。それが、今は一人で森を彷徨っていた。あまりの落差と言うか、その心労は察するに余りある。

 少女はクッキーを二枚取ると、一枚は自分の口に、もう一枚はアカネの口に運んできた。「わたしはいいよ」なんて言おうとしたアカネだったけど、その好意を無下にはできず、結局受け取った。昨日も食べたのに、誰かと食べる今日のクッキーは、一段と甘かった。

 見ると彼女は口許に手をあて、うっとりとしていた。

「美味しかった?」

 と聞くと、噛みしめるように一呼吸置いてから、ゆっくとつぶやいた。

「ええ、とっても」

「それはよかったよ。あ、そうだ、まだ名前を聞いてなかったね。わたしはアカネっていうの」

「アカネ……。聞きなれない名前ですね、服も見たことないつくりで気になっていましたが、異国からの旅人? ですかね。

 わたくしは、シャルロットといいます」

「シャルロット、とても素敵な響きね……。

 わたしは旅人じゃないんだ。お母さんがね、冒険者で遠い異国からこっちに流れ着いたんだって。だから、そっちにルーツがあるってだけさ。今はわたしも、しがない冒険者だけど、いずれは世界を旅して、お母さんに負けない冒険者になるの」

「へぇ、冒険者……ですか。それはいいですね」

 シャルロットは羨ましそうに目を細め、遠くの方を見つめながらはにかんだ。

「ねえシャルロット、あなたって、本当に魔人なの?」

 シャルロットは目を丸くした。そうして若干の間を置いてから話しはじめる。

「……そうですか、わたくしは魔人になってしまったのですね」

「自分ではわからないんだね」

「恥ずかしい話ですが、ここ数日、自分の身に何が起こっているのか理解ができなくて、ただ、流されるようにここに来てしまったのです。

 異変が起こったのは、一週間ほど前でした。高熱が出て苦しんでいましたら、お医者様に流行病というふうに言われました。残念ながら助かる見込みはないと、その時点ではそのように診断されました。ですが死にませんでした。夜、わたくしは騎士たちに囲まれ『ご乱心だ』と剣を向けられたのです。何が何だかわかりませんでした。そこからの記憶はありません。意識を取り戻したとき、すでに王都を離れ一人になっていました。

 体は返り血で汚れ、着ていた服もぼろぼろ。持ち物もなく、追っ手から逃げるようにして……そうしてここに着きました。今にして思えば、わたくしは嵌められたのでしょう……」

「そっか。辛かったね、シャルロット」

 アカネは少女の手を握った。

「ねえアカネさん……わたくしのこと、殺していただけませんか?」

 覚悟に満ちた、おそろしい瞳。塵ひとつの不純物も混じっていない、透明な湖の水のように、ただひたすらに美しかった。

「わたしには無理だね。実力不足だよ、いや実力があっても、あなたを殺せはしないわ」

「そう……」

「わたしね、シャルロットとお友達になりたいの。だから、殺すなんて無理」

「友達? ご冗談を、わたくしは魔人なのですよ?」

 彼女の微笑みは、まさに達観であり、諦めであった。

「そんなの関係ないよ。わたし、シャルロットを一人にしたくない。それにこの花を見て。あなたがくれたのでしょ?」

 アカネの首許に置かれた一輪の花。白い花びらが美しい小さな花で、中央の黄色い花芯が可愛らしい。その花を手に取ってアカネは続ける。

「これ、いい香り。確かリラックス効果があるんだよね。お茶にするとよく眠れるって聞いたことがあるよ」

「カモミールっていうのよ」

「カモミールか、素敵なお花だね。この香り、夢のなかまで届いたの」

「苦しそうにしていましたから、気休めでしたけど届きましたのね。よかった」

 シャルロットは手のひらを出してアカネに見せる。すると、そこから徐々に形あるものが形成されていく不思議な現象が起こって、ニョキニョキとカモミールの白い花が生えたのだ。芽が出来て、花が咲くまでの数週間という時間を圧縮して進めているような、不気味で美しい光景だった。最後に手に繋がった茎をぷちっと抜くと、摘んできたばかりのような新鮮な花が一輪生まれた。

「これを見て、まだ友達になりたいと言えますか? わたくしは魔人なのです」

「言えるよ! 何度でも言うよ。シャルロットのやさしさは、きっと本物だから。わたしと友達になろう」

「いいのかな? そんなことして。人間の真似事みたいな……」 

 アカネはようやく動くようになってきた体に精一杯の力を込めて体勢を起こす。そうして少女シャルロットと向き合って言葉を続ける。

「そうだ! 一緒に冒険者やらない? なんだかわたしたち、いいコンビになれると思うの」

「ぼう……けんしゃ?」

「うん、冒険者。冒険者なら出自を問わず誰でもなれるし、お金を稼げば街で暮らせる。すべてを失ったのかもしれないけれど、ゼロからでも始められるのが冒険者なのさ。どうかな? あ、でもシャルロットにやることがあるとかなら、無理にとは言はないけど……」

 シャルロットは伏し目がちになって少し考えた。そして目線をあげてアカネを見たとき、その瞳に迷いはもうなかった。

「やります! 冒険者。ずっとひとりは嫌ですから」

 なにかが吹っ切れたのだろう、そのときはじめてシャルロットは屈託のない笑顔をみせた。

「アカネさん、あなたの提案受けます。わたくしもあなたとお友達になりたい」

 アカネは立ち上がる。

「一つだけ約束して、もう殺してとか、死にたいとか言わないで欲しい。わたしと生きるの!」

 シャルロットに向けて手を伸ばす。

 その手を、彼女は掴んだ。

「わかりました。約束します」

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