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5 戦闘:手負いのグレイボア

 街の門には灯籠が吊るされている。夜になると暖かなオレンジ色に発光し、そこには門があり、街があることを示すものだけれど、それとは別にもう一つの役割がある。それがポータルとしての役割、つまり帰還の魔法を発動した冒険者が、飛ばされる地点となるのがこの灯籠の下なのだ。

 アカネは腕の魔晶石を、灯籠の底についた、つやつやした石にカチッとぶつけた。石同士が共鳴し、剣の鍔迫り合いのようなキィーンという音が鳴った。こうしておくことで、帰還する灯籠を登録できる。

 街を出るとき、灯籠の下にまだ新しい血の跡が残っているのが見えた。

 気を引き締めないとな。いざとなって逃げられる(すべ)は持ち合わせていても、実際に遭遇したとき、少しでも判断を誤ればミラたちのように壊滅する。それが怪我で済めばまだいい方で、最悪の場合……。どうにも臆病になっている。けれど、泉に近づかなければなんとかなるだろう。今日は幸い、泉の方へ行く依頼は受けていないのだから。


 不安をよそに、森はいつもどおりの雰囲気だった。風が吹けば木々がざわめき、耳を澄ませば鳥や虫の鳴き声も聞こえてくる。森というのは異変に敏感で、生態系の外から異様に強い魔物が混じると、いつもと違う様相を呈すのだという。動物たちが息をひそめ極端に静かになったり、あるいは逆に騒がしかったり……。それなのに、いつもと何も違わぬ森。案外、大したことはないのかも? と思いながら、それでも普段以上の入念な警戒をして、森へ入った。

 それからしばらく歩くなか、数回の戦闘をこなした。ホーンラビット、シンリンアゲハ、モグラもどき、かみつきネズミ。襲ってきた魔物はいつも戦っている取るに足らない雑魚ばかりであった。

 居合の一閃。一撃もはずすこともなく、立ちはだかる魔物たちを一刀両断していく。今でこそ、この街の周囲の魔物など雑魚だと断言できているが、来たばかりの頃はそんな相手でも多少は苦戦した。一年も真面目に冒険者をしていれば、多少は力をつけるのは当たり前だろう。

 アコリオンの周辺を書いた地図には赤いインクでさまざまな書き込みがなされている。それは採集ポイントや魔物の生息域、行き止まりなどの注意事項で、すべてアカネが歩き回って集めた情報である。こういったマッピングもまた冒険者にとっては必須のスキルだ。

 地図を頼りに採集ポイントを巡り、ギルドで受けた二つの依頼は完了した。残すはカバタスに頼まれたハーブのみ、一番近いポイントは……と地図上を探す。近くには二つの採集ポイントがあった。ひとつは現在地と目的地とを結ぶ経路の真ん中に、ちょうど例の泉がある。もう一つは泉と逆方向。それならば誰だって、考えるまでもなく後者を選ぶだろう。

 とはいえ、相手は魔人。ずっと泉にいてくれれば有り難いけど、移動していることだって普通に考えられる。もし出会ってしまったら、すぐに離脱しよう。アカネは腕の魔晶石を触って、ちゃんとそこにあるのを確認して、奥へ進んでいく。


 森にはいくつか開けた場所がある。たどり着いた目的地もそんな場所だった。見晴らしがよく、姿を隠せるような陰になるところが少ないから、案外魔物の気配も薄い。誰が持って来たのか切り株なんかも置いてあって、冒険者が休憩するようなスポットにもなっている。

 よく日に当たる環境で、地面には多くの野草が自生していた。小さな水色の花をつけるから、それほど目を凝らさなくてもすぐに見つけられた。ぱぱっと摘み、これで依頼はすべて完了。切り株に腰をおろし、休むことも考えたけど、今日は早く帰った方がいいだろう。来た道を引き返そうとした。

 しかし、そのときだった。急に森が騒ぎはじめたのだ。ざわざわと少し遠くの木々が揺れているのが見える。そして、揺れた木に止まっていたであろう小鳥たちが一斉に飛び立ち、黒い点々がぶわーっと向こうの空に逃げ出した。

 どうやらソレは、こちらに近づいている。揺れる木々が波のように迫ってくるのを見て、アカネは刀に手を添えた。今からどこかに隠れるか? と一瞬の思考。けれど、今立っていたのはちょうど真ん中あたり。どの方向に走っても間に合わない。

 程なくして茂みがばさばさと音を立て、ソレは現れた。巨大なイノシシ、この森の主、〈グレイボア〉だ。実はこの魔物、若い頃は黒い毛をしている。だけど、成長し個体として強くなると、毛の黒い色素が少しずつ薄くなっていく生態をしている。そして、銀色に近い灰色に見えるようになった頃には、群れで一番強い個体になっているのだ。そういう特殊個体を〈グレイボア〉と呼んで差別化している。

 そいつも、灰色の体毛をしていた。

「ガロロロロロ……」

 おぞましい低音の唸り声。

 実際に見るのは初めてだった。体長は、五メートルほどはあるだろうか……デカい。アカネが見てきた魔物のなかでは、間違いなく一番の大きさだ。体も厚く、どこを切っても一刀両断とはいかないだろう。苦戦は必至だと思った。

 だけど、そのグレイボアはよく見れば、すでに何者かと戦った後のようである。至るところに斬撃を食らったような傷があり、そこから赤い血が滲み出し、巨体を支える四肢もどこかぎこちなく震えている。虫の息とまではいかないけど、弱っていることは間違いない。ひょっとすると倒すのには千載一遇の好機ではないか。下心がアカネを誘惑してやまなかった。それこそ、求めていた成長の証なのかもしれない。刀を抜くアカネ、冷酷な視線を向けるグレイボア。目が合った瞬間、戦いの幕は切って落とされた。

 グレイボアが動いた。前足で軽く地面を掻くそぶりを見せたあと、爆発的なスタートで突進を仕掛ける。直線的な攻撃だが、避けるのが早すぎると軌道修正して追尾されるだろうから、ギリギリまで引きつけなければない。そういう戦い方の基礎知識は、普段から冒険者同士でもよく話すから、事前に頭に入っていた。

 猛烈なスピードで近づいてくるグレイボアには、少なからず腹立たしさも感じていた。傷つきながらも戦う選択をしたということは、勝てると思われているのだろう。長く鋭利な牙が迫る。

 恐怖と緊張、高まる集中、視界は鮮明で、相手の動きがゆっくりに見えるようだった。どこまで引きつけてどこでステップをするか、それが手に取るようにわかる。突進を十分に引きつけ、横っ飛び。前回り受け身のように体を回転させ、(かわ)した。

 それは、ここしかないという完璧なタイミングでの回避だった。グレイボアからすれば、確実に捉えたと思ったはずだ。それがいきなり視界から消え、手応えなく空振りしたのだ。グレイボアは前のめりになり突っ伏すようにしてブレーキをかけ、巨体を止めるのに必死であった。

 本来なら、この突進後の硬直こそ反撃のタイミングだ。ここで一気に攻撃を仕掛けるのが対グレイボアにおける基本なのだけれど、アカネは攻撃出来なかった。その戦術は複数人のパーティを前提とした戦術であって、ソロでの戦いは念頭にないからだ。

 体勢が崩れて隙だらけの相手に向かって走ったが、思った以上に距離があり、アカネが到達する前に、そいつは方向転換まで終わらせていた。そこにもう隙はなかった。

「うそ、立て直すの早すぎでしょ!」

 愚痴がもれる。

 事前にあれこれ考えて、シミュレーションを何度もして、それでもうまくいかないなんてのはよくある話だ。そうして次の案を考えていなかった者は、思考回路がショートする。これもまた、よくある話。

「やばいやばいやばいやばい、どうする? 考えろ!」

 グレイボアはまた狙いを定め、突進を仕掛ける。戦うか逃げるか、戦うとして作戦は? そんな思考の時間は与えてもらえるはずもなく、アカネは回避に専念するしかなかった。

 避けているだけで相手に攻撃できなければ、いずれジリ貧になってしまう。

 突進後の隙をつくのは一人じゃ無理。突進に合わせてこちらも攻撃、それは吹っ飛ばされる。攻撃を受け止めるのは論外。刀を投げるのは……一撃で倒せる気がしないし、武器を失うリスクしかない。

 次から次へと来る突進を躱しながら、必死に考えた。すると、だんだんと相手の動きに慣れて、回避が容易くなったきた。——ひらめいた。

 もう何度目かの突進を躱すと、その動作に合わせて刀を振った。斬撃を突進の動線上に置くようにして、攻撃と回避を同時に行ったのだ。

 体の側面に一撃が入った。

 一方で、今回も攻撃をはずし、地面を滑っていくグレイボアからは怒りの咆哮が放たれた。

 こちらの攻撃は皮下脂肪をちょっと削いだくらいで有効打とは言えないけれど、多少でもダメージを与えられたはず。これを繰り返せば、いずれもっと深い致命傷も与えられるかもしれない。けれど、この戦法は体力と集中力がもつかどうか、相手との根比べ。依然として一発食らったら一溜まりもない状況で、長期戦は得策ではないだろう。

 ならば、切り札を切るべきだ。

 アカネは丹田に意識を集中させていく。じんわりと体温が上がり、呼吸は深くなる。体内の奥底から魔力を取り出して、それを手のほうに移していくと、持っていた刀の刃に青白い電撃がバチバチと音を鳴らしてほとばしった。構わず向かってくるグレイボア。その突進を躱し、先ほどと同様に斬りかかる。刀から放たれる電撃は、斬撃の瞬間に強大な雷となって相手を襲う。それは魔物につけた傷口を通して流れ込み、皮下脂肪の奥にまで直接ダメージを与えた。

 悲鳴。鼓膜を針で突き刺すような雄叫びをあげた。グレイボアは踏ん張りも効かず、ブレーキをかけられなくなって慣性で転がっていき、摩擦で速度が死ぬまで止まりはしなかった。そうして止まったとき、それは腹を完全に地面につけ、もがき苦しんでいた。はじめて奪ったダウンだ。

 好機到来とばかりに全速力で走り距離を詰めるアカネ。振り上げた刀の刀身には再び雷光がはじけ、これでトドメとばかりに叫び、力の限り振り下ろした。

「でやああああ!」

 その巨体に入り込む刃。確かに、今までよりは十分深く斬れたけど、(あばら)骨に邪魔されたのか、傷は思いの(ほか)浅く、致命的な一撃とはいかなかった。一刀両断とはいかなくても、本当なら内臓までは到達したかった。

 それでも、電撃もあってグレイボアの叫びは、より苦しみに満ちたものになっていた。その攻撃が有効打になったのは明らか。

 魔力を使った斬撃ができるのは次で最後……何としても仕留める!

 アカネはそう思って魔物から刀を抜き、もう一度構えようとしたときだった。グレイボアはけたたましい雄叫びとともに立ち上がったのだった。どれだけ傷ついても倒れない、それどころか最後まで向かってくる勇姿、それは、魔物としての本能なのかもしれないけれど、まるで勇敢な戦士のようでもあった。

 思わず気圧され、バックステップで素早く身を引いた。

 アカネが着地する瞬間、それを狙ったかのようにグレイボアは大きく地面を踏み鳴らした。水面に石を投げたように、地面が揺れる。着地すると同時にバランスを崩し、その場で転倒した。

 転倒の仕方も最悪で、あろうことか尻餅をついてしまったのである。迅速に体を起こそうとするけれど、腰がストンと抜けたみたいに力が入らない。そして、再び突進攻撃を仕掛けるグレイボアの姿があった。

 動け動け動け動け。

 心の中で何度も叫ぶ。だけど、アカネは体は言うことを聞いてくれない。迫り来るグレイボアの姿は、徐々にスローに映り、足音は断頭台への行進曲のように聞こえる。

 死を覚悟したアカネは、ふと母の顔が思い浮かんだ。その身ひとつで遠い異国から旅をして、数々の武勇を残した高名な冒険者と比べてしまうと、あっけない終わりだったなと。


 空気を切り裂く鞭のような音は、そのとき唐突に聞こえてきた。何が起こったのか正確に理解することなんて出来なかったけれど、横から攻撃が挟まれたのはなんとなく見えた。そして、グレイボアの巨体は本来の軌道から少し逸れて、アカネの横を掠って通り抜けて行った。その風圧に、黒髪が龍の尻尾の如くなびた。

 ——助かった、生きている!

 振り返ると、離れたところに横転したグレイボアがいた。まだ生きているけれど、今ので虫の息だ。次こそトドメを刺すという決意で、刀を握る手にも自然と力が入る。

 アカネは立ち上がった。そして走った。

 刀を振り上げひょいっと飛び上がると、落下するのに合わせて魔力を込めた渾身の一振りを放つ。森には少女の雄叫びと雷鳴が轟いた。刀はグレイボアの喉首に入り込んでいった。次こそは骨ごと切り裂いてやる。信念が刀に、アカネに、力を与える。喉許を掻っ切り、致命傷を与えてもなお、力を緩めることはしなかった。

 結果、グレイボアの首は完全に切り落とされた。

「……ふぅ……。勝った……」

 空を見上げ、勝利の味を貪った。雲ひとつない晴天が、強敵撃破を祝っているように輝いていた。

 だけど、気がかりなことがあって、いつまでも余韻に浸ってはいられない。絶体絶命だったあのとき割り込んだ攻撃が、何かわからないからだ。あれがなければ死んでいた。敵か味方か、その攻撃が飛んできた方に目を向けた。

 ざわざわと茂みが騒ぎ出す。刀を構えたい気持ちもあったけれど、それが同業者であったなら敵意を向けるのも得策ではない。そう思って鞘に収め、様子を伺うことにした。なにせアカネはもう戦えない、いざこざは勘弁だ。

 まず、最初に顔がひょっこり現れた。金髪の少女がこちらを見ている。なんだ、女の子か、と警戒を解き、微笑んでみせた。知らない顔だけど、冒険者かな? そうしてアカネが声をかけようとしたときだった。

 少女が茂みから完全に出ると、異様な姿がそこにあった。上半身は裸で、その肌の半分ほどが緑色に変色し、下半身には赤い花びらが折り重なったようなスカートを履いている。

 あれってもしかして、ミラたちのパーティを壊滅させた魔人じゃない?

 腕の魔晶石を握りしめ、魔力を込めた。


 ——あれっ……。

 魔晶石がほのかに光ったとき、突如として視界が暗くなった。この感じ、帰還の魔法が発動した訳ではない。けれど、何も出来なかった。体から力が抜ける。

 アカネは意識を失い、その場にばたっと倒れた。

 最後に一瞬見えたのは、こちらに迫る魔人らしき少女の姿であった。

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