4 いつもと違う朝
昨夜はお茶のおかげで安眠だった。朝、目が覚めたアカネの頭はいつになくすっきりと明瞭で、体もすこぶる軽く感じた。今日なら強い魔物も倒せそうと、そんな思い違いをしながら下へ降りた。勝手口から裏庭へ出て、井戸水を汲んで顔を洗い、酒場の厨房へ入った。
「カバタスおじさん、おはよう」
「おう、おはようさん」
——カンカンカンカン……
野菜を刻んでいる。上等な包丁と硬いまな板とがぶつかる甲高い音色。リズミカルで心地よく鼓膜の奥をくすぐる。
「今朝はまた顔色が良さそうじゃねえか」
そう言うカバタスも朝から調子が良さそうだ。
「うん、昨日はよく眠れたの」
アカネは手を洗って野菜の皮むきに取りかかった。包丁片手に慣れた手つきで作業をする。
「そうかい。冒険者は体が一番だからな、体調管理も仕事のうちだ。その調子で励めよ」
「うん、がんばるよ」
カバタスは今しがた切った野菜を鍋に放り込み、水を入れたのち火にかけた。そして次の仕込みにとりかかるべく食材の棚をあさる。
「あっと、……切らしちまったな」
頭を掻きながら、やっちまった感をかもすカバタス。声をかけないといけない雰囲気に、やれやれと思いながらも声をかける。
「どうしたの?」
「エールに使う例のハーブがなくなっちまってな」
「ああ、……なるほどね」
「ってことでアカネ、採ってきてくれねーか? 報酬は弾むからよ」
「言ったね、じゃあ、これで」
アカネは指を五本立てて見せる。
「おまえそれはたかりすぎだぞ」カバタスは指を四本立て「これ以上は出せん」と言い切った。
とはいえ相場よりは少し色をつけてもらっているし、最初っからこっちの要望が通るとも思ってない。何より断る理由もない。
「よしそれで手を打とう」
アカネはしたり顔。
「ったく、余所ではあんまり調子乗んなよ」
「わかってるよ。こんなこと言えるのも、おじさんとの仲だからね」
「あーもう、とっとと旅立ってくんねーかなおめえさんはなぁ」
「いいの? 本当にわたしがいなくなったら、寂しくなるんじゃない」
「寂しくなるかよバカやろう。おめえがいなくなっても次の新人が来るだけ。この街はそうやって回ってんだよ」
「もう、そのときになって泣いたって知らないからね」
「おうおう、泣くもんかよ」
仕込みの手伝いを終わらせたアカネはいつものようにギルド会館へ行った。
木造二階建ての小さな会館。エントランスホールは広く、壁についた掲示板には仕事依頼の紙が乱雑に貼られ、奥にはカウンターがある。二階には立派な応接室もあるみたいだけど、ほとんど使っているところを見たことがない。まあ応接室なんて、高位の冒険者が難度の高い依頼を受けるときに、報酬の交渉や敵の情報、作戦の相談なんかに使う部屋だ。新人冒険者たちには分不相応だろう。
今日のアカネはカバタスからの指名依頼があるため、とくに依頼を受けなくても収入源は確保している。だから、直で森へ行ってもいいのだけど、どうせならギルドからの依頼も受けられないかと、ちょっと欲が出ていたのだ。
けれど、この判断は結果として正しかったようである。
会館に入ると、なにやら騒がしい様子であった。職員はばたばた走り回り、冒険者たちは不安げな面持ちで話し合っている。一体なにがあったのだろう。顔見知りの職員を捕まえた。
「あのモニカさん、この騒ぎは?」
「アカネちゃん。実は魔人の出現報告があったの。すでに被害も出ているわ」
「魔人? こんなところに……。詳しく聞いても?」
「ええ」ギルド職員の女性はポケットから小さな地図を出し、指をさしながら説明をする。
「ここ、西の森に泉あるでしょ、ここで遭遇したらしいの。時間は昨日の夜、遭遇した五人組のパーティは間一髪帰還が間に合ったから死者は出ていないけれど、死んでもおかしくない戦いだったと言っているわ。今もこの場所にいるかはわからないし、動いて違う場所にいるかもしれないけれど、とにかくみんなには注意を促しているわ」
「なるほど。それで魔人はどんなやつだったって?」
「植物の力を操る、女の子だったようよ。
そういえば、帰還の術を込めた魔晶石は持っている? 一応しばらくの間は戦闘を離脱して即座に帰還が出来る冒険者にしか依頼を受けられないようにしているの。ここはほら、初心者の子ばかりだから、きっと魔人には勝てないわ」
「それなら、持っていますよ」
アカネは腕につけた透明なガラス玉のようなそれを見せた。
「ならいいけど、森へ行くなら気をつけてね。何かあったらすぐ帰ってくるのよ」
「うん、ありがとう」
モニカはすたすた歩いて行き、また別の冒険者に事情を説明して回っている。
アカネは掲示板を確認しに行く。今日は依頼がいつもより多く余っている。魔人の話を聞いて取りやめた人たちもいるのだろう。ならばと思って張り紙を二つ剥がす。鞄が膨れないよう、あまり荷物にならない簡単な採集依頼を二つ選んだ。三つの依頼を一度にこなせば、昨日の無駄遣いもチャラだ。意気揚々とカウンターに持って行って、すぐに受理された。
「今日は無理しないでね。あと、森に異変があったら報告お願いね」
念を入れるように、受付の女性がそう言った。アカネは「わかってます。行ってきます」と返事をして、ギルド会館を後にした。
アカネは街を出る前に、教会に併設された治療院を訪れた。
「なにかご用ですか?」
と神官見習いの少女。彼女はここで患者の看病をしながら、治癒の魔法を教わっている。
「あの、もしかしてだけどミラは来てない? お見舞いに来たのだけど……」
「ああミラさんですか。ちょっと待っててください、面会できるか聞いてきます。お名前は?」
「アカネ」
神官見習いは早足に消え、すぐに戻って来て病室へ通してくれた。どうやら会ってくれるみたいだけど、それはつまり、起こってほしくないことが起きたという裏返しだ。
ギルドで話を聞いてから、頭の片隅に浮かんだミラの顔。夜限定の依頼なんてそもそも数も少ないし、受領する冒険者もそうそういない。被害にあったのが彼女でなければいいが、と思っていたけれど、そうか、やっぱりそういうことか。
清潔な白い病室には薬品のツンとした匂いがただよっている。事件を聞きつけて見舞いに来た人はアカネだけではないようで、部屋は少し窮屈に思えた。
ベッドで横になる冒険者を順々に見ていく。骨折でもしたか足を固定されている少年は、たしか弓使いの……上半身のほとんどを包帯に巻かれた彼は、大盾の……うなされたように苦しい表情で眠っている少女は魔法使いの……。みんなミラの仲間だった。しかも酷い怪我である。せめてミラは無事でいてくれ、とアカネは祈るような気持ちで奥へ進んでいく。
ミラは一番奥にいた。椅子に座り、ベッドで横たわるリーダーの横で、彼の手をとって泣いていた。
近づいてみると、彼は右足の膝から下がなくなっている。その姿は、どこかカバタスと重なった。
願いが届いたのか、ミラは無事だった。けれど、一人だけ無事だったからこそ、その心にかかる負担は計り知れない。
アカネは静かにそばに行って、そっとミラの肩を抱いた。
ひっくひっくと呼吸もままならない彼女の背中をさすってやるくらいしか、アカネにはできなかった。
「ありがとう、来てくれて……。彼、今寝たところなの。場所変えよう」
ミラは今にも消えそうな声を絞り出した。アカネはミラの手を引いて外に出た。中庭のベンチに腰をかけ、彼女はゆっくり口を開いた。
「みんなを、守れなかった……」
震える声はろうそくの火のように頼りなく、今にも消えてしまいそうなほど衰弱していた。
「みんな生きてる。ミラ、あなたが頑張ったんでしょ? よくやったと思う」
アカネは言葉を絞り出した。
「ううん、みんなに酷い怪我を負わせてしまった。神官のわたしが何もできなかったせい、みんなを守るのが仕事だったのに、いざというとき何も出来なかった。……それに」
ミラのあふれる涙は一向に止まる気配がなかった。彼女はそれを両手でぬぐいながら続けた。
「片足を失った彼は、もう冒険者を続けられない……。他の人には言ってなかったけどね、彼、実は隣国の貴族の子息だったの、冒険者なんてならなくてもお金に困ることもなく、生きていけたでしょう。けれどね、彼はこの世界のいろんな国に行きたがっていたの。自分の脚で旅をして、自分の目で世界を見て、いろんな人と関わりたい、それが夢だったの。
だから貴族の地位もお金もすべて捨てて冒険者になったのに……わたしは、そんな彼の夢を潰してしまったんだわ。そんなのって……あんまりよ……」
「ミラ、きみが悪いわけじゃない。一人で背負っちゃいけないよ。
わたしたちは冒険者になった瞬間から、最悪の事態は覚悟している。いつ死んでも、怪我で冒険者を辞めることになっても、それは全部自分の問題だ。
正直言って貴族を捨てるってのが、どういうものかは想像できない。でも、メンバーのみんなの命だけは助けられたんだ、後悔はないと思うし、みんなを助けられるなら、わたしでも同じことをしたと思うよ」
「……アカネ、パーティ組んだことないじゃない」
「ははは、そうだね。でも、きみが無事で安心したよ。ギルドで話を聞いたときは心臓が止まるかと思ったんだ。力になれることがあったらなんでもするから、なんでも言って」
ミラは涙をぬぐった。少しは落ち着いたみたいだった。
「うん。……話せてよかった。来てくれてありがとう。わたし、彼のところ戻るね」
「わかった。また来るよ」
ミラがまた病室に入るのを見送って、アカネは治療院を後にした。




