2 はじまりの街アコリオン
はじまりの街なんていうのは、この世界の冒険者がよく使う言い回しである。周囲に生息する魔物が弱く死の脅威が低いので、経験の浅い新人冒険者たちの多くが、まずその一歩目としてそうした街を活動拠点に選ぶことに由来する。
こういった街は世界の各地にあって、アカネが現在拠点としているアコリオンの街もそのひとつだ。
村というには大きく、街というにはちょっと物足りない規模のアコリオンは、木造の安っぽい建物が並び、まさに「はじまり」と呼ぶのに相応しい街である。
外周を囲う柵も木で作られた低く簡素なもので、侵入者を防ぐというよりも、街の境界を示すだけの存在。それを見ただけでこの街に脅威がほとんど無いのは明らかだろう。
日も傾き街がオレンジ色に染まった頃、鼻歌交じりに意気揚揚とアカネが帰ってくる。街の大きな通りは冒険者や、住民で活気づいていた。
「聞いてくれよ、おれたちゃ今日はフォレストウルフを倒したんだぜ!」
「えっ、おまえいつの間にそんな魔物倒せるようになったんだ?」
「っへへ、これでおれらの旅立ちも早まったかなって」
「なんだよ、せっかく仲良くなったばっかなのに、もうお別れかい?」
「そんなにすぐには行かねえよ、最後はやっぱアイツを倒さないとな」
「グレイボアか……気をつけるんだぞ。ダメだと思ったらすぐ逃げるんだ。あいつはここじゃ別格の魔物だ。いくら初心者御用達の街といっても、年に数人は死人が出る。そいつらは決まってグレイボアにやられんだ。戦いに慣れて自信をつけて、調子に乗って挑んで負ける。」
「忠告ありがとう。おれも死ぬつもりはない、心に留めておくよ。さあ、今日はフォレストウルフのおかげで潤っているんだ、奢るから呑もう」
どこからともなく聞こえてくる冒険者と住人の声。他愛もないやりとりを聞き流しながらアカネもまた何かご褒美を探していた。秘密にしたいはじめての大手柄。自分で自分を祝ってあげたいそんな日は、ちょっとだけでも贅沢をしたいと思ったのだ。酒よりは……やっぱり甘いものだよね。
ギルド会館で依頼を完了させて報酬を受け取り、端金ほどにしかならない素材買取もしてもらった。収入はいつもとさほど変わらない。無駄遣いをできるような身の程でないことはわかっているけれど、多少の蓄えは持っている。それはいつかこの街を離れるときの路銀。だけど、その日はまだ来そうにもないから、今日は特別に使ってしまおう。
会館を出たアカネの足は自然とパン屋に向かっていた。そのパン屋には、名産のはちみつを使い甘く仕上げられたクッキーが置いてある。
店の近くまで来ると、はちみつと小麦の焼けた甘い香りがほのかに漂っている。
「ごめんください」
扉についたベルがカランと鳴った。
「じゃあ、はちみつのクッキー五つお願いします」
店には先客がいた。白いローブをまとった姿は、治癒の魔術を得意とする神官の少女であろう。振り返るとそれは、アカネもよく知るミラという冒険者であった。彼女はアカネを見るなり笑顔をつくり話しかけてきた。
「あら、アカネじゃない、あなたもクッキーを?」
「うん。そうだよ」
「ここに来るなんて珍しいね。あっ、もしかして、なんか嫌なことでもあった?」
「違うけど、どうしてそうなるのかな」
アカネは苦笑いを浮かべた。
「だって、甘いものを欲しがるときなんてイライラしていたり、うまくいかないことがあったり、だいたいそんなものでしょう?」
「あはは、ミラはそうなんだ。私はむしろ逆だよ。いいことがあってね」
「へぇ、何があったの? 教えてよ」
「それは……秘密かな。ま、他の人からしたら大したことじゃないし」
「ふーん、そう言われちゃうと気になっちゃうな」
「ミラは何かあったの? 嫌なこととか」
すると彼女は語気を強め、まくしたてる。
「聞いてよ、うちのパーティこれから依頼で森に入るの。夜の冒険は嫌って言ってるのに、実入りがいいからってリーダーが勝手に引き受けちゃったの。もうほんと最悪よ!」
「ははは、災難だねそれは」
「でしょ? だからね、甘いもののひとつでもないとやってられないのよ。夜、お腹が空いたら食べるんだ、これ見よがしにね」
彼女はにやにや笑っていた。
「気をつけてねミラ。夜の冒険は危ないんだろ?」
「うん。でも、何度も経験しているし、心得もあるから大丈夫よ」
店主の女がカウンター越しに手を出す。
「ミラちゃんお待たせ、お品だよ」
会計を済ませたミラは幾分かすっきりした顔で店を出た。愚痴でも不安でも誰かに話せばちょっとは楽になる、というのは今のアカネには沁みる考えだった。鞄に入った金色の実を、誰かに見せたい気もするし、誰にも見せたくない気もしている。
「アカネちゃんはどうする?」
「わたしも、はちみつのクッキーを五枚」
「はいよ」
アカネは来た道を戻り、ギルド会館近くにある一軒の酒場に入った。
重厚な木製扉のハンドルにはグレイボアの牙が使われていて、開けるとどっしりとした重みが腕にかかる。蝶番のどこかがギーと軋んだけど、それはいつものことで不快にも思わなかった。
中の壁や柱の木材はカブト虫のような黒ずみ、元の木の色は見る影ももない。調理時に飛んだ油や煙が積み重なっているのだろう。それゆえ燻されたような独特な匂いも染みついている。それは、刻んだ時間と店への信頼とが形になって表れたもの。よく言えば味があり、言葉を選ばず言えば小汚い店であった。
客足はまだまばらだけど、あと数分もすれば賑わう時間になる。
「ただいま、カバタスおじさん」
カウンターの向こうにいる体格のいいおじさんに声をかける。かれはこの店の店主、カバタス。四角い図体に髭もじゃの顔、男にしては少し長め髪を後ろでひとつにまとめ、袖をまくってムキムキの腕を見せびらかしながら鍋を振っていた。
「おう、お疲れさん。まず飯だろ?」
「うん! そうする」
カウンター席の一番奥に座ったアカネ。カバタスはその前にドンっと木皿を出す。ワンプレートのなかにライ麦パン、チキンソテー、マッシュポテトが入っている。遅れて到着したお椀には、豆と野菜のスープ。
「うわあ、今日もおいしそう。おじさんいつもありがとう」
「ったく、おいしそうじゃなくておいしいんだよ! それ食ったらいつも通り頼むな」
「うん、じゃあいただきます」
アカネは皿の前で手を合わせそう言った。この辺では見ない挨拶だけど、カバタスももう見慣れている。
それじゃあまずはチキンソテーからひとくち。
「うーん。おいしい」
疲れた体に肉の旨味が押し寄せる。
瞼をぎゅっと閉じておいしさを全身で表現するアカネに、カバタスは本当の父親のようなやさしい眼差しを向けていた。もちろんこの二人は本当の親子ではなく、アカネがここに居候しているにすぎない。
資金的に余裕のない新人冒険者向けに、相場より低い家賃で寝床を与えてもらい、その代わりに仕事を手伝うというギルドの制度を利用したのだ。そのとき紹介してもらったのが、この酒場の店主カバタスだった。
かれはお人好しだ。これまでもたくさんの冒険者に屋根裏を貸し、本来する必要のない飯の世話までしてくれるような人だ。なぜそこまでするかと言えば、かれも昔は冒険者をしていたので、新人冒険者の苦労が身に沁みてわかるからだろう。だけど、長くは続かなかったのだという。そのことを深く探りはしなかった。なぜなら、カバタスの右足は膝から下がないからだ。義足代わりにかれの体重を支える、あまり頼りにならない木の棒が、すべてを物語っていたからあえて聞くまでもなかった。
「おめえさん、もうここに来て一年ってぇとこか?」
とカバタス。相変わらず父性あふれる声だ。
「えっ、もうそんなに経ったっけ? はー……。そっか、そんなに足踏みしていたのか」
「やっぱソロじゃ大変だろ? この街ならパーティメンバーの募集もいつだってあるんだろ、どっかに入れてもらったらどうだ」
「うーん。……そうだね」
煮え切らない態度に、カバタスは眉をひそめた。
「まあおれはおめえがいつまでここにいたって構わねえがよ、それはおめえの望むことじゃねえんだろ? 冒険者っつーのは、みんな足りない部分があるんだ。ひとりでなんでも出来るやつなんて……まあ一握りはいるけど、まあほとんどいねえよ。だからパーティを組んで補い合うんだ」
「うん、わかってる。それに、パーティを組んだことがないわけでもないの。けれど、どれも一度きりだった。連携がうまくできなくってね」
「おめえさんは戦いのスタイルが独特だからな、みんなどうやって連携をとっていいか知らねえんだよ。コミニュケーションをすりゃ、ちゃんと理解してくれるはずだぜ」
「うーん……」
「ま、頑張れよ、応援してるからよ」
そう言って調理場に戻ったカバタス。アカネはライ麦パンをちぎり、スープに浸してから頬張った。落ち着いて食べているように見えて、実のところそわそわしていた。焦りを感じていたのだ。この街に留まるのは三ヶ月と、最初はそう決めていた。その間に力をつけ、仲間も見つけるつもりだった。しかし、どうだろうか。今の姿は、あの頃思い描いていたものとは随分違う。
「ごちそうさま」
再び手を合わせて小さく唱えた。アカネの食事が終わる頃には少しずつだが客も増え賑わいをみせていた。
急いでバックヤードに入りエプロンをつけホールに戻って給仕の手伝いをした。一番客が入る約二時間の間、ホールを駆け回った。
そうして空席が半分ほどできた頃、カバタスから「上がっていいぞ」と声をかけられ、今日の手伝いが終わった。




