1 妖しい果実
殺気。それは命を刈り取る死神の足音。
木洩れ陽があたりをやわらかく照らす翠緑の森林。風に吹かれて木々が揺れると、緑に茂った葉が、きらきらとまばたいた。穏やかな森には似つかわしくない肌を刺すような冷たい気配は、木陰の一点から鋭く放たれている。
獣道を歩く冒険者の少女アカネは、穏やかではないその小さな気配にも素早く反応し、咄嗟に刀を構える。
朱色の鮮やかな着物に濃紺の袴、腰に刀を携えた武士のような出で立ちの少女。黒く艶やかな髪は後ろでひとつにまとめられ、琥珀色の瞳があたりを注視する。
近くに魔物がいるのだ。息を殺して木陰へじりりと歩み寄る。
それは木の下の方の、茂みの中にいる気がした。そんなところに隠れられるくらいなら、あまり大きくない魔物だろう。そいつはきっと臆病で、隙をうかがって、一発かましてやろうと画策してるに違いない。とすると……そんなふうに見当をつけながら一歩、また一歩と地面を踏みしめる。
——静寂。息を呑む。
直後、風が吹き抜け木々がざわめいた。痺れを切らしたのは敵の方だった。ばっと飛び出した一匹の兎の魔物——ホーンラビット。
目が赤く体毛は茶色、額には長く鋭く、岩をも貫く硬質なツノが一本生えている。このツノを用いた攻撃をアカネのような軽装備の冒険者がまともに喰らえば体を貫通してしまうのは必至。あたりどころによっては内臓に穴が開き、最悪の場合は一撃で死んでしまうかもしれない。冒険とは常に危険がつきまとうもの、たとえそれが目の前にいるような小さくて、一見可愛らしく、一般的に弱いとされる魔物であっても油断してしまえば命は刈り取られてしまう。アカネは集中を研ぎ澄ませて迎え撃つ。
ホーンラビットは飛び出した勢いのまま一直線に向かってきた。けれど、一旦はじまった突進攻撃は途中で向きを変えられなし、集中状態であるならば目で捉えられないスピードでもない。ならば、対処は簡単だ。
——見切った。
アカネは体を半身にし、落葉が風でひるがえるような軽い身のこなしでいとも容易く躱した。
攻撃が空振って宙を力なくふらつくホーンラビットにアカネは狙いを定めた。今度はこっちの番、と言わんばかりに眼光鋭く睨みつると、手にした刀を抜くと同時に踏み込み、一閃。狙い澄ました居合の一撃が魔物を襲う。
ホーンラビットは断末魔の叫びをあげる暇もなく、骨から断たれて体は真っ二つになった。
「ふぅ……」
ため息とともに刀を振るって魔物の血を落とし、流れるような所作で刀身を鞘に収めた。
臆病者らしく逃げていれば殺さなかったのに……と心のなかで吐き捨てた。魔物は人間を襲うものではあるけれど、力の差や人数の差で勝ち目がないと判断すれば案外逃げる。あの兎のように臆病な魔物ならなおさらそう行動するはずだけど……。ただ、アカネが一人でいたことと、あまり強く思われなかったことで襲ってきたのだろう。ならばせめて屍は有効活用させてもらうと、解体用のナイフを取り出して、角だけきれいに切り落とし、持ち帰ることにした。
探索を再開した。今日は別に兎を倒しに来たのではない。
冒険者なんていっても、好き勝手魔物を倒してフラフラしているだけで飯は食えない。アカネのように新人で実力不足、経験も浅く、おまけにソロとくれば倒せる魔物も弱い相手ばかり。倒してその一部を素材として買取ってもらうことは出来ても、所詮雑魚の素材は市場にあふれているので大した報酬は見込めない。ホーンラビットの角だってせいぜい晩飯一食分にもならないだろう。武具の整備、消耗品の購入、それに普段の生活費や思いがけない出費、冒険者を続けるのも金がいる。つまりは仕事であって、ギルドから受けられる依頼をコツコツとこなして銭を得ねばならない。
アカネは地図を確認した。手書きの書き込みによればこのあたり。近くを探して、目当ての品——キュラルの実——の群生地に着いた。それは赤い木の実で、傷薬やポーションの調合に必要になるもの。今日の仕事は、このキュラルの実の採集であった。個数は十個。多くても少なくてもいけない。ぴったり十個。乱獲はご法度で、そのとき必要な物を必要な量だけ卸す、それが冒険者の心得だ。
魔物への警戒をしながら、慣れた手つきで実を摘み取り、肩がけの鞄に詰め込んであっという間に仕事は終わった。それにしても、今日はいささかその数が少ないようであった。普段なら、もうちょっと実っていたような……。とアカネは首を傾げた。誰かがたくさん採ったのだろうか、必要数以上を持っていてもギルドは相手にしてくれないはずだが……。
けれど、そのことについてそれ以上は考えなかった。きっと街に来たばかりの新人冒険者の過ちだろうと、この街ではよくあることだったからだ。
鞄のなかに手を入れ、念のためもう一度数えてみた。たしかに十個あることを確認しアカネは帰路へつく。すると……。
「ん?」
踵を返したそのとき、何かきらっとした光が視界を横切った。明らかに不自然な光だった。葉や果実などの自然物がもたらした光ではない。もっと鋭く、強く、金属的な何か、それこそ剣の先端が光ったときのような、主張の激しい光だった。まるで何かに呼ばれた気がしたアカネは思わず光がさした方へ小走りで向かった。
「なんだろう、これ……」
見つけたのは、その群生地で一番大きな木に実ったひとつの金色に輝くキュラルの実だった。まばゆいばかりに光るそれは本物の金色。金属のような光沢をもち、鈍くだが映る自分の顔。見事な芸術品を見ているみたいで、一瞬にしてアカネの心を掴んだ。
もちろんこんな実なんて見たことがなかったから、なにか怪しいものではないかと訝しんだ。キュラルの実に擬態したダミーか、あるいは毒を持っているか、生存戦略的な目的があるのか、いろいろな可能性が頭を駆け巡った。
こういうときに頼れるものを持っている。思い出したように鞄をあさり、古びてしなしなになった青い表紙の本を取り出した。
それは、かつて冒険者であったアカネの母が記した旅の記録。行った場所、交流した人、集めた物や戦った魔物など、彼女の冒険のすべてがそこに記されている。アカネにとっては指南書でもあるそれは、どこか可愛らしくて温かみのある丸い文字でびっしり埋め尽くされていた。ぱらぱらめくり、目的のページに早々にたどり着くと、そこにはこう記されていた。
——キュラルの実。赤い果実で、世界各地に広く自生している。味は苦くて食べるのには向かないけれど、不思議な治癒の力を秘めており様々な傷薬の基本的な材料になる。
(追記)ごく稀に金色のものがあるという情報を得た。まだ見たことはないけれど、話では普通のと比べて極めて高い治癒の力があり、万病を治し、命に関わる大きな怪我さえも癒し、一説には奇跡の果実と呼ばれるのだとか……。知る人ぞ知るこの金色のキュラルの実は、薬の材料にしてしまうより直接食べるほうが効果が高い。
とりあえず毒は無いようで一安心。キュラルの実、あまりにもありふれた果実ゆえ、ちゃんと記述を確認したのは久しぶりで、特に追記の部分は流し読みしていたのか憶えていなかった。
要するにこれはレア。しかも、冒険者として憧れている母ですら見つけられなかったほどの代物だ。はじめて自慢できる成果を手にした、そんな気がして胸が熱くなった。
黄金の果実、それは悪魔のような魅力を放っている。採っていいのか、採ったとしてどうするかと考えた。私なんかより必要な人がいるかもしれない。売ればどれだけお金になるのだろう。でも……自分だけの秘密にするのも悪くない。アカネの視線はただ果実だけを捉えていた。
採らないという選択肢はとうに消えていた。アカネはたったひとつの黄金のキュラルの実をそっともぎ取った。手にしたその実は、普通の赤いものよりもずっしりと重みがあって、不思議と手に馴染むような気がした。
なぜか悪いことをしているような気になって、周りを警戒し誰もいないのを確認してから鞄にこっそり詰め込んだ。うっかり落としてしまわないように、一番奥にそっと。
身の丈に合わない財宝を隠し持った気分だった。
駆け出しの冒険者アカネ。はじまりの街とも言われるアコリオンに来てもうすぐ一年。まだまだ修行中の身だけど、周りの環境にも随分と慣れてた。毎日のように近場で弱い魔物と闘う日々にはちょっとモヤモヤするけれど、それが今の自分の実力。いずれは世界を冒険する、真の意味での冒険者になるのを夢見ながら、アカネは今日も街へ戻る……。




