ルナとルネルの絶対的な勝利
長いこと気を失っていたルナは、はっと目を覚ました。
「はっ!!!」
息が荒くなる。視線はすぐにルネルへと向けられた。両肘で体を支え、必死に引きずるようにして進みながら、第一段階の治癒呪文を唱える。
「ル……ナ……リス・グレイス。」
震えと未だ癒えぬ傷のせいで、声は途切れ途切れだ。一瞬うつむき、痛みをこらえると、無理やり声を絞り出した。
「私の体力と魔力を……こ、この傷を癒して……!!!」
ティンッ!
淡い緑色の光が、ルナの全身を包み込む。完璧な輝きではなかったが、それでもルネルの元へ歩み寄るための支えとしては十分だった。
ゆっくりと、しかし不完全に、ルナの体調は回復し始める。立ち上がろうと力を込めるが、魔力はまだ正常に戻っていない。
「く……そっ!」
まだふらつく体を叱咤し、ルナは歩き続けた。その心には、決意の言葉が響いていた。
『やらなきゃ。諦めちゃダメ、ルネルのところへ行かないと。待ってて……!!!』
ルナが油断したその時、突如グラヴェリンクが身を起こした。粉々に砕け散ったはずのその体は、絶対再生能力によって再び一つに融合していた。不意打ちを仕掛けようと、口元に『フォグバインド』を遥かに超える巨大な魔力を生成し始める。
ルネルが目を覚まし、ゆっくりと瞼を開いた。目の前には、愛する姉がこちらへ歩み寄ってくる姿があった。しかし、その背後に視線を移した途端、彼女の目は恐怖に見開かれた。
「ね、ねえ……さん……っ!」
ルナはまだ、背後に迫る大きな危険に気づいていない。ルネルがパニックに陥っているにもかかわらず、ルナはいつものように、落ち着き払って格好をつけていた。
「ど、どうしたの、ルネル?」
その顔には、小さな笑みが浮かんでいる。
「感動しちゃった? このお姉ちゃんがグラヴェリンクを一瞬で倒しちゃったから。」
目を閉じ、首を左にかしげる。その口元には、まだ得意げな笑みが残っていた。ふらつく足取りさえ、彼女の自信を揺るがすことはない。
その一方で、戦場からちょうど五メートル離れた場所で……。
「ドミナトゥス……」
その声は、囁くようにか細く、掠れていながらも、静かだった。風が吹き、美しい髪を梳くように撫で、長く伸びた髪が糸のように揺れる。
「エンド・カレント!!!」
ヒュオオオオオッ!!
暗紫色の閃光が、ルナとルネルの脇をすり抜けていった。
カッ……ブォォォム!!!
紫黒色の爆発が、グラヴェリンクが立っていた場所を直撃する。魔力の流れが断ち切られただけでなく、その体は今度こそ完全に粉砕された。グラヴェリンクが再び立ち上がることはないだろう。勝利は、目前にあった。
__
カッ……ブォォォム!!!
背後で起きた凄まじい爆発に、ルナは体を強張らせた。その音は空気を震わせ、静寂を切り裂く。目は大きく見開かれ、虚ろな視線が真っ直ぐ前を向いた。体は凍りついたかのように、その場にへたり込む。頭の中は、混乱で満ちていた。
『え……!? な、何の爆発? なんで私の真後ろで……。まさか……油断した隙にグラヴェリンクが……? でも、だとしたら……どうして? ……どうして、あいつの魔力を感じられないの?』
体から、ますます力が抜けていく。
「ルナ姉さん!!!」
その声は歪んで聞こえ、ルナの思考の渦を突き破ろうとするこだまのように、遠く感じられた。ルネルが、姉の元へ駆け寄ってくる。
『誰? ……誰がこんな強力な魔法を? ……どこにいるの?』
不安げに、視線を彷徨わせる。体はまだ、その場に釘付けにされたままだ。
『その使い手はどこに――』
不意に、乾いた音が響き、ルナの頬に衝撃が走った。
パシンッ!
「姉さん! しっかりして!」
その平手打ちに、ルナは反応した。しかし、ルネルに目を向けたその視線は、まだ虚ろなままだった。ルネルは素早く第二段階の治癒呪文を唱える。
「ルナリス・グレイス・ガード・ヒーリング!」
ティンッ!
花弁の形をした淡い緑色の光が灯る。その光は守りの盾となり、ルナの体を包み込んだ。瞬く間に、彼女の状態は完全に回復し、再び滞りなく魔法が使えるようになった。
まだ思考を覆う絶望のさなか、凛とした声が彼女の名前を呼んだ。
「ルナ!!」
ルナは反射的に振り返った。そこには、自分より年上の女性が立っていた。その眼差しは、鋭く真剣そのものだ。
「せ、先生。」
その顔には、恐怖の色が浮かんでいた。女性が、一歩、また一歩と近づいてくる。ルネルは慌てて立ち上がり、怯えた顔で後ずさった。
心の中で、ルネルは呟く。『終わった! ルナ姉さん、ご愁傷様です。』
女性がルナの目の前に立つと、その右手が持ち上げられた。
「ストラクタ……ヴォルト・バ――。」
ルナは即座に反応し、その詠唱を遮った。
「ま、待ってください、先生……! その魔法はやめて、私の高い服がダメになっちゃう!」
「はぁ……!?」
女性は首を左にかしげ、その顔には困惑と苛立ちが入り混じっていた。
「私がそんなこと気にすると思う? ……ヴォルト・バイト!!!」
躊躇なく、電撃の魔法がルナに放たれた。
ビシャアアアッ!
一瞬にして、魔法がルナの体を包み込む。
「いやぁぁっ! ……あぁんっ。」
電撃に身を焼かれながらも、ルナの声はどこか喘ぎ声のようだった。
「先生! やめてくださいぃ。」
セクシーなポーズを取り、両手で頬に触れながら、その刺激を楽しんでいるようにさえ見える。
「チッ! このクソ生意気な弟子が!」
恍惚の表情を浮かべるルナを見て、先生は忌々しげに吐き捨てた。
「これでも喰らいなさい、このメス豚が!」
電圧が、倍に引き上げられた。
「いやぁぁん!!! もうやめてぇ……」
ようやく魔法が止む。女性は、厳しい口調で言った。
「本部に戻るわよ。訓練のやり直しよ。」
くるりと背を向けると、付け加えた。
「ルネル……あなたもよ。」
「うぐぅっ……」
ルナは痛みに呻いた。
「は、はい……先生。」
まだ痛みに悶えるルナに、ルネルが寄り添う。返事を聞くと、先生は転移魔法でその場から姿を消した。
◇◇◇
ネクサリアの街から遠く離れた、ブルムヒルダール地方にて。
「ヴェルグランス様。」
兵士の落ち着いた声が、室内に響いた。その体は直立不動で、敬意に満ちている。
「どうした、シャフィレル。」
重々しい声が、玉座から響き渡った。
「ご報告に参りました、ヴェルグランス様……」
シャフィレルは、主君の暗い顔を見上げた。
「グラヴェリンクが、討伐されました。」
「ほう……」
ヴェルグランスの人差し指が、彼が座る金と鉄の玉座の肘掛けを、とん、と叩いた。右手に頬杖をつき、少しだけ首をかしげる。
「S+ランクの魔物が……もう倒されたか。」
その顔に、歪んだ笑みが広がっていく。紫色の邪悪なオーラが、彼の座る椅子を包み始めた。
「はい、ヴェルグランス様。」
シャフィレルは再び頭を下げ、声に混じる恐怖を隠した。
「シャフィレル。」
「はっ、ヴェルグランス様。」
「ノクスハレムの地へ行け。カエレフに会い、こう伝えろ……」
くつくつと、喉の奥で笑う。
「前回よりも、さらに狂った計画を用意しろ、と。」
「はっ、承知いたしました!」
シャフィレルは、転移魔法で即座に姿を消した。
◇◇◇
オブシディアン・ヴェール本部にて……。
「ルナは、どこだ?」
ライヴェンは、温かいお茶を楽しんでいるエイリンに、ゆっくりと近づいた。
「ルナ?」
エイリンは眉をひそめ、訝しげな声を出す。
「あんた、ルナ姉さんのこと、呼び捨てにした?」
その声のトーンが、徐々に険しくなっていく。
ライヴェンは立ち止まった。
「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ?」
「チッ!」
エイリンは振り返らず、右手を持ち上げると、落ち着き払った様子で呪文を唱え始めた。
「バインドラッシュ……グリップライン!」
「うわああああっ!!!」
一瞬にしてライヴェンの足元の地面が割れ、そこから蔓が飛び出した。
バキッ!
その足は蔓に捕らえられ、体は逆さまに吊り上げられた。
「下ろせ!」
カップを拭いていた叔母が、その様子を見てくすくす笑った。
「エイリンちゃんとお話しする時はね、気をつけた方がいいわよ。あの子、とっても怒りっぽいんだから。」
エイリンはむっとした顔で叔母を睨んだ。
「おばさん……! そんな風に呼ばないでよ! 私は子供じゃないってば!」
頬をぷうっと膨らませ、そっぽを向いた。
叔母は小さく笑う。
「はいはい……ごめんなさいね。」
ライヴェンは黙り込み、叔母の言葉を反芻しようとした。だが、彼が何かを言う前に、ルナたちの転移ゲートが出現した。
その中から、ふらふらと覚束ない足取りの女性二人の姿が見える。ライヴェンは眉をひそめ、彼女たちに視線を集中させた。エイリンはすぐに立ち上がり、出迎える準備をする。
「え、エイリ……ン。」
ライヴェンの声は掠れ、喉に何かが詰まっているかのようだった。
「何よ。」
エイリンは、棘のある声で振り返る。
「うぇ……#$%&……」
ライヴェンの言葉は、もはや意味を成していなかった。
「はぁ!?」
エイリンは、怪訝な顔で彼を見つめる。
「うげえええええっ!!」
ライヴェンは激しく嘔吐し、その飛沫がエイリンの靴にかかった。
エイリンはゆっくりと俯き、汚れた自分の靴を見ると、ぐっと拳を握りしめた。その顔が、怒りにわなわなと震え始める。
「よ……く……も……!!!」
地団駄を踏む。その目は、怒りの炎で燃え上がっていた。
「す、すまない。もう限界で――。」
ライヴェンの言葉は、途中で遮られた。
「ヴァーダント・ファング……ライズ!!!」
「ひぃぃぃっ――!!」
再び大地が震え、巨大な二本の植物の牙が出現した。
グシャアアアッ!
「スナップ!!」
ライヴェンは、植物の牙によって無残に引き裂かれた。
その惨劇の真っ只中、ゲートから現れた二人の姿がはっきりとする。地面に足をつけ、ゲートが閉じると、ルナはエイリンとライヴェンの残骸に目をやった。
「あら……!」
片手で口元を覆い、小さく微笑む。
「ずいぶん、仲良くなるのが早いのね」
エイリンははっと我に返り、振り返った。
「ルナ姉さん!」
彼女は満面の笑みで、ルナの元へと駆け寄っていく。
ルナは優しく微笑みながら膝をついた。その両腕は大きく広げられ、エイリンを温かい抱擁で迎える準備ができていた。