暗いトンネルにいる里美
白い息を吐きながら、里美は足早に、しかし少し重い足取りで校舎へと向かう。
中途半端な規模のオフィス街のビルの前に、煌々と光る玄関と塾の看板。
20時を過ぎてチラホラこどもが出てきている。
里美は授業が終わって子供が出てくる20時ではなく、20時3分に到着を目指す。
自校舎は建物の造り上、詳細は解らないが、
成績が上のクラスから出てくるか、下のクラスから出てくる規則になっている。
今は上から出てくる雰囲気なので、少し遅く到着したい。
いつもは同じマンションの青くんと子供同士で帰宅しているが、
今日はコースが発表される日なので、お迎えに来てみた。
里美は出来るだけ目立たないように、道路の反対側の物陰に立った。
上から下まで、暗やみに溶け込んでいる。
片手には白いマフラーを抱えて。
玄関では子供同士が固まって嬌声をあげている。
「オレ、今度アルファ―!!よっしゃぁ!」
嬌声の方に目を向けると、成績表を片手に去年のクラスメイト祐成が喜んでいた。
ー祐成くん、アルファなんだ・・・
20クラス以上ある大規模校舎の自校舎に、アルファは6クラスある。
つまり、上から3割に入ったということだ。
今日はこの前のマンスリーのコース表が戻ってくる日なのだ。
ー祐成くんママに余計なこと教えなきゃよかったな・・・
祐成のママは学年でも目立つママで、スラリと背が高く元女優だったらしく
なぜか里美を気に入ってくれて、有休を取ってまで何度かお茶をした。
里美も、学生時代から周囲にはいなかったようなキラキラしたママ友が出来たのが嬉しくて
つい誘われるがままについて行き、祐成の成績の秘訣をつい話過ぎてしまった。
今ではすっかり疎遠になり、キラキラ軍団で向こうから歩いてきては、
あのわざとらしい甲高い声で、
「ひさしぶり~」
と挨拶された時に、愛想笑いで一言声を交わす程度である。
1年近く前の新4年の2月、里美の子の和人はアルファ6にいた。
同じマンションに住む保育園からの同級生の青の母親に勧められ、
低学年から続けたドリルのおかげだった。
しかし4年になって量の多さについていけず、
どんどんクラスが下がって、一度も上がったことはない。
今は真ん中より下くらいだが、今回のクラスは少し下がることは間違いなさそうだ。
今回もマンスリーのために、各教科5枚ほどにもなる手書きのまとめを渡したけれど、
成績には全く響かなかった。
白い息を吐きながら、無言で和人が近づいてきた。
白いマフラーを首に巻きながら、
「おつかれさま」
とねぎらう。
「今日青くんは?」
「ん。質問教室だって。」
少し歩いて、人気がいなくなったところで、つい今聞かなくてもいいことを聞いてしまう。
「・・・クラスどうだった?」
和人は眼鏡の奥に複雑な表情を浮かべる。
「・・・・・・3つ下がってた。」
里美は言葉を返すことができなかった。
親子は無言で信号まで歩いた。
「ねぇ、今日の晩御飯なに?」
「・・・・・・心配するところはそこ?」
後ろを振り返らなくても、和人のがっかりした空気が分かる。
大人げないけれど里美もがっかりしているので、何も言葉をかけられない。
今何かをしゃべったら、道端で叱責してしまいそうだ。
沈黙が続く。
ーもう何をどうやったらいいのか全然わからない。
ネットで算数を教えてくれるサービスに加入した方がいいのだろうか。
塾の先生に電話して聞いた方がいいのかな。
個別教室はお金がかかりすぎて我が家には無理だし・・・
LINEはしょっちゅうやり取りしているが、
中々顔を合わせるチャンスのない一度青の母親に相談してみよう。
もうすぐ5年生なのに、トンネルを抜ける糸口は見つからない。