都落ちと中学受験
「開~!おむつ持って来てーーー」
リビングでタブレット学習をしている長男開に届くように、パンツだけで身動きの取れない由里奈は大声を出した。
3人目の末っ子をお風呂に入れて、おむつを付けようとしたら洗面所のストックが切れていたのだ。
ダダダダと小走りで次男の拓が走り寄っておむつを投げてきた。
「こら!投げるんじゃないのー!」
夫は今夜も遅い。ワンオペで3人の子育て。
でも1年前の今よりは幸せだ。
頭にとりあえずのタオルを巻いて、パジャマを着た由里奈はソファに寝転がってSNSを開いた。
港区に住んでいた頃、一緒に幼児教室に通った4人兄妹のママのインスタを見る。
今日はクリスマスのページェントがあったらしい。
「キラちゃん、マリア様やったんやぁ・・・」
キラちゃんがマリア様、低学年女子の子を持つ母親の憧れのマリア様役をしっかり仕留めて来るあたり、流石の手腕だと感心する。
見てもいないのに、キラちゃんの歌うマリア様のあどけない独唱をイメージして、目頭が熱くなる。
と共に、未だ癒えていない心の傷が疼く。
ミッション系の私立小に4人の子どもを通わせる友人のインスタはいつも完璧な母親像を見せる。
京都の実家仕込みの懐石料理のようなお節料理、4人の子どものそれぞれの誕生日のホールケーキとパーティーのテーブルセッティング。
THE ROWがお気に入りの私立小ママの割にエッジの効いたファッション。
いつかのクリスマスクルージングを思い出す。
キラキラと眩しいあの寒い夜のこと。
選ばれしファミリーの一員だった私たち家族。
今は遠い昔のような甘い記憶。
真ん中でほほ笑むベルベットの白いスモッキングワンピースを着たキラちゃん。
開はそんな眩しい4人兄妹の末っ子のキラちゃんと手を繋いで隣に立っていたのだ。
「同じ小学校に通おうね」
上目遣いでそう頼むキラちゃんにすっかり心酔した開親子は、完全にベクトルを間違えてしまい、お受験には全敗した。
関西出身の由里奈は、神戸に住む両親でも知っているような学校しか受験しなかった。
由里奈は中学受験を言い訳に、夫は実家の近くであるこの土地に引っ越してきたのだ。
それとともに、小学校受験からも完全に撤退した。末っ子の遥がお受験をする可能性はまだあるかもしれないが。
同じ都心でも、都落ち感の否めないこの区だが、意外と一部の人とは馬があった。幼稚舎出身の料理研究家、夜のニュースの顔だった元アナウンサー、実家が資産家で有名な元タカラジェンヌ。由里奈もヨーロッパの某国大使館で働いていたことがある。
みんなお受験には失敗した仲間だが、同じ公立、同じ塾に通わせている。週末はたまに母親だけで集まり、丸の内や大手町のホテルで長時間話し込む。話題はほとんど子供の話だけれど。
開は現在、某大手塾大規模校舎に通っているが、下の子たちに手がかかりすぎて勉強をしっかり見てあげることができず、最初は一番上のクラスにいたのに、国語の点数がどんどん下がって今は上から3分の1程度だ。でも、小規模の有名算数塾に合格した。1年に12人しかとらないというその塾に、合格最低点で合格した。その試験のためだけに雇った家庭教師が功を奏したのだ。お受験には失敗したが、何としてでも入りたかったこの塾に入れることができたのは大金星で、お受験に失敗したことも含めて、今では壮大なゴールへの序曲だったのではないかとすら思っている。
開が明朝ピアノの練習をするための楽譜をセットし、拓のオンライン英会話のセッティングもした。
3人が寝静まったのを見届けて、念入りに髪を乾かし、肌の手入れをした。
あの家族や仲間たちに負けないような家族を築くことが、今の由里奈のモチベーションである。