164.水
神聖ムーンリト教国の象徴、イツキ・モグサとララミーティア・モグサ・リャムロシカの間に双子の女の子ララアリスとララルージュが誕生したというニュースは瞬く間に広がった。
そのニュースは神聖ムーンリト教国だけでなく、周辺諸国、果てはカーフラス山脈の向こう側の諸国までへも急速に広まっていった。
子ども達の御披露目は暫く様子を見てからという事で神聖ムーンリト教国から正式に公表していたが、それでも連日あちこちからテオドーラのもとへは出産祝いの品が届いた。
しかし皆が皆お祝いムードという訳ではなかった。
教国歴三年冬の期 17日
「人族解放同盟?なんだその亜人解放戦線のバッタもんみたいな組織…。」
ララアリスを抱っこしたイツキが呆れ顔で呟く。
「私達が手が放せなくて且つジャッキーとハイジが安静にしているタイミング…。ここしかない!とでも思ったのね…。幸せムードに水を差す嫌な連中ね。良い趣味してるわ…。ね?ルーもそう思う?」
ララルージュに指を握らせながらララミーティアも同じく呆れ顔で苦笑いを浮かべている。
今日本邸に来たのはウーゴとガレスだ。
「ポール8世はお二方と同じように何の権限もねえってのが気に食わねえんだろ。ランブルク王国の北部貴族とエルデバルト帝国の大半が纏まって、結局そいつらの操り人形になってヘロヘログルグル踊っていらっしゃるようで。」
「今の所神聖ムーンリト教国には宣戦布告していないけれど、ランブルク王国のヴァロア宰相から支援要請が来てる。」
ガレスの言葉にベルヴィアが反応する。
「支援要請?中々図太い神経してるヤツらねー。勿論断るんでしょ?」
「いいや、支援するぜ。こっちは戦力を提供してやる。」
「はは、なる程な。絶好の機会って訳か。」
イツキはララアリスの頬を優しく突きながら笑う。
ベルヴィアは首を傾げる。
「どうして?今まで散々亜人軽視してきた人達でしょ?建国を認めたのは単にイツキが怖くて渋々認めただけじゃないのよ。」
「反乱しねえ方の南部貴族が治めるランブルク王国の国民は亜人に対してどこか後ろめたさがある。後ろめたさがあるから差別に消極的だ。」
ウーゴはイツキから出して貰った干し芋を手に持ってヒラヒラさせる。
「後ろめたさがあって欲しいですね…。」
ララミーティアの隣に座っていたサーラが苦笑いを浮かべながらそう言うと、ララミーティアもうんうんと頷く。
「国の半分とエルデバルト帝国が敵になると不安だよな?万全な状態のランブルク王国でもエルデバルト帝国と本格的に戦争になりゃ無事じゃ済まねえ。それどころか負ける可能性だってある。いよいよヤバいんじゃねえかってそんな不安な時によ、後ろめたかった存在でもある俺達亜人の国家って存在が戦力を提供して、反乱しているヤツらをコテンパンに圧倒してみろ。それはそれはおもしれえぞぉ?俺たちはそこに有り難ーく漬け込ませて頂く。大きな貸しを作れる機会があっちからノコノコやってきたって訳だ。」
そう言うと干し芋を美味しそうに食べるウーゴ。
ララミーティアは感心したように感嘆の声を上げて頷く。
「それもそうね。なる程ね。でも誰が行くの?戦うのが大好きなジャッキーもハイジも出れないし、ドーラもウーゴも立場が立場だからホイホイ最前線に行かないでしょ?私やイツキも双子の子育てでこれからは忙しいわ。テッシンやキキョウも自分達のお店の事があるし…。」
「今回意外な事にリュカが自ら志願しているんだよ。人族解放同盟に対して滅茶苦茶怒ってるんだ。」
ガレスは苦笑いを浮かべながら干し芋に手を伸ばす。
イツキもララミーティアも思わぬ人物の名前に思わず顔を見合わせる。
「意外だって顔してるな。いいか?リュカリウスはライカン族。俺達獣人族と違って見た目は魔人族でもよ、実は中身は俺達以上に獣人なんだよこれが。」
「へぇ、それが滅茶苦茶怒るのと関係あるの?」
ベルヴィアが干し芋を齧りながらウーゴに尋ねると、ウーゴはゆっくりと頷く。
「愛する妻が身ごもったからかもって本人は言ってたけどよ、妻や子供の平和が害されるんじゃねえかって思うと無性にムカムカして居ても立っても居られねえって、今まで見たことねえくらい殺気立ってるぜ。一歩間違えたら中々にやべえ奴だよありゃ。なぁ?ガレス。」
「うんうん、ヤバいヤバい。俺やルーチェも見たことが無かったけれど、肩慣らしとか言って模擬戦でテッシンが相手をしたんだけどさ、あのテッシンがまるで太刀打ち出来なかったよ。リュカの狼人化って獣人族みたいな見た目になるアレ、イツキ以外に勝てる人なんて居ないんじゃないかな…。」
「違いねえ。しかしあれかっこよかったな。狂戦士ってああいう事を言うんだろうなぁ。別格だったぞ。味方で良かったと心底おもったぜ。マジでかっこよかった。男が惚れる男ってやつだ。」
ガレスとウーゴは目を合わせると互いに頷き合う。
「意外ね。普段そんな風には見えないのに。人は見かけに依らずね。」
「そうですね。日頃は穏やかな美丈夫と言う具合ですものね。」
ララミーティアはサーラとそう言いながらドライフルーツを摘まんで食べる。
「じゃあリュカと教国軍が支援に?」
イツキがそう聞くとウーゴが頷く。
「ああ。教国軍の事は全面的にレオナールに任せて、テッシンとキキョウ、力の底上げで俺もランブルク王国に手を貸す予定だったけどよ、あのリュカリウスの強さを見てリュカリウス一人で大丈夫だろって手を引いた。みんな同意見だ。逆に俺達まで出ていったら、そりゃ流石にやりすぎってやつだ。」
「みんながあっさり手を引くほどそんなに強いのね…。それでも心配よ。」
「相手は下手すると何十万居るんでしょ…、大丈夫かね本当…。もしも何かあったらハイジに顔向け出来ないよ。それに大勢の血が…。」
イツキは心配そうに顔をしかめる。
ウーゴは肩をすくめて首を横に振ってみせる。
「お二方、特にオトウサンがそういうのを嫌がるのはよく知ってる。だけどよ、俺達がどんなに持論を展開したってどうしても分かり合えない根本的に考え方が違う輩は居る。北部貴族の町はどこも『亜人』っていう便利な労働力が減って困り果ててるのさ。便利だった亜人が綺麗に居なくなっちまったお陰で経済が傾きかけてる。廃業する奴だって居るんだぜ?人族解放なんてよくわからねえ立派な看板をかざしておいて、結局のところ便利な労働力を戻したいって訳だ。そこで出て来るのがエルデバルト帝国。あそこは中央から離れりゃ離れる程、奴隷商人が何だかんだ黙認されてるフシがある。」
「エルデバルト帝国は中央とごく一部の貴族を除いてランブルク王国の北部貴族と手を組む。エルデバルト帝国はランブルク王国の比じゃないくらい差別意識が根付いている。理屈じゃなくて、市民権を与えるというのがどうしても気に食わないんだ。エルデバルト帝国では亜人や奴隷をどう数えているか知ってる?」
ガレスがイツキに向かってそう聞くと、ガレスやウーゴだけでなくサーラやララミーティアまでもが黙り込む。
イツキがたまりかねて口を開く。
「おいおい…、みんながそういう感じで黙り込むってまさか…。」
「オトウサン、正解だ。答えは聞いてねえが恐らく正解だ。」
「一匹、二匹って呼ぶんだ。奴隷を一匹買ってきたとか、うちの亜人が一匹死んじまったとか。エルデバルト帝国から来た亜人の奴隷達の中に名前がない人や言葉が殆ど喋れない人が居たんじゃない?」
アン達が奴隷爆弾としてやってきた時のセレナやハウラ、アンバーにボルダー等のことだ。
他にも名前こそあれど殆ど満足に言葉が話せない者がエルデバルト帝国からの亜人奴隷組には確かに多かった。
「そういう人達をエルデバルト帝国では養殖という。女で人族に似ているのが産まれれば大当たり。一匹でも大当たりが出れば色街で大儲け出来たり、金持ちが買っていったり。端から分かりあえる訳がないんだよ。」
ウーゴとガレスはそう言うと深刻な表情で黙り込んでしまう。
「お二人の言うとおりですね。大人から子供まで殆どがそんな風ですよ。千年近く続いてきた文化なので急には変わりません。分かり合える訳がないというのは言い過ぎな表現ではありません。」
サーラはそう言うとハーブティーが入ったカップを手にとって手元でユラユラと揺らす。
ララミーティアも眉を八の字にしてみせる。
「悪意があるとかないとかではないわね。だからランブルク王国の北部貴族の方がまだマシなのよ。名前がないとか言葉が喋れないなんて事はないから。」
イツキは腕の中でぼんやりしているララアリスをジッと見つめて、やがて首を縦に振る。
「よし分かった。みんなに任せるよ。とは言え危なくなったら俺も手を出す。」
「ああ、最も今のリュカリウスだったら安心して吉報を待っていてくれていいぜ。」
出産祝いとしてラファエルから送られたベビーベッドでは姉妹が仲良くスウスウと静かに眠っている。
イツキとララミーティアは眠っているララアリスとララルージュを見つめながら取り留めのない話をするのが日課になっていた。
「本当に大丈夫かしら…。」
「あー、リュカリウスさんの件?」
イツキの問いにララミーティアは寝顔を眺めつつ静かに頷く。
「心配であれば私が空から隠蔽で見てきましょうか?自前の羽で空も飛べるし、隠蔽は普通であれば破ることなんてまずありませんよ。」
サーラはベルヴィアとダイニングテーブルでクッキーを食べながらニコニコしてそう言う。
今日は天界からデーメ・テーヌが遊びに来ている。
夏頃のテオドーラとウーゴの結婚式前の天界の様子を盗み見た罪悪感が凄かった一同だったが、ここ最近デーメ・テーヌとテュケーナは代わり番こで本邸まで遊びにやってきていた。
ベルヴィアはクッキーをひょいひょい摘みながら鼻で笑う。
「私天界でハイジとかリュカの動向もたまにお手伝いで注視してたけどさ、全然心配いらないわよ。烏合の衆が何十万居ようと、アホほど鍛えた超長命種にその辺の人族が叶うわけないんだもの。あの2人はどうかしてるわ本当。一体何と戦うつもりなのかってくらい熱心に鍛えてたもの。」
「ガレスルーチェペアが編み出したあの限界突破。仕事でも使命でもないのに、取り付かれたように熱心に研究してたの。あの戦闘狂夫婦は居もしない魔王とでも戦うつもりだとしか思えないわ…。」
デーメ・テーヌは苦笑いしながら木イチゴの葉のお茶を飲む。
サーラも最近は飾らないデーメ・テーヌに態度が柔らかくなり、普通にお喋りをするようになっていた。
「超長命種が本気を出せば大陸制覇なんて夢じゃないのに、何で誰もそれをしないんだろうな…。」
イツキがふと思ったことを口にすると、デーメ・テーヌが答える。
「他の世界でも大抵そうなのですが、その手の征服・支配をしたがるのは人族特有の欲である傾向は高いわ。なぜ逆に亜人が穏やかな性格になる傾向があるのかハッキリ分かってる訳じゃないのだけれど、魔力由来の生き物だからではないかって言うのが一般的な見解。」
「あら、それじゃあ魔物も温厚じゃないとおかしいわ。」
ララミーティアがクスクス笑いながらそう言うとデーメ・テーヌはクッキーを手にとってから口を開く。
「テイミングした魔物がお利口になるのは、意思が芽生えるって言うのかしら…。兎に角テイミングは契約した魔物とコミュニケーションが取れるようになるの。そういう魔物はとても温厚よ。だからやっぱり魔力が由来している生き物だからって説が一番有力。」
「人族は魔力なしでも成り立つからなぁ。俺がいた世界も魔力なんて存在しなかったし。」
スヤスヤ寝ていたハズのララルージュが泣き出し、やがてララアリスもパチッと目を覚ましたかと思うと釣られて泣き出してしまった。
ララミーティアとイツキが抱き上げて泣いている2人をあやし始める。
「それにしてもリュカの獣人みたいな見た目になるってやつ、どんな戦い方するのかしらねっ?楽器をかき鳴らしたり、楽器で頭をガンガン殴りつけたりして!そんなんだったらどうしましょうね!『怒りのレクイエム!』とか言ってさ!」
「ゴホッ!!ゴホッ!!アハハ!想像したら中々シュールな画ですね!」
サーラは飲んでいたお茶を噴き出して咽せながら笑い出してしまう。
デーメ・テーヌも笑いながらサーラの背中をさする。
「怒り狂っているリュカにそんな話聞かれたら大変よ!ふふ、でも面白いわね…!でかい図体をして怒りながら楽器を弾いて戦うなんて…ふふ。」
ララミーティアは呆れ顔でクスクス笑っている。
イツキもついつい大きな声で笑い出してしまう。
「はは!滅茶苦茶強そうになったのにそんなピーキー過ぎる戦い方してたら力が抜けちゃうな!わっとっと…、ごめんよルー。あの女神様が妙なことを言い出すからさ…。」
本邸には2人の赤子の大きな泣き声と、大人たちの笑い声が響いていた。
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