120.不穏な空気
秋も深まってきた頃。
昨年の冬に種をまいた秋まき小麦と、今年の春まき小麦の収穫を順番にそれぞれ行って畑はようやく一段落。
しかし新たに秋まき小麦の種まきでミーティア集落は皆忙しそうに働いていた。
秋まき小麦の種まきが終わると次は綿の収穫が始まるので、夏から冬にかけてミーティア集落は特に大忙しだ。
この頃になるとミーティア集落に保護を求める亜人が例年に比べると多く、獣人系種族の中でもより人間に近い種族や、エメのようなサキュバス族やマリアンのような単眼族、それだけではなく角が生えているオーガ族、もろ下半身が大蛇のラミア族にナーガ族という『言われてみれば蛇っぽいかな?』という種族など人族に見た目が似ている魔人系種族や、森という名前がついていないシティエルフ族、放浪していたハーフリング族、人族の町に住んでいたドワーフ族など、これまで人族の町で普通に暮らしていた様々な種族がランブルク王国からミーティア集落にやってきた。
ジャクリーンから各種族の説明を受けて関心していたイツキだったが、いつぞや種族学の先生から指導を受けて作った教科書を見ていないのかとみんなから呆れられては苦笑いで誤魔化すのだった。
家の数が足りるかどうか心配なところだったが、それでも何とか持ちこたえてはいるといったギリギリの様子だった。
カズベルクの里への道づくりを趣味がてらやっていたイツキとララミーティアは道づくりを一旦中止、その辺についてはカズベルクの里のバトサイハンとベアトリーチェに一言断りを入れることにした。
ベアトリーチェは自分達でもカズベルクの里から道を徐々に整備すると言ってくれたので、とりあえず長期計画という事で暫くカズベルクの里に任せることにした。
イツキとララミーティアは急ピッチでミーティア集落を魔境の森側に拡張。
家についてはガレスとルーチェが作った石の家とララミーティアの離れをシモンと相談しながら配置していった。
魔境の森に食い込む形でミーティア集落を拡張させたが、シモンは神聖な森にと困惑していた。
イツキとララミーティアは「別にいいだろう」と説得し、ミーティア集落に森林エリアが誕生した。
シモンの家にジャクリーンとシモン、アーデマン辺境伯当主ラファエルと、イツキとララミーティアは初めて会うジャクリーンの父親でもあるターイェブ子爵当主ドゥイージル・ターイェブが来ていた。
部屋の中にはいるとその四名がテーブルの席につき、いつもの定位置にポール、ドゥイージルの横にも年老いた執事のような男が立っていた。
「お待たせ。ちょっと集落の家を増やしたから家具も増やして設置してたの。」
「ごめんごめん、あっ。初めましてですね。失礼しました。」
ドゥイージルの存在に気が付いたイツキとララミーティアは自分達に洗浄魔法をかけて姿勢を正す。
ドゥイージルがスッと立ち上がってイツキとララミーティアの方を向く。
ドゥイージルはジャクリーンと同じ色の金髪碧眼をしており、目元がどことなくジャクリーンそっくりだった。
顔に皺が刻まれているあたり、若々しいが恐らく結構良い年なんだろうなと思わせる印象だった。
「お二方とも、お初にお目にかかります。私はアーデマン辺境伯領の西側に隣接していますターイェブ子爵領を見ておりますドゥイージル・ターイェブと申します。お目にかかれて…、大変光栄に、本当に光栄に…、お、思います…。うぅ…。」
ドゥイージルの目に涙が溢れたかと思うと突然片膝をついて深く頭を下げ始める。
まさか貴族がそんな事をするとは夢にも思ってなかったイツキとララミーティアが慌ててドゥイージルの側に駆け寄る。
「ちょちょ、ちょっと!どうしてそんな事をするの!?私達そんな偉い人ではないわ!」
「そそ、そうですよ!どうか頭を上げて下さい…!みんなも見てないで何か言って下さいよ!」
イツキとララミーティアが慌てているとラファエルが豪快に笑う。
「アッハッハ!大目に見てやってくれ!ドゥイージルは根っからの敬虔な聖護教会の信者なのだよ!二人がデーメ・テーヌ様とテュケーナ様と聖護教会の間を取り持ってくれた事を耳にしていてな?そんな神のようなお方とお会いする事など恐れ多くてと面倒なことを言うもんだから、お前もいい加減会わないと逆におかしいだろって無理やり連れてきたのだよ。」
ジャクリーンは父親が感動に打ち振るえて泣きそうになっている姿を見て顔を赤くしてぷいと顔を背けている。
シモンは苦笑いしながらそんなジャクリーンの肩に手をおいている。
「ジャッキーのお父さんはデーメ・テーヌ様やテュケーナ様を信仰しているのね。うーん、そうなってしまう気持ちは分かるけれど、普通に接して貰えると嬉しいわ。」
「そうですよ、良き隣人として接して下さい。」
イツキとララミーティアの言葉に涙を流しながら無言で頷くドゥイージル。
ジャクリーンはため息を付きながら口を開く。
「2人とも済まない。当然こうなるだろうとは思っていたが…、まぁそんな訳だ。本当に敬虔な信徒なんだ。申し訳ないが暫くは大目に見てくれ。2人の熱狂的なファンとでも思ってくれればいいさ。」
「つい数年前、信徒への天啓にてテュケーナ様より『月夜の聖女様って呼ばれてるティアちゃんとも仲良くしてあげてねぇ、ティアちゃん知ってる?とっても良い子なのよぉ』という有り難いお言葉がありました。それより聖護教会では『月夜の聖女』ララミーティア様も信仰の対象として認められております。今、…今私は信仰する…うぅ、恐れ多くも…神の御前に…御前に…うぅ。うぅっ…!!」
「えっ!?何その話っ!?テュケーナ様が??」
突然放り込まれた爆弾発言に驚くララミーティアとイツキ。
イツキは困った顔をしてララミーティアに耳打ちする。
「ちょっと真意を聞いてみようか?」
「そんな天啓やり過ぎよ!ちょっと聞きましょう!」
イツキは久しぶりに天啓を発動する。
イツキとララミーティアの目の前に久しぶりに天啓ウィンドウが開き、ハンバーガーショップのドリンクをズズッと啜っているテュケーナが映し出された。
『あらぁ、ティアちゃん!イツキちゃん!久しぶりねぇ。元気にしてた?』
『天啓?何かあったの?』
遠くからデーメ・テーヌの声が聞こえてくる。
テュケーナが振り返って声を上げる。
『私が聞いておきますぅ!それでぇ、どうしたのぉ?』
「ちょっと!どうしたのぉ?ではないわ…。私が聖護教会の信仰の対象になっちゃってるんだけれど、一体どうしてそんな天啓を出しちゃったの!?聖護教会って凄い規模の団体よ?私そんな大量の信徒なんて相手にしきれないわ!」
テュケーナが暫くポカーンとしてしまう。
『…?うーん。そんな話ありましたっけぇ?』
「たった今聖護教会の信徒のドゥイージル・ターイェブ子爵様から聞いたわ!『月夜の聖女様って呼ばれてるティアちゃんとも仲良くしてあげてねぇ、ティアちゃん知ってる?とっても良い子なのよぉ』って有り難いお言葉を受けたと言っているわ。」
天啓ウィンドウにテュケーナの顔がぬっと近づき、声のトーンが下がった。
こういう時のテュケーナは大抵悪さをしていてデーメ・テーヌが後ろからきて怒られるという嫌な予感がしたイツキは止めようとするが、テュケーナがボソボソと喋り出した。
『あー、言ったかもぉ。ええー、そうなんだぁ。それにしても私の信徒が居るの?わー嬉しいわぁ。その後ろの方にいる子がドゥイージルちゃん?よろしくねぇ。ティアちゃんもよろしくねぇ。』
『へぇ、そんな事を言っていたのね。なる程ね。そんな発言をしていたなんて報告に無かったから知らなかったわ。』
画面の向こうからララミーティアの声に似た声が聞こえてくる。
テュケーナはニコニコしながら画面に向かって喋る。
『それはそうよぉ!だってぇ用意した台本に無いことを喋ったらまたデーメ・テーヌ様に怒られちゃうから、そういううっかり喋っちゃった発言は証拠を消してるのぉ。デーメ・テーヌ様怒ると長いからぁ、ちょっとしたやつだったら捏造しちゃうの!まぁ結果ティアちゃんを慕う子らが増えたんだし、良かったじゃないですかぁ。』
『あら、デーメ・テーヌ様ってそんなに説教が長いの?捏造だなんて、一体どうやってデータを書き換えるのかしら?』
『ちょちょっと書き換えてぇ、後は提出するときにぃ、デーメ・テーヌ様にゴロニャーンって甘えるとねぇ、デーメ・テーヌ様嬉しそうに私を撫でてくれるからぁ、案外ちゃんとチェックされないんですよぉ!凄いでしょ!デーメ・テーヌ様ってぇ、胸が大きいから甘えるとフワフワしてて気持ちいいのよぉ。えへへ。』
『あら、そんな事をいつもやってるのかしら?』
『そりゃあねぇ!私デーメ・テーヌ様と組んで長いからぁ、長年に渡って磨き上げた超絶テクニックなのよぉ。絶対デーメ・テーヌ様に言っちゃダメよぉ?ね?ちょっとティアちゃん!さっきからなんで無表情なのぉ?怖い怖い!』
「あー、えーとテュケーナ様テュケーナ様?恐れながらあなた、さっきから画面の向こうで一体誰と喋ってるんですか?」
イツキがテュケーナの後ろに写り込んでいる影を見ながら恐る恐る声をかける。
ララミーティアはずっと口を噤んだままじっと画面の向こうのテュケーナを見つめる。
『あららららら???えーと…?あ…らら…、あーと、…あっあっあっ!ねぇ2人とも助けてぇ。嘘でしょお?嘘だって言ってよぉ…!おねが』
テュケーナは涙目になりながらも一切振り向こうとしない。
やがて天啓ウィンドウがブツリと消える。
しんと静まり返った部屋ではドゥイージルの感激の余りすすり泣く声だけが聞こえ、後の面々は神様のとんでもない一面を見て気まずそうに複雑な表情を浮かべていた。
「あの…、気さくな神様なんです。し、親近感、湧くでしょ?」
イツキがその場を取り繕うように苦し紛れに適当な感想を言うが、部屋にいた面々は見てはいけないものを見たような表情で執事も含めて大きく頷いただけだった。
ただ、ドゥイージルはテュケーナから顔を認識された上に名前を呼ばれた事が余程嬉しかったらしく、落ち着くまでドゥイージルはそっとしておいて本題に移ることにした。
「ところで今日はどうしたの?最近集落に逃げてくる亜人達が多いのが関関係しているのかしら?」
「そうなのだよ…。実はな、ランブルク王国国王のレオニオ6世が老衰により崩御なさってな。後継者を決めてなかったものだから、跡目争いが激化しているのだよ。王子王女の中でも色々な考え方の方が居る訳で、派閥争いが激しくて、領によっては亜人への差別とも思われる重税や労役が酷い。聖護教会や最近亜人差別撤廃を掲げ始めた他の領が支援してミーティア集落へ送っていた訳だ。」
困り果てた表情でラファエルが説明する。
漸く持ち直したドゥイージルがテーブルに着く。
「私やラファエル殿は当然南部貴族ですので亜人差別撤廃派なのですが、今一番次期国王として有力視されている第二王子のルーク8世は奴隷制度こそ否定的ではありますが、根っからの人族至上主義者なのです。ランブルク王国の北部貴族や領地を持たない王宮貴族が数多く支持しておりまして、ランブルク王国内で最大の派閥となります。我々のように亜人差別撤廃を声高に掲げる者は他には居ません。後は亜人差別撤廃よりな考えではあっても様子見な風見鶏領主ばかりです。」
ラファエルやドゥイージルの言葉に質問をするララミーティア。
「そもそも次の王様って、生きてるうちに指名するものではないの?」
「先代は王国史の中でも上位に入ると言われる程に優秀な方だったのだよ。だから王子王女が悉く平凡で、決めかねているうちに老衰で崩御、という訳だ。」
ジャクリーンがララミーティアの問に賺さず答える。
「へぇ、傍迷惑な王様ね。それで次の王様を決めるために王子王女が貴族を味方に付けて争っているという訳ね。ふぅん、人族って本当に面倒な事が好きなのねぇ。」
「それでラファエルさんやドゥイージルさんは誰を推しているんですか?誰か一人くらいは居るんでしょ?」
ラファエルとドゥイージルは顔を合わせて深刻な表情をする。
「第三王女のテオドーラ様です。まだとてもお若く、今、…その…。」
「その事で2人に相談なのだ…。どうか!テオドーラ様を2人で預かって頂けないだろうか!この通りだ!!」
ラファエルとドゥイージルが椅子から飛び上がるように立ち上がり、イツキとララミーティアの前で土下座を始める。
「ランブルク王国の国民ではない2人を巻き込むのは良くないとわかっている!虫の良い話なのも!最強と謳われる2人を利用する事は禁じ手だとわかっている!しかしもうこれしか道が残っていないのだ!」
「私達は卑怯なカードを切ろうとしている事を十分に承知しております!しかしテオドーラ様は成人したばかりで後ろ盾もはっきり言ってアーデマン辺境伯とこの私ターイェブ子爵と国に対して全く発言権のない聖護教会しか居ないのです!!亜人差別を本気で撤廃したいと願っている心優しいお方なのです!!積極的に亜人居住区に足を運んでは自身のドレスや装飾品を換金して亜人達に還元したり、病を患う亜人には私財を投げ打って聖護教会から医者や薬を手配して励ましに足を運ぶ心優しいお方なのです。しかし味方が少なすぎて王宮にいると邪魔だと言って命を狙われるのです!!」
ラファエルとドゥイージルは頭を地面に擦り付けたまま必死でイツキとララミーティアに頼み込む。
最早死に物狂いと言っても良い程に必死だ。
「どうかこの通り!お願いします!!」
「今日が初対面なのに虫がいい話だとは百も承知です!!何卒お願いいたします!!」
イツキとララミーティアは優しい微笑みを浮かべてそれぞれラファエルとドゥイージルの肩に手を乗せる。
「俺たち良き隣人じゃないですか。2人がこんなに必死にするお願いを断る訳がないでしょ?そんな寂しい事しないで下さいよ。」
「そうよ。そんなに頭を下げないでちょうだい。私たちが力になれるなら喜んで手伝うわ。それにその王女様、2人が必死になるほど良い子なんでしょ?いいわ、しましょうよ。ズルを。」
顔を上げたラファエルとドゥイージルは涙を流していた。
イツキとララミーティアはそんな2人にウインクを送る。
「イツキ殿、ララミーティア殿、本当に申し訳ない。それで、実は既に王宮に居ては危険なので、今この家に来ているのだ。テオドーラ王女!」
ジャクリーンが声をかけると奥の部屋の扉が開き、先日ジャクリーンについてきた侍女のようなお仕着せを来た少女が静かに出てきた。
少女は儚い印象を与える自信のなさそうな顔と、やけに線の細い身体のラインが儚くてか弱い印象を余計に後押ししていた。
しかし話の流れからこの少女がランブルク王国第三王女のテオドーラ・ランブルクという事を理解したイツキとララミーティアは微笑みながら軽く頭を下げた。
少女は到底王族とは思えぬ程に深く頭を下げ、イツキとララミーティアを見つめて不安そうな表情を浮かべていた。
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