117.ジャクリーン
シモンとジャクリーンは婚約を飛び越して結婚を決めた。
その日のうちにミーティア集落中はその明るい話題で持ちきりになった。
ラファエルに対して「婚約ではなくていきなり結婚でいいものなのか」とイツキは聞いたが、シモンもジャクリーンも既に結婚適齢期をとうに超えているので本人達さえ良ければ案外周囲の貴族達も何も言わず、その辺は割と自由らしい。
とは言えさすがに貴族だけあって、落ち着いて暮らせるまで諸々の手続きやらなんやらで通常は3ヶ月から半年程はかかるらしい。
しかしその辺はアーデマン辺境伯家とターイェブ子爵家とでしっかりフォローするので問題ないとの事だった。
とは言えシモンを王都に連れて行って手続きを行ったり貴族を招待して披露宴やパーティーを開催したりと色々面倒な貴族特有のしがらみがあるらしい。
一番難航しそうなのはジャクリーンが騎士団を辞める件かもしれないとラファエルは頭をポリポリかきながら言っていた。
既にミーティア集落に向かう道中、ラファエルはジャクリーンからその話を聞いており、実際に結婚となれば間違い無く騎士団を辞めるだろうとラファエルは言っていた。
ジャクリーンはランブルク王国有史以来の最強の騎士でもあり、彼女の持つ特性を王国は非常に買っていた。
彼女さえ居れば王国騎士団は他の追随を許さぬ無敵の集団でいられた筈だった。
そんなジャクリーンの心を古い伝統を重んじたばかりにバキバキに折ってしまった騎士団への風当たりは恐らく相当強いものとなるだろうとラファエルは珍しく苦笑いを浮かべていた。
ポールも肩をすくめ溜め息を吐いていた。
イツキとララミーティアも恐らくはそうなるだろうなと容易に想像はついた。
とりあえずシモンは今後しばらくの間は何かとミーティア集落を空けることがあるとのことだった。
その間のお金の処理などはポールをあてがう予定だとラファエルは言っていたが、当のポールは初耳だったらしく、珍しく一瞬だけ目をカッと見開いて溜め息まじりにラファエルを後ろから見ていた。
イツキやララミーティアが気を回さずとも皆が宴を開こうと自発的に準備を始めており、イツキとララミーティアは集落の住人たちに混じって食べ物や酒の用意に参加した。
イツキはめでたい席だからと大急ぎでカズベルクの里にも赴き、オチルの親族に声をかける為にボルドとナランツェツェグの元へと向かった。
カズベルクの里においてこの手のめでたい話は皆大好物で、贈り物から酒から大急ぎでベアトリーチェが手際良く指示を出して用意し、早急にミーティア集落へ向かうことになった。
普段大雑把でいい加減なドワーフ達はもこの時ばかりは何も言わずとも目を見張るような百戦練磨の連携を見せ、あっと言う間に準備を終わらせてしまう。
そんな現金なドワーフ達にイツキは思わず笑ってしまうのだった。
イツキとカズベルクの里の一団が大急ぎでミーティア集落に戻った頃には既に準備は粗方完了しており、集落の中心部の開けた広場に設営されたテーブルには食べ物や飲み物に酒が揃っていた。
住人たちは楽しそうに歓談しながら料理や酒を既に味わっている。
「オチルさんの親族を連れてきたよー!」
イツキが空から舞い降りつつ広場に向けて声を上げる。
オチルとアンの結婚祝いパーティーで馴染みのある面々が次々に空から降りてきたので、会場は大盛り上がりでドワーフやハーフリング達を歓迎した。
ドワーフ達はアイテムボックスから次々と酒を取り出して並べ始め、まるで最初から居たかのようにあっという間に蜘蛛の子を散らして会場に溶け込んでしまった。
親族達に挨拶をしようとしていたオチルとアンは呆れた顔をして笑い合っていた。
「はは、まぁこうなるとは思ってましたが、案の定でしたね。誰がどこにいるのか訳が分からなくなりましたよ。」
「お義父さんとお義母さんはどこへ行ったのでしょうね…。」
オチルとアンはみんなを見守っているイツキにそう漏らす。イツキはウインクをしながら2人に声をかける。
「はは、楽しんでいればそのうちバッタリ会うさ。そんな事より2人も楽しんでおいで。」
オチルとアンはイツキに軽く頭を下げて2人で会場の方へと消えてゆく。
イツキの後ろからララミーティアがやってくる。
「お疲れ様。シモンの結婚だからか、みんなとても嬉しそうよ。中には泣いて喜ぶ人も居たわ。」
「ティアもお疲れ様。みんなシモンさんを慕っているからなぁ。これで一安心って感じだね。」
イツキとララミーティアは寄り添い合いながら会場の様子を暫く見守っていた。
みんなが楽しそうにしている姿を見るのが大好きなララミーティアはニコニコしながらイツキの肩に頭を乗せていつまでも微笑んでいた。
途中子ども達が2人の元に来ては食べ物をくれたりして、その度にララミーティアは子ども達を抱きしめて喜びを表現していた。
やがてシモンとラファエル、後ろからポールがシモンの家から出てきて広場の中に設営された壇上になっている場所へと上がる。
皆はいよいよ始まるのかと思い、ザワザワし出す。
やがて後ろに侍女を従えて来たときに着ていたドレスとはまた別の紺色のドレスを身に纏ったジャクリーンが出てくる。
ジャクリーンは来たときのようにぎこちない素振りは一切なく、ピンとした背筋で堂々とシモンの隣に並び立つ。
2人が揃った所でラファエルが声を張り上げた。
「私はアーデマン辺境伯家当主のラファエル・ド・アーデマンである!堅苦しいのは苦手だ!まぁ平たく言えばシモンの父親だ!今日は私の息子シモンと、ターイェブ子爵家四女のジャクリーン・ターイェブ嬢が結婚する事が決まったので、どうかみんな派手に盛り上がって2人を祝ってくれ!よしっ!酒を持てーっ!!野郎どもっ!!ぶっ倒れるまでド派手に飲むぞーっ!!!天の神様に聞こえるくらいに大騒ぎするぞーっ!!」
途中からまるで盗賊の頭目の挨拶のようになったが、ラファエルの豪快な性格のお陰で会場の緊張はすっかり解け、会場は一気にお祭り騒ぎになった。
会場からはラファエルの名を叫ぶ声が数多く上がり、ラファエルは益々気を良くして声に答えるようにして手を振る。
段取りを忘れて浮かれるラファエルは、慌てたシモンから肘うちを喰らいハッとして再び声を張り上げた。
「アッハッハ、すまんすまん!ちょっと待ってくれ!!酒が飲みたくてついついウッカリしてしまった!!肝心のジャクリーン嬢からも一言あるから、みんな酔っぱらう前にどうか聞いてくれ!!いやいや、本当にすまんな!!」
会場は笑いに包まれつつもジャクリーンへと視線が集まる。
ジャクリーンは真面目な表情で大きく息を吸った。
「私はランブルク王国王国騎士団、第三騎士団副団長、ジャクリーン・ターイェブと言う!この度は隣にいるシモン・ド・アーデマンと縁があり結婚をする事となった!予め断っておく!私は貴族令嬢らしいお上品な言葉遣いや仕草は一切出来ない!皆が想像する蝶よ花よのお姫様ではなくてすまない!私は武器よ防具よの根っからの騎士だ!どうか集落で見かけても気後れせず気軽に話しかけてくれ!子供については抱きついてきても可だ!どぶさらいでも木の伐採でも何でもやろう!騎士だからな!」
会場から笑いが零れ、暖かい拍手で包まれる。
ジャクリーンは微笑む。
「ありがとう。ありがとう。私は幼い頃より武の道一本で生きてきた。貴族としての生活より騎士としての泥臭い生活の方が遥かに長い。野営ではマズい飯を食らうし、また野営の話だが立派な騎士らしく外でこっそり用を足す事すらする!行軍すれば汗臭くなるし、私が一般的な貴族令嬢ではない事はよくお分かり頂けただろうか!ちなみに今は汗臭くない!臭かったらそれは隣にいる者の匂いだろう!」
ジャクリーンの言葉に会場は笑いに包まれる。
聞いていた人々は徐々にジャクリーンの人柄を理解し、熱心に耳を傾ける。
ジャクリーンは既に会場の心を掴んだようだ。
「そんな全く貴族令嬢らしくもなく結婚適齢期をとうに過ぎた、こんな生傷だらけの私を好いてくれたシモンが私は好きだ!こんな稀有な男性は滅多に居ないだろう!そんな、そんなシモンの優しさや笑顔に私は!ずっと触れていたい、感じていたいと、生まれて初めて男性に対してそのような感情を持った!みんなが愛するシモンを今後独り占めするかもしれない事を今のうちに謝罪するとしよう!どうか寛大な心で受けいれて欲しい。今の今まで色恋を知らなかった哀れな女からのお願いだ!」
突然の公言に隣で聞いていたシモンが顔を赤くする。
「ジャクリーンさんにあげるよ!」
「独り占めしちゃっていいよー!」
「シモンさん!べっぴんなお嫁さん捕まえたなぁ!!」
会場は笑いに包まれ冷やかしが飛び交う。
シモンはニコニコしている。
「そんなシモンが愛して止まない、自分の自慢だと胸を張って言っていたこのミーティア集落が私は好きだ!穏やかで暖かい雰囲気のミーティア集落が好きだ!そこに住まう人々の優しさ、暖かさが好きだ!」
会場の人々は真剣にジャクリーンの言葉に耳を傾ける。
ジャクリーンは真剣な表情になる。
「過去何百年と我々は覆すことの出来なかった不正義で理不尽な差別により、数多くの命を散らした亜人や奴隷が居た。首に紐を付けられ、使い捨ての道具のように魔物の注意を引きつけて死んでいった亜人や奴隷が居た!食べ物もろくに与えられず、檻の向こうのパンを見つめながら腹を空かせて死んでいった亜人や奴隷が居た!!家族に愛させる事も!友と駆け回る事も!恋する喜びを知る事も!暖かい寝床で寝る事も!湯気のでる食事を見る事も!空が青い事も!その全てを何も経験せず、娯楽のために殺された亜人や奴隷が居た!!!全て散らす必要の無かった大切な命だ!大切な大切な!!二度と取り戻せない大切なただ一つの命だったのだ!!」
会場は静まり返っている。
すすり泣く声も聞こえてくる。
しかし人々の目はジャクリーンをしっかりと見据えていた。
「我々は!つい数年前まではそれは仕方のない事だと思うようにいつの間にか心に刷り込まれていたであろう!『そんなのはおかしい』と被害者も加害者も傍観者も、そう思う事すらないように刷り込まれてしたであろう!皆も心当たりがあると思う!告白しよう、私だってそうだった!あまりにも巨大な固定観念に立ち上がる勇気も!拳を握る勇気も!湧かないように刷り込まれていただろう!」
会場の人々はじっと真剣な顔でジャクリーンを見守る。
「しかしそんな理不尽な差別や暴力に苦しむ人々に大きな希望の光が天より差し込んできた!『月夜の聖女』ララミーティア殿と『黒髪の守護者』イツキ殿だ!!不正義で理不尽な終わり無き暗闇に終止符を打つ夜明けがやってきたのだ!もう暗闇でもがき苦しむ事も!膝を抱えて震えながらうずくまる事も!恐怖に涙する事も!飢えや乾きに苦しむ事も!理不尽な暴力や罵声に怯える事もない!そして、シモンが先導して作り上げたこのミーティア集落はその新たな時代の象徴だ!皆そうは思わないか!?私は思う!!皆の心に宿った小さな希望の光が集まる、ここは暖かい日溜まりのような場所だと!!!!」
会場の熱気が徐々に上がってゆく。
「私は、ミーティア集落に夢を見た。」
そんな中ジャクリーンは眼を閉じて静かに語り出す。
「そこには種族も見た目も関係ない、様々な種族の人々が同じテーブルについて笑い合っている、種族関係なく愛し合う者達も大勢いる。友を種族で選ばない。笑顔が溢れ!笑いは絶えず!手に手を取って支え合い!数年前までは夢物語のような出来事が、今こうしてこのミーティア集落に実在している!私はそんなミーティア集落が好きだ!」
ジャクリーンは悲しい表情を浮かべる。
「そんなっ!そんな私の愛するミーティア集落の人々が抱える悲しみ、苦しみ、その全てを私は聞いた。私は、やり場のない強い憤りを覚えた!!未だに人族至上主義などというふざけた愚かな思想を持つ者が大陸には大勢居る!そんなふざけた愚かなヤツらが起こした蛮行を聞き、私は!私が天より授かったこの力を王国の為ではなく、この互いを思いやり支え合い懸命に生きる人々を守るために使いたいと心から願った!私は!今ここに誓おう!私はこの剣に誓い、過去の苦しみや悲しみに震え涙する皆を守り抜くと!私に力を授けて下さった神にも届くように声高らかに誓おう!!!」
ジャクリーンは自身のアイテムボックスから先程シモンからプレゼントされた剣を急に取り出し、自身の足元に刺す。
「だからもう震えないで欲しい!悲しまないで欲しい!王国最強の騎士と謳われたこの騎士ジャクリーンがあなた達を力の限り守り抜こう!例えこの命が燃え尽きようと、例えこの手や足をもがれようと、ミーティア集落を不遠慮に踏みにじろうとする愚かなロクデナシ共から必ずや守り抜いてみせる!そんなロクデナシ共に!皆に替わり私がクソを食らわせてやろう!!この世界に止まない雨はないのだ!!明けない夜はないのだ!!もう、そんな愚かなロクデナシ共に怯え苦しみ涙を流すことはない!心優しい皆のその涙は嬉しい時、幸せな時に流す涙なのだ!私と同じ夢をミーティア集落に見た仲間達よ!ゆっくりでもいい!共に立ち上がり!共に夢の続きを追いかけよう!!」
気が付けば静かに涙している者も居た。
熱いジャクリーンの心が会場の人々の心を強く叩いていた。
「私とシモンの結婚を祝うパーティーなのに肝心のわたしが騎士達への演説のようにしてしまってすまなかった。私は騎士団を辞め、ミーティア集落に骨身を埋めるつもりだ。どうかよろしく頼む。一つだけ皆にお願いがある!『アーデマン夫人』だとか『ジャクリーン様』だとか、あまつさえ『お嬢様』だとか呼ぶのだけは辞めてくれ!慣れていないのでむず痒い!どうか人助けだと思って私の事は『ジャッキー』と呼んでくれると嬉しい!私の渾名だ!呼びやすいだろう?それだけは頼む!以上だ!ご静聴ありがとう。」
会場は割れんばかりの拍手で溢れかえっていた。
皆口々に「ジャッキー!!」とジャクリーンの渾名を呼び続ける。
「流石副団長って感じなのかしら。心を掴むのがとても上手ね。私何だか物凄い胸が熱くなったわ。ただの挨拶の筈が決起集会のようになったけれど、みんなとても喜んでるわ。」
「分かる分かる。昔から知ってる人みたいな親近感を覚えたもん。『もう大丈夫なんだ』って安心感も覚えたよ。多分みんなはもっとそう感じたんだろうな。喜ぶ気持ちも分かるよ。」
どちらかと言えばジャクリーンと同じ守る側の筈のイツキとララミーティアですら不覚に感動してしまう程にジャクリーンの緩急をつけたスピーチは一級品だった。
しかし手合わせしたときに感じたあの強さがそれを裏打ちしていたので、恐らくジャクリーンはこれから先集落の防衛力を底上げしてくれるだろうとイツキとララミーティアは感じていた。
昼間にオボグ工房の裏で両手剣の試し斬りをしていたり、イツキとの手合わせでイツキに勝ったという噂が既にミーティア集落中に知れ渡っており、そんな噂も手伝ってミーティア集落の住人達はしばらくの間ジャッキーフィーバーに湧くのだった。
シモンとジャクリーンを祝う宴は夜遅くまで続き、会場はいつまでも笑顔で溢れかえっていた。
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