94.アーデマン辺境伯
手探りで始まった教育だったが、ララミーティアは兎も角、シモンまでもが、イツキが召喚する物に対しての感覚が大分麻痺していたせいか、イツキが安物の玩具だと言っていたおはじきやビー玉の、この世界においての価値を全く加味していなかった。
おもちゃ感覚で配ったおはじきやビー玉。
元奴隷だった人達だけでなく、元々集落に居た人達にとってしても、大層高価な品物に見えてしまっていた。
そんな高価な物が適当な麻袋に雑然と入れられており「こんな高価な物は受け取れない」と、早々に完全に萎縮されるというハプニングがあった。
イツキが慌てて「ただのガラス玉だから」と必死に説明しても、そもそもガラスが高価な物なので、益々住人達を萎縮させてしまい、おはじきもビー玉も全部あげるし、欲しかったらいつでもあげるから気にしないでと、ララミーティアも説得する事で漸く受け取ってもらい、無事教育が始まった。
その後、子供だけではなく大人までもがおはじきやビー玉を欲しがり、結果ミーティア集落では暫くの間、おはじきやビー玉を懐から取り出しては、うっとりと眺めている人が続出した。
基本的に授業は隔日の午前中のみで朝食と昼食つき。
既に集落の仕事を担っている者については、授業以外の時間で必要に応じてイツキとララミーティアがお手伝いをする事で、集落にも『教育』という新しい習慣は、すんなり浸透していった。
シモン曰く、
「ミーティア集落は主に、税になる穀物の収穫量が異常なくらい豊富なので、みんなゆとりがあるんですよ。」
との事だった。
最も、食事は別に学校など関係なく言われれば、快く提供していた物なので、いちいち言う必要があるのかとイツキとララミーティアはシモンに聞いたが、今は兎も角として、将来を見越しての仕組みづくりだとシモンは答えた。
実際、提供する食事はイツキやララミーティアにはあまり依存していない。
基本的に朝は麦粥のようなもので、昼は野菜のスープとパンなど、住人達には馴染み深い物を中心に提供していた。
提供する食事について、本当に賄えるのか心配してララミーティアがシモンに聞くと、三圃式農業のようにローテーションで畑を回すのが普通らしい。
しかしミーティア集落はララミーティアの加護の力でそれをする必要が全くなく、休ませる必要のない畑には常に、夏穀物と冬穀物だけでなく様々な野菜等が順番に植わっているらしい。
ミーティア集落は月夜の聖女の息がかかっている集落であり、更にシモンがしっかりと取り仕切っているため、穀物についても足元を見られるような事が全くなく、集落の財政状況はかなり潤っているようだった。
収益の大半は、一旦シモンに集まってから均等に分配されているので、イツキの印象では共産主義のような仕組みだが、皆それで満足して生活している上、活気があるので、案外小規模であればうまくいくもんなんだなぁと、感心していた。
ミーティア集落で畑を手伝ううちに、イツキとララミーティアの本邸の畑は暫く休耕になっていた。
最近はミールの町から職人が来て、集落の中にパン焼き釜や製粉機が導入され、イツキやララミーティアの力を借りずともスープに浸すパンが集落でも作られるようになっていた。
パンは当然イースト菌のようなものは使われておらず、自然に発酵するのを待っているようだった。
定期的に各世帯にパンを配れる程に集落は潤っており、肝心のパン作りは、手の空いた者がパン作りの手伝いをして回していた。
イツキが召喚について試してみたいと言い出し、パン焼き釜や製粉機をもう1セット召喚してしまい、ミーティア集落で作られたパンは自分達では消費しきれなくなってしまった。
定期的にミールの町から来る行商人に、余ったパンを売るまでに発展したのはまた別の話だ。
イツキは思いついた事として、空いている場所で綿でも栽培してみてはどうかとシモンに提案していた。
元奴隷だった人達にも何か手に職をつけてあげたく、その選択肢として将来的に糸だけでなく布なども作れないかと考えている事をシモンに伝えた。
シモンは「とりあえず綿を栽培してみて、収穫量や品質を見極めてから糸紡ぎ機などには手を出してみましょう」と言い、そういう方針で纏まった。
綿についてはなんと魔境の森でも稀に見かけるらしく、ララミーティアが綿花をいくつか持っていた。
イツキも子供の頃に学校の授業でモコモコになった綿花から種を取りだした経験があったので、それを思い出しながら大量の綿花をサンプルとして召喚してみせた。
ララミーティアが持っていた綿花はどれも地球で見かける茶色いものよりも茶色く、この辺で見かける物は大概この色だとの事だった。
イツキが召喚したものは地球でもよく見かける真っ白なものだ。
シモンやララミーティアは逆に真っ白な綿花を見たことがないようで暫く鼻息荒く綿花を観察していた。
綿を植えるにもこれから本格的な冬がくるという時期に植えるものでもないので、とりあえず大量に綿花を召喚しておいて集落に保管しておく事にした。
教育が始まって数日経った頃、アーデマン辺境伯から返事が来たとシモンから連絡があった。
種族学の学者について前向きに調整してくれるようだった。
「へぇ、ついこの間そんな話をしたばかりじゃない。随分早いわね。」
「本当だなぁ…。しかしまぁ何というかさ、スケベだとか気持ち悪いとか、本当に悪かったよ…。言い過ぎた。」
「そうね、人のお父さんに言うセリフじゃなかったわ。」
イツキとララミーティアはいつぞやにアーデマン辺境伯をスケベ野郎だの気持ち悪いだの、アーデマン辺境伯の倅であるシモンの前に言いたい放題言ったことをずっと気にしていた。
「もうそれは良いですってば!一々そんな事気にしませんよ!庶民の持っている貴族のイメージなんて大抵そんな物ですよ。」
「はは、なら良いけどさ…。しかしやっぱり我が子は可愛いんでしょ。対応が随分早いじゃない。ねぇティア。」
「ふふ、いくら貴族とは言え人の子ね。自分の子供には甘くしちゃうのよきっと。」
イツキとララミーティアがアーデマン辺境伯の人間味に感心してシモンにそう言うが、シモンは複雑そうな表情を浮かべて頭をかく。
「いやー、それだけではないですよ…。月夜の聖女を味方できるかもしれないという効果もありますし、今エルデバルト帝国で奴隷売買禁止だとか奴隷に市民権を与えるだとか、名ばかりのそういう流れがあるので、将来的に難民を積極的に受け入れて、領民増加でも狙っているんだと思いますよ。」
「えー?あー、まぁ亜人の亡命先としては、一番快適に暮らせるだろうしなぁ。行商人とかの噂でさ、ここの事も広まってるだろうしね。」
イツキが腕を組みながらそう言うと、ララミーティアもイツキの言葉にうんうんと頷く。
「その通りです。このままなら解放された亜人のうちの一部は誘導せずとも、他の町ではなく、この集落を目指すでしょうからね。新たに体制を整える必要がないここで、色々身に付けさせる事によって、アーデマン辺境伯領に得があるとでも思っているのでしょう。だから対応が早いんですよ。あんまり早いから、かえって複雑な気分ですよ。」
申し訳無さそうに言うシモンに対して、イツキとララミーティアは呆れながら答える。
「おいおい、随分ひねくれてるなぁ。単純に我が子が頑張ってる集落だから早いんじゃないの?」
「ちょっと考えすぎじゃないの?流石に考え過ぎよ。」
シモンは複雑そうな表情を浮かべてはははっと笑った。
更に数日経った頃。
授業が終わりイツキとララミーティアは特にすることもなく並んで遠くを眺めていた時、遠くから一際豪華な馬車がこちらに向かってやってくるのが見えた。
これまで見たことがない立派な馬車に少し興奮するイツキ。
「わぁ!ティア、なんだか凄い立派な馬車が来たよ!なんだアレ!」
「ふふ、イツキは初めて見るのね。あれはきっと貴族の乗っている馬車ね。どこかに家紋みたいなのがあると思うんだけど、まぁ多分アーデマン辺境伯が直接来たんでしょうね。シモンを呼びましょう。」
シモンを呼ぶとシモンはひどく驚いて馬車を眺めていた。
「学者をうちの馬車を使って派遣してきたのでしょうか。普通、どこの貴族も余程の高名な先生とかでないと、そのような事はしないのですが…。」
「ひょっとして領主様がいたりね?」
イツキがシモンに何気なく言うと、シモンは慌てて否定する。
「ないない!ないですよ!領地も広いから、忙しくて忙しくて、とてもではないですが、ここまでは来ないと思います。来られても気を使いますよ…。辺境伯が直々に視察に来るような場所では無いです。」
「そう言えば、私とイツキは領民どころか、国民でもないから、別にアーデマン辺境伯サマに気を使う必要はないのかしらね?」
ララミーティアが呑気に質問するとシモンは笑いながら答える。
「ははは、まぁ本人はいないでしょうけど、確かにお二人はどこの国にも属してないですもんね。お二人にとっては余所の国の偉い人ですよ。「私達は魔境の森を管理している者です」と、対等に出ても案外いいかもしれないですね。」
「なるほどな、そういう考え方も出来ちゃうなー確かに。」
「よく考えれば、どこにも属してない上、私達の結界の中だものね。管理者!案外いいかもね。国の名前は何が良いかしらね?」
「そうだなぁ…、やっぱりティアの名前を入れたいなぁ。」
「えー?私ばかり嫌よ、たまにはイツキの名前を入れたいわ。」
建国について呑気に話し出すイツキとララミーティア。
暫くすると数台の馬車が集落までやってきた。
集落の住人達には念の為いつも通り各々過ごすように手分けして声をかけておいたので、集落の入り口にはイツキとララミーティアとシモンしかいない。
先ずは兵士が馬車を取り囲むようにして周囲を警戒し、やがて執事のような男が馬車の扉をゆっくりと開いた。
シモンが頭を下げながら挨拶の言葉を述べる。
「ようこそいらっしゃいました。ここは月夜の聖女ララミーティア様を信仰するミーティア集落…、父上っ!?」
「久しいな。元気にしていたか?シモンよ。」
降りてきたのは立派な鎧を着込んだ中年の男性だった。
その姿を見たシモンは思わず声を上げて驚く。
「えーと…、父上という事はアーデマン辺境伯様って事かしら?」
「堅苦しい挨拶は抜きで頼む。私はラファエル・ド・アーデマン、今日はここを見てみたくて来た。突然の訪問、相済まぬ。」
軽く頭を下げるラファエルにイツキは慌てて自己紹介をする。
「あっ、えーと俺はイツキ・モグサと言います。こっちは妻のララミーティア・モグサ・リャムロシカです。2人で魔境の森全域を管理しています。どうぞよろしくお願いします。」
「妻のララミーティアよ。シモンには何かと良くして貰ってるわ。シモンはとてもいい子よ。よろしくね、領主様。」
平常運転のイツキとララミーティアが、先程冗談で言った事を本当に口に出してしまいハラハラするシモン。
「そ、それでは!私が集落を案内しましょうか、父上。」
「いや、お前は今後のことについてポールと話でもしてろ。私はイツキ殿とララミーティア殿に案内してもらう。」
そう言うとラファエルはイツキやララミーティアに目配せをしてさっさと集落の中へ入っていった。
「案内とは言ってもすぐ終わっちゃいますよ?」
「そうねー、時間が余って暇だったら森の中でも散歩しましょうか。」
「ワハハ!時間が余ったらその時考えよう!行こう行こう!」
いくら領民でも国民でもないにしても、2人の遠慮のなさにハラハラしっぱなしのシモンだった。
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