おいしいおともだち
世界の人口曲線が産業革命以来急激な上昇カーブを描いてきた。
1999年に60億、2011年に70億、2050年には90億を超える予想という。
これはちょっと話が逸れるかもしれないが、石油埋蔵量。
近い将来枯渇するとされた石油。
アメリカで硬い岩盤を破砕して得るシェールオイルの技術が確立され新しい油田を開発、対抗したOPECが値下げ攻勢に出たのも記憶に新しい。
とにかく予想なんてものは当たらない。
そう、このままでは爆発すると言われた人口でさえもだ。
「さぬきさんはあ、新人類ってほんとなんですか?」
会お昼時の会社。お弁当組の輪の中で、一番若い凛ちゃんが空気を読まずに言った。なんとなく皆で回していた会話が途切れる。
「課長に聞きましたよお。新人類って。なんかいいですねえ、最新式」
「凛ちゃん、本人が言い出さないのにあんまそういう個人的な話しないのよ」
「でも課長が言いましたよ。こないだの健康診断の後に」
「課長あいつマジで口が軽い!」
私が絶句していると、隣の一児の母、有元さんが思わず地がでた、といったふうに口悪く叫んだ。
昔厚め化粧のギャルめだった有元さんだが、結婚後方向路線の変更をして、ちょっとエッチな人妻ファッションを好んでいる。
やや怖めなとこもあるが、ギャルの名にふさわしく、味方に義理堅く人情に厚い。いい人である。
何より開いた襟ぐりから存在を主張する胸がまあすごい。そのボリューミーさには、私も思わず赤ちゃん返りして、美味しそうという感想しか出なくなってしまう。女だってボインが大好きなのだ。
いやまあボイン談話は置いといて、今は課長だ。
そんな超個人情報を、雑談で他の社員に流すのは昨今の世情からいっても言語道断である。
「なんかあ、新人類はよく分かってなくて難しいから、外観変態が起こってなくても直属上司には通達行くって言ってましたよ」
「この会社の人事は管理職に対するコンプラ教育、どうなってんですかね……」
さっぱり悪びれない凛ちゃんに、有元さんが撃沈する。
それよりも、と凛ちゃんが本題に入ってきた。
「新人類の人の、変態? 変身? 能力について聞きたい! んですよお! どうなってんですかあれ、どういうことなんですか!」
可愛いお弁当をひっくり返しそうな勢いで凛ちゃんが聞く。
若いのをさっぴいても、凛ちゃんもギャル路線の子である。ただ男の人に媚びるタイプのギャルなのだ。
仕事したくないから養って欲しい! というあざとさを隠そうともしない。
別に私は全く嫌いじゃないが、もう少し隠さないとモテが遠のくのはいうまでもない。
「さぬきさん〜、お願いしますう〜、教えてくださいよ、知ってるでしょ、一階総務の木下さん……」
「ああ、あの子も新人類なのよねえ、ある日いきなり……」
「そうなんですよ! いきなり! 変態して! 八頭身美女に!」
ずるくないですかあんなのもう全身整形じゃないですか〜〜!
ちょっと前までひじきみたいな頭を梳かしもしない、ダッサダサヲタクしてたくせにいいい!
と歯軋りする凛ちゃんに、まあねえ、と私と有元さんは目を見合わせた。
一言言っとくと、私は木下さんも嫌いではない。
が、凛ちゃんの言うのももっともで、彼女も彼女でヲタク活動に人生の全てを振り込んでいた。
プライベートに生きる意味の全てを投げ込むのはそれは自由だと思う。
しかしスカートのシワはアイロンかけてたほうが……、とか、寝る前に髪乾かしたらもうちょっと寝癖がなんとかなるんじゃないか……とか、余計なお世話とわかりつつ、思わず一言言っちゃう時もあった。
「あの人、部署の飲み会に誘っても、行かないです、しか言わないんですよ、あのイケメン吉田くんが行くのにですよ? もう馬鹿じゃないかと、なら私に代われと、あーもっったいない! 私なんか話しかけるチャンスがあったら速攻で行くってのに!」
自分が欲しくてたまらないものを、他の人が粗末にしていると、人はその人を憎むそうだ。
まあ今時はもう飲み会に強制参加ってのも流行らないし。
「それでも木下さんがあーいう見た目で無愛想だから、ま、許してるとこはあったんですよ。ね、まあ、あんな感じだし。三次元に興味ないって感出てましたし。それが何? あの、あんなKーPOPアイドルの化身みたいな姿になるなんて、結局三次元に興味ありありだったんじゃん! モテたかったんじゃん! 騙された! 騙された!」
変態能力は、新人類が皆持っている、人の新しい進化の能力である。
それはまず、今時らしく、SNSから始まったように見えた。
なんだか私、最近見た目が変わってきた……? 旦那が、息子が、クラスメイトが、別人のように見える?
こんな投稿が散見されるようになって来たのだ。
そのうちの一人が、髪が真緑になったために流石に病院に行って精査した結果、葉緑素だと出たそうな。
よくわからんが食事を取らなくていいから楽だわ! もう会社辞めて植物として生きる! とヤケっぽく言った。
ちょっと鬱っぽくなってる人だった。たちまち界隈で話題になったのは、皆疲れていたのかも知れない。
これがバズった結果、同じように葉緑素を持つ人があちこちで現れた。
さらに厭世的な人は植物を通り越し石になる人も出たようだ。
だがもっと多かったのは、同じ人間とはとても思えない、理想の美男美女に変わる人たちだったのは、まあ好きに変われるなら、それを選ぶだろう。
これはおかしい、伝染病か何かと研究者が慌てふためいて試行錯誤検査研究の後、ついにこう発表したのだ。
遺伝子の突然変化が個体の意識を反映し、突発的に起こっている。既存の人類の進化スピードではあり得ない。もはやこれは別の種、新人類としか言えないだろうと。
「木下さんも緑髪になって社会から引きこもるかと思ったのに!」
と憤慨している凛ちゃんは、いつもは食堂で、我が社の若手イケメンのいるグループに混じって食べている。
昨日から、ずっと自席でスマホゲーしながら昼食を取っていた木下さんが、そのグループに参加し始めたらしい。
いいけどさ。
とちっともいいとは思っていない顔の凛ちゃんが言う。
なんか木下さん、ボソボソつまんない話ばっかするから、食事が美味しくないのよね、と凛ちゃん。
「ゲームの話なんですよ、スマホゲーの話バッか! 木下さんその話題しかないから、みんなもそれに合わせるの! もー、やだー社会人になってそんな話しないでーって、そんなグループにいたら私まで子供じみてると思われる!」
「今時みんなゲームくらいしてるわよ凛ちゃん」
「木下さんだってそんな好きならさあ、変なアニメみたいな姿に変わればいいのに! なったのはいかにもモテそうな、モデルみたいな八頭身美女じゃん! 目玉が顔半分あるみたいな漫画みたいな顔になればいいのに、二次元に生きるとか言っといて、これ! うわーけーっきょく本音はモテたいだけでしょ!」
プンスカしている凛ちゃんは、木下さんが変態したのはそのアニメの、エルフと言われる妖精みたいな種族であることを知らない。今時ここまでアニメやゲームの知識がないのは、逆に珍しいんじゃないだろうか。
わかりやすく嫉妬に狂う凛ちゃんに、有元さんが、大きなおっぱいを揺らしながら、やれやれと肩をすくめた。
「凛ちゃんねえ、結婚したらわかるけど、結婚相手は外見より中身。しかも大人しそうでいうこと聞いてくれそうな相手に限るわよ。子供のいる生活は戦場よ? モテ散らして思い上がったイケメンなんて扱い大変よ」
「嫌! 私はイケメンじゃないと結婚しない! どんなに腹立っても、イケメンの顔がついてさえいれば全てを許せるんですよ!」
「もうほんと、どーしようもないわね、あんたって子は……」
「まあまあ、じゃあさ、後で木下さんとこ行ってみない?」
呆れ返る宮本さんをどうどうと宥めて、私は凛ちゃんに向かって言った。凛ちゃんは顔を顰める。
「私もこないだの健康診断で検査結果出るまで、自分が新人類だなんて知らなかったのよ。凛ちゃんだってまだ発現してないだけかも。木下さんみたいに八頭身美女になれる可能性はあるわ」
「……えっ……? マジですか……? ほんとに……?」
「マジよ。私もちょっと新人類の心得を聞いてみたいと思ったのよ」
凛ちゃんはばっと立ち上がった。
「歯磨いてきますんで、すぐいきましょう。まずい休み時間が、ちょっと待っててください、すぐ帰ります!」
現金にもだーっと走り去る凛ちゃんの背中に、今度こそ遠慮なく有元さんがため息を吐いた。
「しょーがないわねえ。あー飲み終わったペットボトルまたほっぽって……。1日何本飲んでるのあの子は? 水筒にしなさいよもう、マイクロプラスチック問題知らないのかしら。子供ができるとそーいう環境問題無視できないのよね」
こちらはこちらでプンスカ怒っている。
有元さんは意識の高い元ギャル母なのだ。
私は余計な喧嘩売ることはないしなあ、言っちゃうのやめとこかなーと思いつつ、やっぱり言った。
「でもそんな心配しなくても、プラ分解してくれる微生物が出現し始めたってテレビで言ってたよ」
「はあー、さぬきさんまでそーいう……。そんな新種がちょっと出たくらいで、この大量のプラゴミを今すぐ処理なんかできないでしょう? 今私たちができることをすべきですよ」
「うーん、でもさあ、これもテレビでみたんだけど、石炭ってあるじゃない、今は石油だけど、昔のエネルギーは石炭だった」
何か妙な話をし出したな、という顔を有元さんはした。
「その石炭ってさ、昔の木材が堆積したものなんだよねえ。今なら分解されちゃう木材が、それを分解する能力がある白色腐朽菌ってのがまだいなかったから、残ったんだって。だからプラだって、いずれ分解されるのが普通になるだろうなって思うのよ」
「そうかもしれないですけどお……、だからって人間が原因な環境保護に意識なくていいってわけじゃあ」
「それそれ。だからさ、人間が増えすぎたのがいけないと思うのよ」
あ、口が滑ってる、と私は思ったが、これはもう遺伝子のなせる技である。昔っからいらないこと言いすぎちゃうのよねえ。私はもう調子に乗って、ピッと指を立てて有元さんを指した。
「プラを分解する微生物は、別に自然保護のために進化したわけじゃない。沢山あるものをエネルギー源にするのが効率いいからなのよ。だったら、増えすぎた人類をエネルギー源に狙う生き物が出てきてもおかしくなくない?」
「えええー、だぬきさんー、ブラックなこと言いますねえ、まだお盆まで一か月あるのに、ホラー話は早いですよ」
「んっふっふ。でもさ、思わない? 木下さん……。ほんとに? あんなに顔も頭身も、元の形が何もかもが変わったのに、むしろみんなが、あの木下さんを同一人物だって思えてるの、不思議ねえって」
「あれ、あれー、これって本気のアレですか? ちょっとーやめてくださいよー」
「私たち新人類というのは、見えている私たち自体を指すのでなく、遺伝子を組み替えていく、ウイルスをさしているのかもしれない……」
だんだん本気で怯え声になってきた有本さんを、私はひたりと見つめた。
そっと手を伸ばすと、泣きそうな顔になる。私は堪えきれずにウフッと笑った。有元さんがさぬきさん? とうろたえるのに、腹を抱えて笑う。
「有元さんめっちゃ怯えてー。あんな顔初めて見たわあ。怖い話だめなのね」
「さぬきさん〜〜!?? ちょっと? マジで許されませんよ? 大体あなたねえ!」
本気で怒り出した有元さんにますますおかしくなり、机をバンバン叩いて笑った。
さぬきさん! と叫ぶ有元さんにごめんごめんと手を振る。
「やーねもう。冗談よ。それよりあなたも木下さんの話聞きに行かない?」
「いいです! もう私旦那いるし、今の私の容姿で十分満足ですから!」
まあその立派なおっぱいがあれば、容姿の過不足はないだろう。
「そーなのお、アッ、じゃあさ、今度の日曜さ、家においでよ。前すごいって言ってたクッキー、一緒に作らない?」
これこれ、と以前会社に持ち込んだアイシングクッキーの写真を見せた。子供に人気な某ゲームキャラクターをアイシングで描いた、キャラ弁の親戚みたいなやつだ。
「ええっいいんですか? あれ子供がすんごい喜んで大変だったんですよ。ママも作って、でも無理じゃないですか?! あんなすごいの出来るかなあ?」
「できるできる。怖がらせたお詫びに教えたげる。うちにおいで。ああ、凛ちゃんも木下さんと仲良くなれそうだし、私も有元さんと仲良くなれるの、すっごい楽しみだわ……」