消骸
1人で泣いていた。
夜空の下、誰にも見られないように泣いていた。
啜り泣く声すら殺して、ずっと独りで。
そんな日々を、私は何年も続けていた。
誰にも救われず、誰にも知られず。
だから私は──
──あの日、死んだんだ。
・・・
「……あれ?」
死んだと思っていた。もうこんな世界からいなくなったんだって。
でも、神はそれを許してくれなかった。目の前に広がる真っ白な天井が、その事をこれでもかと伝えてくる。
「あ、目が覚めたんだね」
「……あなたは?」
「あなたは?……か。君にそんなこと言われるなんて、少し悲しいな」
目の前の女性は、少し悲しそうな表情をして私の顔をじっと見つめてきた。初めて見る人。そのはずなのに、不思議な懐かしさがあった。
「先生にあの話をされた時、ちゃんと覚悟はしたつもりだったんだけど……実際そうなると、やっぱり心にくるな〜」
「えっと……ごめんなさい?」
「ううん。謝らなくても大丈夫。こっちの話だから」
「……それで……どちら様でしょうか?」
私の言葉を聞いた女性は、キョトンとした表情をした後、優しく笑った。
「そっか……私は菜音。あなたの発見者」
「発見……者?」
「そう。私があなたを見つけて、この病院に運んだの。本当に死にかけてたんだよ?」
菜音と名乗った女性は、私が生きていることを心の底から喜んでいるような表情で話している。初めてだった。私が生きてること、こんなに喜んでいる人を見るの。
「……なんで?」
「え?」
「なんで……私なんかを助けたの?」
「なんでって……そんなこと言われても」
菜音さんは首を傾げた。まるで、私の質問の意味を理解出来ていないかのように。
「理由なんてないよ。強いて言うなら、助けたかったからかな」
「なにそれ……お人好し?」
「君がそう思うならそうかもね」
「……気に入らない」
「そ、それはちょっと傷つくな〜」
本当に理解が出来なかった。誰も助けてなんてくれない。誰にも必要とされていない。そんな私を、ただ「助けたい」という理由だけで助けた菜音さんのことを。
私は、少しだけ体を起こした。長い時間眠っていたのだろう。体に少し力を入れるだけで、体が悲鳴を上げ始めた。
「うっ……」
「あ!無理しないで。半年くらい眠ってたんだよ?しばらくは動いちゃだめ」
「……いい。気にしない」
「だめ!君が気にしなくても私が気にする」
少し抵抗して体を起こそうとしたけど、すぐにベットに戻されてしまう。
「……なんで?」
「私は君を助けたいからね。だから、いつまでも君のそばにいるよ」
「わけわかんない……」
「それでいいよ」
本当に訳が分からない。この人が何をしたいのか。どうして私にここまでしてくれるのか。その全てが、理解できない。
「……そういえば」
「どうしたの?」
「さっき……半年って言った?」
「言ったよ。君が死にかけてから、今日でだいたい半年くらい」
「……両親は?」
「1度も来てないよ。ここに来てるのは私だけ」
まぁ、当然といえば当然か。というか、逆に来てたらその理由を知りたい。どうして今更、私の前に現れたのか。
「そういえば君の名前は?ずっと『君』って呼ぶのも悲しいしさ」
「名……前?」
名前……名前……私の名前って、なんだろう?
「ねぇ、もしかして……名前も忘れちゃった?」
「ううん……名前なんて……もともと無い」
私の返答を受けて、菜音さんは少し困ったような表情になった。でもすぐ、さっきみたいな表情に戻った。
「そっか〜。それじゃあ、私が名前をあげよっか!」
「いらない」
「なんで〜!」
「……どうせすぐ死ぬから」
「そうなこと言わずにさ〜」
そんなやり取りが少し続いた時、部屋の中に誰かが入ってきた。医者だろうか。菜音さんが完全に畏まっている。
「おや?目が覚めたのかい?」
「……はい」
「そうか。体は動かせそうかい?」
「……いえ」
「そうか……」
白衣を着た人は少し考え込んでから、深刻な表情で私の顔を見た。
「1つ、いいかな」
「はい……どうぞ」
「君が眠っている間、いろいろと調べさせてもらったんだが……」
そこで白衣を着た人は言葉を濁らせた。その先の言葉を口にするのを躊躇うように。
「君は……何者なんだい?」
「……分かりません」
自分が何者なのか。「分からない」のは半分ほんと。でも、半分は嘘。正直、このことは自分でも二度と触れたくない。たとえ今、それを言うことで救われるとしても。
「……正直な話をしよう。君が今生きているのは、奇跡……と言えば聞こえがいいが、ほとんど呪いのようなものなんだ」
「……呪い?」
「そう。そこにいる菜音さんが君を運んできた時、一通り検査を行ったが……」
また、白衣を着た人が言葉に詰まった。でも、さっきとは違って「これが現実であることが信じられない」とでも感じているかのような、そんな詰まり方。
「……もう、君の内臓はほとんど壊死してしまっているんだ。心臓も、脳もね」
「……壊死?」
「そう。何か外からの力が加わらない限り絶対にありえないような……そんな感じだった」
内臓が壊死……心当たりはある。と言うより、私にとってその事実の方がこの現実よりも納得できる事柄だった。
「心当たりはあるかい?」
「……あります」
「そうか……なら、もう1ついいかな」
「どうぞ」
「君はなぜ……死のうと思ったんだい?」
白衣を着た人は、私の目を真っ直ぐ見ていた。最後の時まで私に寄り添いたい。そんな眼差しで。
「……そこまで言うのなら……話します」
「……ありがとう」
「ただ……少し穴抜けですが……」
だから私は、この人に全てを話そうと決めた。なんとなく、そうすることでこの人が言う「呪い」から開放されるような気がしたから。
「では……話します。あれは、私が5歳の時──」
・・・
5歳の時、私は両親に捨てられた。理由は忘れちゃったけど、前から私のことをめぐってずっと喧嘩してたのは覚えてるから、それが原因だと思う。
その日から私は、ずっと路地裏で生活してた。お金も食料も無かったから、ゴミ箱とかゴミ袋を漁ってギリギリの生活をしてた。たまに路地裏から出て生活場所を変えたりとかしてたけど、基本的に同じ場所でずっと寝てた。夏も冬も、ずっと地面の上で。
私、辛かった。どうして、こんな目に遭わなきゃならないんだろうって。どうして、何もしてない私が、こんな人生を歩まなきゃならないんだろうって……毎晩毎晩泣いてた。
そんな人生が嫌になって……ある日から、どうやって死のうか考えるようになったんだ。何も食べずに過ごそうかとか、車道に飛び出してみようかとか……
でも、どれも出来なかったんだ。心のどこかで、「生きてたい」って思ってたのかな。
だから私は、生きてるのか死んでるのか分からない日々を、ただただ続けていた。それで……今から半年くらい前に、ちょうど住む場所を移動してたんだ。その時に……
・・・
「全く知らない人に話しかけられて……それで、小瓶の薬を貰ったんだ。本当に死にたくなったら飲んでねって」
私は、持っているだけの記憶を全て話した。
「それで……もうどうでもいいって思って飲んだの……そしたら、ここにいた」
「そう……か」
そこまで話し終わった時、小瓶の薬を飲んだ時と同じ感覚が体中を一瞬で駆け巡った。全身を内側から釘で刺されているような、そんな感覚が。
「うっ……ぐっ…………」
「どうしたんだ?!そこの看護師、頼む!治療具を持ってきてくれ!患者の容態が急変した!!」
「えっ!?分かりました!」
「間に合ってくれ!頼む!!」
さっきの人の必死な声が聞こえる。でも、それももう遠くなっていた。痛みとともに意識が消えていく。薄れていくわけでも、どこかに行くわけでもない。ただ、消えていく。
遥か遠い場所で、私の救命活動が始まっているような気がした時、私の意識は完全に消え去った。跡形もなく、真っ白な場所へと。