80 元勇者の魔王、変わらぬもの
母さんに手を引かれ、家の中へと招き入れられる。
後ろからは、小型犬サイズのブラックドッグが追従する。
すると、気配を感じたのか、母さんの視線が下方へと向けられる。
「あら? 黒いワンちゃん? 貴方が飼ってるのかしら?」
今、ブラックドッグの存在に気が付いたらしい。
「とある事情で保護している状態でして」
「こんな小っちゃな子に、首輪もせず放し飼いするなんて、いけません! 一時的な保護だったとしても、生き物を預かるなら、キチンと責任を持って世話なさい!」
「え? えぇ、それは勿論、そのつもりですが」
「抱き上げて良いかしら? 良いわね? 抱き上げちゃう!」
返答を待たず、俺から手を放し、ブラックドッグの元へと小走りで駆け寄る。
そばにしゃがみ込み、ふわりと抱き上げた。
「まぁ! 随分と軽いわね? ちゃんとご飯貰ってる?」
ブラックドッグの顔を覗き込み、尋ねている。
もっとも、いくら待とうが答えられる筈も無い。
「勿論、ちゃんと食事の世話もしてますよ。但し、この子は他とは違って、色々と特殊でしてね。食事も専用のモノでないと駄目なんですよ」
「随分とデリケートな子なのかしら? あらあら、綺麗な赤い瞳ね。ワンちゃんにしては珍しい色味ね」
当のブラックドッグはというと、大人しくされるがままとなっていた。
特に嫌がっていないところを見ると、母さんに敵意は無いらしい。
だが、未だ本人かは疑わしい。
偽物か、幻覚か、あるいは本物なのか。
何をもって見極めれば良いのかは不明ではあるが、油断せずにいこう。
「見る限り元気そうだし、病気って訳ではなさそうね」
「体重が軽いのは、種族特有なんです。その子だけが特別軽い訳ではありません」
他の個体に会った事は無いので、語尾に多分と付け足す必要はありそうだが。
「こんなに可愛らしいお客様なら大歓迎よ。さぁ、奥へ行きましょう」
ブラックドッグを腕の中に抱えたまま、家の中へと入って行く。
とりあえずは、追従することにする。
「お部屋は当時のまま、お掃除は欠かさないようにしてるけど。今の貴方には色々と小さいかもしれないわね」
「いえ、寝れる場所があれば十分ですよ」
「そう? ベッドが小さ過ぎないかしら」
「いつまで居られるか分かりませんし、新調する必要はありませんよ」
「え? 帰って来た訳じゃないの? また何処かに行っちゃうの?」
「えぇ、まだやるべき事が残ってますので。それに、その後もここに戻って来るかは分かりませんし」
「まぁ!? ここは貴方の家なのよ? どうして帰って来れないの?」
「それは――」
思わず言葉に詰まる。
この場所を、実家や故郷を懐かしいとは思う。
だが、帰るべき場所、という感覚にはならなかった。
この場所ですべき事は無い。
只、家族の無事と、故郷が平和であれば、それだけで十分だ。
それ以上など望みはすまい。
と、そういえば、家人が一人少ない。
尋ねようとする前に、母さんが部屋の前で立ち止まった。
「詳しい話を聞きたいところだけど、今すぐ出ていくって訳じゃないのよね?」
「えぇ、それは勿論です。ただ、俺の都合でどうこう出来る問題でも無くてですね。いつ出ていく事になるか、正確なところは俺自身にも分からないんです」
「? さっぱり意味が分からないけれども、まぁいいわ。さぁ、ここが貴方の部屋よ。覚えているかしら? 疲れてるなら、少し部屋で休んでなさい」
成程、随分歩くと思ったら、自室まで案内してくれたのか。
確かに、家の間取りもうろ覚えだ。
返事と共に、先程の疑問を口にする。
「左程疲れてはいませんが。それより、父さんは何処に? 今は家には居ないんですか?」
「お父さん? 今は山に出てるわね。夕方には戻ると思うわよ。何か用事でもあった?」
「いえ、用事はありません」
「そうなの? 帰って来たらちゃんと挨拶なさいね?」
「善処します」
俺の言葉に何かを感じたのか、しばし黙り込む母さん。
「もしかして、まだお父さんが苦手?」
心臓が跳ねる。
"まだ"と言う事は、当時から苦手意識は勘づかれていた訳か。
動揺を抑え、言葉を返す。
「当時はそうですね。今もどうかは、会ってみないと分かりかねます」
「お母さんとしては、親子で仲良くして欲しいけれど。無理強いも出来ないわね」
上手く言葉を返せない。
沈黙が耳に痛い。
「お父さんが帰って来るまで、部屋で休んでなさい」
有無を言わせぬ勢いのままに、自室の中へと追いやられる。
そのままドアを閉めようとする母さん。
ドアの隙間から、言葉が差し込まれた。
「――お帰りなさい」
返事を待たずに閉じられるドア。
茫然と立ち尽くす。
"お帰りなさい"
そうだ。
我が家に帰って来たのだ。
その筈だ。
耳慣れない言葉に、思わず動揺してしまった。
――そういえば、ブラックドッグを抱きかかえられたままだったか。
まぁ、敵意を向けられなければ、大事無いだろう。
改めて、十数年ぶりの自室を見回してみる。
見覚えは――ある。
こんな部屋だったような覚えはある。
とはいえ、特別記憶が刺激されるという程でもない。
こんな部屋だったかな、といった程度だ。
感慨も浮かばない。
机にベッドに収納棚。
質素というか簡素というか。
無駄な物など一切無い。
捨てられたという訳では無いだろう。
元々、物が少なかったのだ。
そもそも、こんな僻地に嗜好品や贅沢品など、出回る筈も無い。
欲しければ、村や町に買いに出向くか、自作するしかあるまい。
当時は魔物も狂暴化していた時期だ。
遠出など、命の危険すら伴う。
必然的に、不要な物は置かなくなる。
物の少ない室内に、どこか既視感を覚える。
極々最近まで見かけていたような光景。
――そう、宿屋の部屋だ。
あの部屋も、物は極めて少なかった。
理由は金欠によるものだが、原風景はこの場所だったのか。
よくよく見れば、埃など、僅かも積もっていない。
母さんの言葉通りに、掃除を欠かさず行っている証拠だ。
突然家を飛び出し、十数年間、音信不通の子供の部屋。
戻るかも分からない子供の部屋を、掃除し続けていたと言うのか。
感謝よりも先に、申し訳なさが胸に去来する。
窓際まで歩み寄り、開け放つ。
途端に入り込むのは、清涼な山の空気。
王都の空気に難があった訳ではないが、この空気を吸った後だと、途端に不味く感じられてしまいそうだ。
自然が生み出す独特の空気。
やはり山間部だから雨が良く降るのか、水気を多く含んでいる気がする。
道中、山に近づくにつれ、雨に見舞われる回数も格段に増えていた。
自宅で暮らしていた時分には、左程気にも留めなかったが、やはり王都を思い返すと、雨の頻度は段違いだったかもしれない。
山は緑で覆い尽くされている。
恐らくは材木として一部伐採してはいる筈だが、見渡す限りの緑の群れ。
山の地肌など、微塵も見受けられない。
植生が豊かなのか、樹木の成長が速いのか。
眼前の山の姿に、時を忘れて見入っていた。
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