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第二話 千住の幽霊(中)

「馬鹿らしい」


 小菊は間髪入れずにそう返した。だって他に言いようもありゃしない。


「お内義さんはぴんしゃん生きてらっしゃるじゃありませんか」


 その通りなのだ。先日も店先でお客を見送りに出てらしたのを小菊自身見かけている。


「そうなんだがな、買ったばかりの小店の奥から、夜な夜なお内義さんのすすり泣く声が聞こえると──」

「そんな出鱈目、一体どこの誰が言いだしたんです?」


 小菊にぴしゃりと聞き返されて、小吉が一瞬ひるんで首をすくめる。だが、なんとかお店を思い出し、厳しい顔を作り直す。


「千住に買った出物の店に手をいれてるんだが、中が仕上がるまでちょくちょく丁稚(でっち)多吉(たきち)を泊まりに行かせててなぁ。その多吉が怯え上がって旦那さまに知らせてきたんだ」

「そんなの、その多吉って丁稚の勘違いでしょう」


 丁稚にはまだ幼い子も多い。知らない土地で一人で留守番などさせられて、心細くて空耳でもしたのだろう。

 既に話半分、投げやり気味に小菊がそう返せば、それでも生真面目な小吉は首を横に振って否定する。 


「多吉は今年で十二、丁稚の中でも中々しっかりしているよ。元々奥向きの手伝いから入ったから、お内義さんのお顔も声もよく知ってる」


 つくづく馬鹿馬鹿しい。


「お内義さんの声ですか。そんなの知ってるって言ったって、女の泣く声などどれも変わりゃあしないでしょうに」


 小菊は幽霊話しなんぞ信じない。そんな物、子供だましと決めつけている。

 本当に幽霊なんてもんがいるってんなら、大門の内なんざ、恨み辛みを嘆く女の幽霊だらけで毎晩座る隙もない大入りだろう。

 ましてや生霊だのと言う、理屈も何も通らない話なぞ、箸の端にもかかりゃしない。


「いやいや、それが、泣き声の合間合間に恨み言のように旦那さまの名前を呼ぶんだと……『き~ち~べ~え~』っと」

「それだけですか?」


 らしくもなく、芝居がかった声音を使ってみせた小吉が、小菊の冷静な返しにうっと言葉を詰まらせる。だがなんとしても小菊の気を引かなくてはと、慌てて先を付け足した。


「いや、待て、それだけじゃあ終わらない。こっちも人手は足りないし、多吉を宥めすかして観音さまの御札持たせて送り返したんだよ。まあご利益覿面で、お内義さんの声はぴたりと止んだ」

「良かったじゃあないですか」


 軽く返した小菊に、小吉がなぜか暗い視線をよこす。


「そんで、さあ江戸に一旦戻るって日の朝だ。多吉が布団で目ぇ覚ますってぇと、目の端でなんか光るじゃないか。寝ぼけ眼を凝らしながら横向くってえと、そこにぶすりと一本、古びた簪が枕のすぐ横に刺さってたってんだ……」


 まさによくある怪談話そのものだ。

 それにしても流石客商売。小吉の話し方は中々上手い。

 変なところに感心してる小菊をよそに、小吉の話はまだ続く。


「怯えきった多吉が持ち帰ってきた簪を見て、今度は旦那さまが震え上がっちまった。どうにも見覚えがあると言いうんだよ……以前どこぞの女にやったもんに違いないんだと」


 こりゃあ旦那さまの女遊びに業を煮やしたお内義さんの、貯まりに溜まった妬み嫉みが溢れ出て、憎い女の簪片手に千住の店に化けて出るんだ……などとぶつぶつ続ける小吉の目前で、小菊の瞳が輝きを帯び、口元には薄っすらと笑みが浮かぶ。

 ふとそれに気づいた小吉は話すのを止め、ほぅと安堵の息を吐く。


 どうやらやっと小菊が興味を持ってくれたらしい。


 幽霊騒ぎはあっという間にお店の中に広がって、丁稚どころか出入りの小僧までもが噂し始めていた。

 小吉だって生霊なんて話は半信半疑だ。

 だがそんな噂がお内義さんの耳にまで入った日にゃぁ……流石のお内義さんも、またそのご実家も、今度ばかりはどう出るか、見当もつかぬし考えたくでもない。

 くわばらくわばら、と口の中で唱える小吉に、しばらく考えに耽っていた小菊が尋ねる。


「その幽霊騒ぎはお内義さんの耳にも入ってますかね?」

「いや、まさか」

「じゃあお内義さんのご様子にお変わりはなく?」

「全くもって変わりなく」


 それがまた恐ろしいのだ、と小吉は消え入るような声でこぼした。


「そういう訳でちょいと千住まで一緒に──」


 小菊に千住の店を検分して欲しいと言おうとする小吉を遮って、小菊が答える。


「ではこういたしましょう」



   ❖


 

 その日小菊は小吉に二つ、調べごとを言いつけた。

 ひとつ目、お内義さんの泣き声を聞いたという丁稚、多吉の素性を調べ直すこと。誰の紹介で雇ったのか、どこの生まれか、親はいるのか。


 丁稚というのは普通、口入屋(くちいれや)がそれぞれの店に引き合わせるものである。

 他の店の子をお互いに丁稚奉公に出して違う店の仕込みを見せることも稀にあるが、清瀬の仕事をふまえて、口入屋が連れてくるのは内情の苦しくなった商家の子や、貧窮した田舎郷士の子が多かった。要はそれなりに素性が知れて、躾のされた子だ。

 逆に雇うときに身元をはっきりさせるから、その後はどんな生い立ちだったかなど、あえて聞く者はめったにいない。

 かくいう小吉も多吉の素性など、詳しくは覚えていなかった。


 そしてふたつ目。

 誰が多吉を千住へやったのか。

 小吉に尋ねれば、旦那さまに決まっていると返ってくる。だが、それは本当に旦那さまから直接聞いたのかと問えば、別段尋ねた訳じゃない、と困惑顔で返すのだった。


「そんなことしてる暇ないんだよ、お内義さんに知れる前に急いで千住に行かないと──」

「小吉さん、焦る乞食は貰いが少ないってご存じですか」


 小吉が焦って口にした不満を一刀両断にぶった切った小菊は「これでおしまい」と言わんばかりに口を一文字につぐんだ。

 しばらく無言でにらみ合うが、負けたのは小吉だ。

 肩を落として立ち上がろうとする小吉に、小菊がすかさず右手を差し出す。

 それを見た小吉は、はぁと一つ大きなため息をこぼして、旦那さまから預かった大事な一両を不承不精小菊の手に載せた。

 受け取った小判を帯に挟みつつ、小菊は晴れ晴れとした笑顔で「またご贔屓に」と一言残し、そのままさっさと部屋を出ていってしまうのだった。



 不満半分、疑い半分。それでもお(たな)に戻り、小菊の助言を全て旦那さまに伝えた小吉は、その足で口入屋へ送り出された。

 そこから多吉の素性を調べ上げるまで小吉が駆けずり回ることになったのは言うまでもない。

 折につけ、その苦労を『はなや』にきては小菊にこぼそうとした小吉だったが、彼が口を開くよりも早く「お酌百文、お話一両、(ねや)の誘いは一千両」と、いつものお品書きを唄われては、もう口をつぐんで酒をちびちびやるより他になかった。

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