旅の理由
そうして、リーシアは1人、グリーム公国へ入国した。
リーシアが人の国で暮らしていた頃、リーシアの並外れた魔術の才能が国の上層部に知られてからは、リーシアは遠慮なく転移術で旅をするようになったため、徒歩での旅は久しぶりであった。
リーシアがグリーム公国を訪れるのは初めてで、できる限り自然に入国したかったので、隣国であるリーシアの生まれた国、ロウランド聖国側から入国した。
ロウランド聖国の上層部にはツテがあるので、そこには魔大陸から直接乗り込んだが。
リーシアの旅の目的はそんな大それたことではない。
リーシアが普段、魔大陸の城で使用、摂取しているいろいろなものが、自然に魔大陸に流れてくるようになれば便利だと思っただけだ。
今は、どのように自分の元に運ばれてきているのか分からない。ただ、人間である自分の嗜好に合うものが、全て魔大陸産だとは考えていなかった。
買ったものもあるだろうが、奪ったものもあるだろう。
リーシアはそれを聞いたからと、そうか、と流せる性格ではあるが、この先も奪わせたままでいいのか、と言われると肯定はしづらい。
自分のために血が流れるのが嫌だ、なんてキレイごとを並べるつもりはない。
ただ、誰か、他の人間のために作られたものを強奪してしか手にいれられないなんて、それは浅ましくて気分がよくない。
魔大陸と人間の国が貿易する等といえば、途方もない御伽噺だが、フロント企業ならぬフロント地域を人間の大陸に作って、話が分かる魔族と人間だけ住まわせれば何とでもなると思っていた。
そして、そこに至るまでの交渉や下準備をリーシアがしようとも思っていなかった。
リーシアは王ではないが、ファルスタッドは王なのだ。そして、ファルスタッドが敷くのは恐怖政治だ。したいことを決めれば、あとは、ただ、「やれ」と言うだけで解決する。
魔族の皆さんも、リーシアの退屈しのぎの芸を覚えるよりは、生産性がある労働だろう。
で、あるから、リーシアが行うのは本当に買い物だ。
元々の動機が、自分が欲しいものが届くようになればいい、という部分にあるのだから、リーシアが、どれが欲しいか選ぶ、ただそれだけ。
そして、中でもリーシアは1番に珈琲豆が欲しかったから、グリーム公国に来たのだった。
しかも、リーシアが直接買い付けをするつもりはないのだ。だから、生産地にいくつもりもない。グリーム公国でそれなりに栄えた街に入り、それなりの種類の豆の中から、満足のいく豆を見つければ終わりだ。
だからして、リーシアは入国して10日。首都にはまだまだ距離のある、それでも大都市ポルトという目的地に到着した。
「失礼だが、おひとりか?」
「えぇ」
街の防壁を越える大門で、リーシアは兵に呼び止められて首を傾げた。冒険者証は見せているので、普通ならば流れ作業で街程度なら入れるはずだ。実際、これまでの街ではそうだった。
国境の関所でもないし、この街は首都でもない。
加えて、リーシアは10年ほど時を進めて、大人の姿をしている。
普通ならば10年、時を進めれば20歳になるはずなのだが、生まれ持った魔力の大きさの所為で17歳ほどに見えるだろうか。
若い女性とはいえ、幼子でもない。冒険者証を見せているので、目立つ武器もないリーシアのことは魔術師だと想像が付くはずだ。
「出身はどこで?」
「……どういった意図のご質問でしょうか?」
続いた質問に、まさかナンパだろうか、とリーシアは警戒心をあらわにした。
実際は、何の警戒もしていないが、不愉快なのは確かである。
「ファメロ陛下の愛妾希望者では……?」
「は……?」
グリーム公国の王がファメロという名であることは知っている。陛下という尊称がついている以上、目の前の兵士が指すのは、王その人なのだろう。
だが、なぜ、首都から遠く離れた街でその名が出るのだ。
「知らなかったのか? 今、この街にはファメロ陛下が訪問されている」
「……」
「陛下が国内を周られる際、滞在地では現地女性と戯れられるため、一時的に近隣の街からも女性が来るのだ」
リーシアは内心でため息をついた。人間の国の情報にとんと疎くなりすぎた。
だから、ロウランド聖国で出国許可証を作らせたとき、その手引きをした人間が、リーシアに下らないものを預けたのか。
あの男は知っていて、リーシアに何も教えてくれなかったのだろう。相変わらず、意地が悪い。
女性と戯れる、というヘタをすれば悪口になりそうなことを平気で街の兵士程度が口にできるほど、ファメロ・ジャン・グリームという国王が性に奔放なのは有名だった。
そのくせ、正妃はもちろん、側妃すら、娶っていないことも。女性遊びは派手なのに、子どもも居らず、陰で不能と呼ばれていることも。
本人がどういうつもりか、はともかく、周囲の評判を言えば、今のグリーム公国は『ハズレの時代』と呼ばれている。
曰く、ファメロは女と遊んでばかりで、国のことには何の興味もない。
政治に関心もなく、男の訪問者とは、部下も使者も問わず、会いもしない。
そのため、政治の中心部である宮殿にすら、どうしてもファメロに陳情したい人間が使わせた女が出入りするようになってしまった。
曰く、幸いにもファメロには子がいないため、このままいけば、次の国王は彼の甥だろう。
まだ幼い甥が成人すれば、ファメロは喜んで王位を明け渡し、ハーレムに入り浸るに違いない。
それまでの我慢だ、と。
それで、これまでの道すがら、ポルトに行きたいと口にする度、相手が残念なものを見る目になったのか。
褐色の肌が主流のグリームで、リーシアの白い肌は、異国出身であることが分かりやすい。わざわざ、他国から愛妾になりに来たと思われたのか。
……それは、確かに残念だ。
リーシアは黙り込んだ彼女に釣られるように押し黙った兵士を見上げて苦笑した。
「すみません。訪問のことは何も知らなかったのです。そのつもりはないので、終わるまで、近くの街で留まります」
「……本当に知らないのだな。陛下は先日、この街を訪問されたばかりで、首都へ戻られるのは2か月後になるぞ」
リーシアはその言葉に内心で呻いた。
頭の中でグリームの地図をめくる。この街を迂回すれば、次の街は遠すぎた。
「では、1度、街へ入り、すぐに南の門から出ます」
「他意がないなら、この街から追い出すつもりはないよ。悪かったな」
「いえ」
ようやく、兵士に入門を許され、リーシアは重い足取りで街へ入ると、前言どおり、まっすぐに南の門へ向かった。