フラグ建築
「お気をつけて」
リーシアがファメロの晩酌に付き合うようになって4日目。
ファメロは酒を断って、そろそろ魔獣が再び群れる頃合いだから、と討伐に出かけることを告げた。
深夜、事情を聞いた以上、宿の礼に見送りくらいはしてやるか、とファメロの部屋前へ現れたリーシアに、彼は意外そうに目を丸くする。
建前上、ファメロはリーシア以外の女を求めに出かけるわけで、そんなリーシアがさすがに、誰がいるとも知れない館の出口まで見送ることはできないが、晩酌のために通っていることもあって、ファメロの部屋の前までならば立ち入ることはできる。
「見送られるのは初めてでな。俺の世話をするヤツらも、全員連れていくものだから」
言葉どおり、彼の周りには侍従や護衛たちがいるが、全員が共に出かけるような恰好をしていた。
体つきや魔力量等から察してはいたが、やはり、護衛だけでなく、彼の近侍は全員戦えるらしい。
勿論、彼の立場上、事情を知る人間は王宮ならば、それなりの数がいると伺えるが、事を荒立てないために、国民の信心を否定しないために、ファメロは十分すぎる注意を払っているのだろう。見送る人間もいないとは。
決して、女好きと侮られる彼は、一夜限りの女に自らの事情を話はしていない。
「ふ。……量は多いが、野良犬レベルの魔獣の寄せ集まりだということは、前回の討伐で分かっている。危険は少ないだろうから、来てもいいぞ」
「遠慮します。……私に魔獣討伐は難しいので」
リーシアが近づけば、群れた魔獣たちは再び散開するだろう。
何かを誤魔化すように小さく笑みこぼしたファメロの揶揄うような言葉を否定して、用は済んだとばかりに、リーシアは身を翻した。
「リーシャ」
「……はい?」
「明日は俺が館に戻るまで、外出せずに待っていろ。……送り出したからには、出迎えてもらうぞ」
背中にかかった声に僅かに振り返る。
ファメロにしてみれば、王たる自分の見送りの際に、最後まで見送ることもなく、一声かけて背を向けるような人間は、今まで見たことがないに違いないが、それを咎める色は、当然ながらこもってはいない。
続けられたファメロからの要求に、リーシアが返事をする前に、今度はファメロが満足したようにリーシアを置いてさっさと玄関ホールへと向かってしまった。
「ただいま」
「……よくお戻りで」
「そこは、おかえり、と言って欲しいところだが」
「ただの客人の私が、貸し与えられているだけの場所で言うには違和感があるでしょう」
朝食をとって、そのまま部屋で読書をしていたリーシアは、当然のように部屋を訪ねてきたファメロに苦笑した。
彼からはにおい消しの草の香りがする。リーシアが初めて泊った次の日にも纏っていた香りだ。
真実、消しているのは魔獣の血臭だが、女中などは他の女の香水でも消していると思っているのだろう。
今、ポルトの地だけではない。王宮でだって。
「今日はどこへ?」
「西の市場へ。そろそろ、おおよその珈琲は楽しめましたから、お土産でも見繕いはじめようかと」
「……そうか」
リーシアが珈琲を楽しみ終われば、それが目的だったリーシアは何の思い残しもなく、グリームを去る。
ファメロを助けてやってもいいと思っているのは嘘ではないが、それは所謂「上から目線」に他ならず、今の膠着した状況が、何らかの理由で打開されない限り、リーシアは何も言わずに魔大陸に戻るつもりであった。
「俺も行く。準備をしてくるから待っていてくれ」
「……夜通し動いていたのに、眠らないので?」
「戦場でもなければ、戦闘の興奮が抜けるまでは自然に任せて起きていることにしているんでな」
「分かりました」
頷いたリーシアを見て、ファメロは自室へ戻った。
その背中を見送って、リーシアは小さくため息をつく。
ファメロは、ただの行きずりの女以上の感情をリーシアに持ち始めた。もちろん、行きずりの女以上の感情、といったって、そこに愛情が籠るわけではない。
ただ、1人の人として、個人を尊重されるようになっただけだ。……逆を返せば、それまではそれがなかったということでもある。
元々、女への態度は紳士的だが、そこに宿る誠実さは、相手によってすっかり量が異なっていた。
そこが、ファメロが女で遊んでいる人間であることの証左だ。もっとも、彼はそれをあまり隠していないようだから、きちんと賢い女性は、彼と正しい距離を掴むことができるのかもしれない。
今の、リーシアとファメロのように。
ファメロは、リーシアに晩酌以上のことを、今はもう、求めていない。
とはいえ、そこまでだ。
何も明かさない、ただの旅の女である。見目が麗しいというだけで漫遊中の国王の目にとまったというだけのリーシアでは、それ以上の仲にはなり得ない。
きっと、このまま自分は魔大陸に戻り、ファメロはいつか、彼の予想通りに魔獣相手に命を散らすことになるのだろう。
そして、その時にはもう、リーシアは彼のことを忘れているかもしれない。
そんなことを考えながら、その一方で、リーシアはこんなことも思っていた。
ただ、きっと、こういう時に限って、「何か」とは起こるものなのかもしれない。
そう、それは、所謂「フラグ」である、と。




