Crônica #4:「壊れたぬいぐるみ」とかけて、「犠牲になったシリア市民」ととく。その心は…
一つのぬいぐるみを取り合って二人の子供が、それぞれ片腕ずつ引っ張り合い、結局真っ二つに裂けてしまう。或いは、表現を若干マイルドにするために、どちらかの腕が千切れてしまう。(何れにせよ、犠牲となったおもちゃにとっては、たまったものではないが。)創作物などでそういった絵面を見た事のある方は多いのではないだろうか。では、この馴染み深い状況を下地に、ある「例え話」をしようと思う。
便宜上、二人居る子供の内、人形の右腕を引っ張っているほうの名をW、左腕を引っ張っているほうの名をEと定義する。WもEも同い年で、二人とも男の子である。Wは好奇心旺盛で、新しい物に目が無い。新発売のおもちゃを見れば、すぐに親の元へ向かってお小遣いをせびる。幼いながら親の心理というものをよく理解しているようで、巧みに話術と泣き落としを利用して、幾度も軍資金を獲得していた。正義のヒーローに憧れていて、朝の戦隊物アニメの視聴は、朝食のベーコンハムエッグ並に欠かさない。ただ、頑固でお節介焼きな所があり、前述の正義感もあいまって、面倒臭がられることも多々ある。特に、自分が正しいと思ったことについては意固地になるきらいがあるので、「もっと協調性を磨きましょう」と、通信簿に書かれたりもする。友達思いであり、よく戦隊ごっこして一緒に遊んでいる。
対照的に、Eは友達が少なく、厳格な両親の元で育っている。お小遣いをせびろうものなら、引っ叩かれるのが関の山だった。尤も、家庭の台所事情をある程度察していた少年は、Wに比べ大分自重していたが。その所為で、一昔前の古臭いおもちゃで遊ぶ外なかった。似たような境遇の友達とは非常に仲が良いが、自分よりもお金持ちの子供達とは余りつるまない。それは後者と自分の間にある価値観の違いが軋轢を生むこともあったからで、余計な諍いを避けるためにも彼はある程度距離を置いていた。また、Eはある童話作家の大ファンであり、よく友達を家に集めてはその作者の本の朗読会を開いた。件の著者が童話の中で(教訓という形で)透けさせている思想は、Eとその友人達のひととなりにまで影響していた。特定の作品にそこまで肩入れするのには、事情があった。彼の家庭は宗教に対して極めて真剣で、敬虔な信者であるEの両親は、当然息子にも同じ信心を要求した。その宗教的教育の一環として、Eへ与える書物に制限をかけたのだ。様々な思想が篩にかけられたことと、単純な話の読み易さ・面白さから、Eはかかる童話に強い関心を示すようになった。
以上の説明からも想像出来る通り、WとEの仲は良くない。以前にも何度か喧嘩をした事があり、ガチンコのどつき合いをしたことすらあった。(当然、子供の喧嘩レベルなので大事には至らなかった。)その原因は様々で、単なる相手の悪口から相手の遊びにケチを付けたり、(子供なのに)テーブルマナーの悪さを指摘したり、(子供なのに)相手の信心にいちゃもんをつけたり、(子供らしく)相手の母親のへそ事情を馬鹿にしたり、それらの行為に一々噛み付いていたりと、まるで互いに重箱の隅をつつき合う、(子供同士なのに)嫁・姑の関係のようだった。顔を合わす必要が無ければどれほど良かったことか。不幸にも世界は狭いらしく、WとEは同じ学校に通っていた。
そして今、二人は一つのぬいぐるみを巡って熾烈な戦いを繰り広げていた。どうしてもそれで遊びたいWとEは、絶対にそれを譲るまいと一世一代の「綱引き」に全力を出していた。Wは自分がそのおもちゃで遊ぶべきだと主張した。なぜならEの遊び方は荒っぽく、しかも家が汚いので、おもちゃを汚すか、最悪、壊すかもしれないからだ。ぬいぐるみも自分に遊ばれるのが本望だろう、とも付け加える。対してEは、そんなの決め付けだ、そんな事を自分がするという証拠はあるのか、と反論する。更に、そもそもそのぬいぐるみは自分の家に有った物だ、それでどう遊ぼうと自分の自由のはずだ、と続ける。(勿論これらは意訳である。子供である彼らには、実際にこのレベルの発言をするほどの学力はまだ無い。)
互いに譲歩しなかった結果、やはりというべきか、ぬいぐるみの右腕が千切れてしまった。今度は二人が事故の責任を擦り付け合ってさあ大変。自分の言う通りにしなかったからこんな事が起きた、とWはEを弾劾し、自分は何もするつもりは無かったのにそっちが下手に手を出した所為でこうなった、とEはWを非難した。すかさずWは過去のEの罪――罪といっても、おもちゃを壊してしまったとかその程度のものだが――を取り上げ、その経歴からEの扱いは乱暴そのものであると断定し、家が貧しいEが何度もおもちゃを買わなくていいように、親切心から忠言したつもりだったと、自身の行為を正当化。その言い草が癪に障ったEは、そもそもWも自分のおもちゃを幾つも壊したことがあるだろう、まるで自分は関係無いみたいなことを言うな、ときつい口調で返す。ヒートアップした言い合いはついにお互いの親の悪口にまで発展し、やれお前の親の行く教会には悪い奴が沢山居るだの、やれお前の親の「金で全て解決する」みたいな態度が気に入らないだのと、もはや喧嘩の原因など忘れ去られて、互いの家庭事情や生き方にWもEも好き勝手言いまくった。
対照的な二人の少年は過去の柵から、相手を気遣う、譲歩するという事を忘れてしまった。自分の物は取られたくないし、相手の言いなりになるのも真っ平御免。「相手が損するか」ではなく、「自分が得するか」という考えで行動した結果、両者共に大なり小なり不利益を被ってしまった。事実、あの後Wは親に、他人の物を――どんな意図であれ――壊してしまった事を咎められたし、EはEで、Wの言う事も確かに一理あるので、そんな事を指摘されたくなかったらこれから気をつけるべきだ、と親に窘められた。そして何よりも、ぬいぐるみの一部が壊れてしまった。お互いに大事だと思っていたものなのに、その本人達が壊してしまった。どんな屁理屈を捏ねても、どんな綺麗事を並べても、それに意識と発言権があるならば、WもEも等しく「加害者」の一言で片付けられていたに違いない。
いい加減冗長になってきたので、例え話はここで終わりにしよう。このままではこの創作の題が回収されない事に疑問を抱いている読者が居ると、私は想定する。それと同時に、既に題の意味を察している読者も居ると思う。ではもう少し、先の作り話に意味を持たせてみたい。件の「W君」を「アメリカ合衆国とその友好国(英国やフランスなど)」に、「E君」を「シリアとその友好国(ロシアや中国など)」に置き換えてほしい。残る謎は「ぬいぐるみ」だ、これにはまだ意味を持たせていない。なぜわざわざ、ごまんとある作り話から、こじつけ臭い符号の置き換えを強要してまで、この状況を持ってきたのか?
それは「奪い合いの末に壊れたぬいぐるみ」も「先日の空爆に巻き込まれたシリア市民」も共に「わたの詰まった犠牲者」だからだ。
■今回のテーマは「シリア空爆」。最近メディアを賑わせている、真面目な(そして深刻な)テーマですね。あらすじでも述べたように、エッセイとは異なり「最近のニュースを題材にする」事がジャーナリスティック・クローニカの最低条件です。なので、この手の作品には所謂「賞味期限」があって、ある程度時間が経つと話題性が薄れるために、「ジャーナリスティック・クローニカ」としての価値が損なわれていきます。(作品自体の評価は決して時間経過では下がりませんが。)読者に共感を持ってもらってこそのCrônicaですからね。一年前の事件を題材にしても、記憶に古いため、思うほど共感を得られないだろうというのは想像に辛くありません。物議を醸すテーマで私見を述べているわけですから、他の作品より賛否両論になりやすいのはある意味当然とも言えるでしょう。それでも物申さずにはいられない、だから筆をとって一作品仕上げる、というのが「Cronista」(クロニスタ、Crônicaを書く人)の性でしょうか。
■最後に、ここまで読んで下さりありがとうございました。ご意見・ご感想など、常に歓迎しております。