第5話 「脱げビーム」
部屋の中が明るくなったと思ったら一瞬で暗くなり、また明るくなる。
それはリズムもなく、ただ無秩序に繰り返される。
液晶窓ガラスは瞬きする間もなく、透明な状態から光を通さぬ不透明な状態へと変わり、頭上にあるライトも明滅する。
その、目に優しくない光景を見ながら俺は呟く。
「点けたり消したりは問題ないか。
……問題があるとすれば、いまだにクラウドとやらに繋げないことだよなぁ」
今現在、俺は自分の能力確認のために部屋のギミックを操作し、訓練をしていたのだった。
だが、部屋の中にあるものといえば、天井の柔らかな光を放つライトと、窓の液晶ガラスぐらいしかない。
もう一つ、ドアを動かすことも考えたが、「プシュー」やら「ミュイーン」などと奇妙な音がするそれを、何度も動かすのは躊躇われた。
しかしながら、これらに触手を飛ばし、操作する感覚はつかめてきたが、今だに謎のネットワーク『クラウド』にアクセスは出来なかった。
話を聞く限り、他者との通信や情報のダウンロードなどが出来るであろうそれは、現在の知的欲求を満たす最高の教材だと思われた。
だけども、繋ぐことができない。
そのことは、俺にとって今現在、最大のストレスになっていた。
今はただ、想像することしか出来ない。
今は、まだ。
「悩んでいても仕方ない、とりあえず居間にでも行ってみよう」
座り込んでいたベッドから立ち上がると、ドアをくぐり部屋から出た。
居間にはユーカとトールがいた。
二人はソファーに仲良く座り、何やら話している。
傍からみたらイチャついてるようにしか見えないが、あえてスルーしておいた。
こういう状態の男女に関わるスキルは、果てしなく低いからだ。
「おはよう父さん、母さん」
「お、来たなナオキ。 こっちも……っと、いま申請が終わったところだよ」
「申請ってなんの?」
「学校に決まってるじゃないか。
やっぱり、気の合う友達とかを見つけるなら、学校に行っておいた方と思うぞ」
「えーー……」
いきなりのトールの発言に困惑する。
新しい家に来てまだ1日も経っていない気がする。
確かに寝て起きたら、体は自分で歩き回れるようには成長はしている。 信じられないが。
しかし、昨日の今日で展開が早すぎないか? と思う。
俺はまだこの世界のことを何も知らない。 さらに言えば、常識だって分らない。
そんな自分がいきなり学校という大人数のところに放りだされると思うと、久しく感じ ていなかった恐怖が、せり上がってくる。
思わず視線は、ユーカとトールの顔を行ったり来たりする。
「かくいう俺も、ハハハ……母さんと出会ったのは、学校だったしな」
「そうね、あの時のトールったら、わたしの前に来るとヤケに慌てて面白かったわよ~」
「むっ! そんなことはないぞ……たぶん」
「ふふふ、そういうことにして置いてあげるわ。
まあ、そういうわけでナオキ、学校行ってみない?」
砂糖を吐きかけたくなるほどの夫婦の会話から突然、こっちに話を振られる。
考え込むナオキ。 口から思わず「うーん」と漏れる。
ほかの子がどれほど学力があるかは今は無視する。
『クラウド』にアクセス出来ないのが、どれほどの事かはわからない。
だけど、俺には30年間の知識の下積みがあるんだから、そうそう遅れは取らないだろう。
それに、生まれてくるときに、新しい人生は前向きにみたいな、そんな決意をしたはずだ。
なら答えは決まっている。
「行くよ、学校に」
「そうかそうか! それじゃいろいろ準備とかしなくちゃな」
「そうね、学校に行くのは社会に入るための第一歩だもの」
喜ぶ親達を見ながら「それで……」に言葉を続ける、
「いつから行けばいいの?」
それに対する返答は「今すぐにでも」とのことだった。
さて、そうと決まれば善は急げだ。
用意するのはカバンに、教材、筆箱、リコーダー等々。 あとついでにハンカチか。
これから行く学校によっては、制服なんかもいるだろう。
そして、ハタと気づく。
自分は、それらを一つも持っていないということに。
昨日今日決まったというか、いましがた決まった事なので、準備なんかしているはずもなく……。
このままじゃもしかしなくても、トールのお下がりを、使うことになるのだろうか? などと考えてしまう。
リコーダーのお下がりは、さすがに嫌だ。
「それで、ナオキ。 通信にするか? それとも、登校にするか?」
通信!?
「そ、そうか。考えてみれば、通信教育という可能性もあったんだ。そうすれば、服装の問題も……」
「「服装?」」
二人が「?」という顔をして見て来るので、
「あ、いや。 登校の方がいいかなーと思ってたけど、服装をどうしようかと思ってたんだ」
と、答える。
「えっ? あ~、なるほどね。 そういえば、ナオキは知らなかったんだね」
「そういう事なら、自分の部屋のポッドを使えばいいぞ」
「ポッド、って何? そんなのあったっけ?」
「あー、すまん。忘れてた。
大丈夫だ、ナオキ。 いま、使えるようにしたから、気にするな」
何が何だかわからないが、自分の部屋に何かが起こった事は確からしい。
「良く判らないけど、とりあえずそのポッドってのを見て来るよ」
そう言い残し、部屋に戻っていくのだった。
「使い方はだな……」
という、トール達の説明を聞かないまま。
慣れたイメージで、目の前の鈍く光を反射する扉を見る。
すぐに、あらかじめ決められた予定調和の様に、空気が抜ける音と共に扉はスライドする。
中に入り、部屋を見回す。
入口からは死角になる位置に、それはあった。
いつからそこにあったのか、外に出るときには無かった、表面が透明なガラスの様な素材で出来た、半円形の筒が直立していた。
有り体に言えばSF作品ではおなじみの、生命維持や冬眠に使うようなカプセル。
「ははは、まさかこんなもんが部屋にあるなんて。 まったく、どんな世界だよ。
って、ここは未来の世界だった」
じゃ、なんでもありか~と、呟きつつ、俺はそのポッドに近づく。
恐る恐るガラスの部分に触ってみる。
ピトっと指が触れた瞬間、思わず腕を引き戻したが、なにも感じないので再び触る。
「なんか、想像してたのと違うな。 てっきり冷たいのかと思ってた」
スリスリとガラス表面を撫でる。
「そして、やっぱり操作用のパネルは無しか。
まいったな、使い方がわからない」
腕を組み考える。
今更戻って、使い方がわかりません、というのは、プライドに触る気がする。
とりあえず、まずはこのガラスの蓋を開けないと話は進まない。
ということで、こっちに来て習った方法で開けてみる。
念力一発。 おなじみの空気が抜けるような音と共に、開く透明な蓋。
中を見回すが、特に危険なものはなさそうだ。
意を決し、ポッドの中に入り込む。 その際、いきなり閉じ込められないように、手で押さえておくのは忘れない。
「さぁー、入った。 入ったぞ!
これからどうなるんだ? いきなり閉じ込められて、冷凍とか、水責めとか、くすぐり責めとか、そういうビックリするのは、無しでお願いするよ!」
一人ぶつぶつ呟きつつ、周囲を見回す。
何が起こってもいいように、身構えているが何も起こらない。
ただ、手でガラスの蓋をしっかり押さえておくのは、忘れて無いようだ。
その時、視線を慌ただしく向けているさなか、視界の隅っこで点滅し、自己主張を見せる何かを見つけた。
「あれは……なんだろう、何かのボタンみたいなものか?」
指を向けて押そうとするが押せない。
むしろ、視線を向ければ、奥ゆかしいのか、さっきと同じ隅っこの方に行ってしまう。
その光る『何か』と格闘する事暫し。 その時、脳裏に閃くものがあった。
「あれって、ひょっとしなくても、俺の視界とリンクしてるんじゃないのか?
それじゃ、物理的に触ってもダメって事か。
うーむ、それなら意識的にって事で」
意識の触手を伸ばし、それに触れた瞬間、目の前に生前使ってた窓OSの如く、ウィンドウが開く。
そこにはデカデカと、「使用するには、カバーを閉じてください」と書かれていた。
「あ、ああ。 わかった」
と、思わず言葉が出て手をどけるが、自動的には閉まらない。
考えること少し、いつものように、『閉まる』コマンドを飛ばすと、ややあってカバーは閉まった。
「さぁて、ウィンドウは開いたままだ。 次はどんなのが出るのかな?
これが何かとか、使い方の説明が出ると嬉しいんだが……」
睨み付けている、目の前に展開されているウィンドウには、
「バイオフレーム環境調整ポッドは、現在待機中です」
としか、書かれていない。
何か変化があるのかと思い、見つめる、見つめる、見つめる……。
…
……
…………?
だが、変化はなかった。
どうしたものかと思い、腕を組み唸るが、それ以上何も反応がない。
その時、視界の隅っこ、さっきウィンドウを開いた時に見つけた場所に、再び光が点滅しているのを見つけた。
それに向けて、またも意識の触手を~って、毎回するのは面倒くさいので、クリックする。
またしてもウィンドウが開く。 そこには、『メタル・ハート』という人からのメッセージが届いていた。
「メタル・ハート、鋼鉄の心臓? すごいネーミングセンスしてるな。
えっと、何々……『オペレーティングシステムの最適化が可能。 実行する?』 だって?
いきなりこんな事言われてもさ~」
突然知らない人からの、謎の提案に、即断は出来ない。
俺は以前、こんな言葉に騙されて、何度もコンピューターウィルスをつかまされている。 様々な経験を経て、俺のガードは思ったよりも固い。
しかし、このままでは、何もできないのも事実。
信頼情報とかは見れないみたいだ。 というか、この世界で何に心配するというのだろうか。 と、一人ごちる。
そもそも、コンピューターなんて、持っていないじゃないかと、自分を納得させ、『実行』を選択した。
その時、ふと思い出した。
ここは未来の世界で、自分の体の中にはコンピューターが入っていて、訳のわからないクラウドとかいうネットワークに繋がっている事に。
「しまっ……!」 た! と思ったときには、もう遅かった。
すでにプログラムは実行され、最適化とやらが行われていたのだ。
視界が一瞬でザラつき、ノイズが走る。
「やっぱり、ウィルスじゃないか」
と、思ったのもつかの間、視界は正常に戻る。
何が何だか判らない。
今何が起こったのか、そして、自分がどう変わったのかを。
ただ、違いがあるなら、何かに不用意に近づいた、という曖昧な感覚だけ。
恐る恐る、視線を巡らせてみる。 ポッドの内側からは、ガラス越しに照明や、液晶窓ガラスが見える。 それらに視線を合わせると、なるほど『最適化』というのが良く判った。
稼働可能なモノ《稼働オブジェクト》には、説明文と一緒に「作動」と「停止」を行うスイッチが見えるのだ。
「な、なるほど。 だから最適化か。 今の俺にも、使いやすいようになってる。
しかし、メタル・ハートってだれだ」
それに対する返事は無い。
仕方ないので、作業を続ける事にした。
この『バイオフレーム環境調整ポッド』とやらを使わなければならないのだ。
ウィンドウには、待機中としか書かれていない。
それに意識を向けると、思った通り説明文が表示された。
「本機は、バイオフレームの服飾及び装飾、清掃、リラクゼーション等を目的とした、総合環境変更システムです。現在、本機はユーザー『ナオキ』用に設定されています」
やっと、こいつが何かは大体判った。
この装置で、服を着替えたり出来そうだと、当たりをつける。
それじゃ早速と、システムを起動して服装を選択しようとするが、システムから待てが掛かる。
「現在の服装は、耐久度が下がっているため破棄を提案します。 また、バイオフレームの清掃も合わせて行うことを提案します」
「さっきから言われている、バイオフレームってもしかして、もしかして俺の事か?
……まあ、いいか。 それに確かに、この服は俺が赤ちゃんの時から着ていた服だ。
えらい伸び縮みするので、凄いとは思っていたんだよな。
じゃ、とりあえず服装の破棄と、清掃ってのをやってみるか」
チェックマークを付けて、実行をクリックする。
「って、ちょっと待て! この中にいるって事は、俺も一緒に清掃されるって事じゃないか?
タンマ、タンマ! って、うおっまぶしっ!」
が、システムは止まらない。 正しい手順を踏まないと、緊急ストップすらかからないのだ。
光線が走査するように、全身をくまなく走る。 と思えば、風が頭上から吹きつけられる。
あっという間の出来事だった。 気が付けば着ていた服は消し飛ばされ、一糸纏わぬスッポンポンになっていた。
「男が脱げビーム食らって、誰が得するんだよ」
それに対する返答は、誰からもなかった。