第2話 「新しい世界は未来?」
やわらかな風を感じた。
久しく感じていなかった流れ。
それは、優しく身体を撫でるように通り過ぎ、さわやかな目覚めを促した。
あたかも、昼寝をして頭がスッキリした状態で起きれた時のような、お風呂に浸かって暖かな温もりの中気がついた時のような、元旦に新しいパンツを履いた時のような、そんなスッキリとした感覚。
いつの間にか開いていた目を周りに向けると、さっきまでの見慣れていた黄色い景色ではなく、生前とおなじように見えていることに気がついた。
気が付くと、背中を優しく撫でられている。
まるで子供をあやすかのようにしているそれは、気分が落ち着き心が穏やかになっていくようだ。
あやされている俺からすると、30歳にもなったオッサンが何を言ってるんだ、となるわけだが。
どうやら俺はこの新しい母親に抱えられてるようだ。
彼女はゆっくりと歩き、おもむろに見慣れた部屋でなく、四角く切り取られた外の世界、ぶっちゃけ窓の外を見せるように立ち位置を変えてくれた。
眩しさに目を閉じる。
ゆっくりと目を開けた時の光景を、俺は死ぬまで忘れることはないだろう。
最初予想していたファンタジーな光景はそこにはなく、窓から見えるのはあたかも生前見慣れていた光景のように、太陽光がさんさんと降り注ぐ下には、ガラスのはめられたビルが立ち並び、陽光を反射している。
鳥の群れが連なって飛び回ったりしている光景は、一瞬、元の地球の光景か。 と、落胆したが、よく見るとビルの周りにはチューブのようなものが張り巡らされ、縮尺を間違えたかのようなビルが立ち並び各ビルを連結している。
更に、鳥の群れかと思ったものは、よく見たら色とりどりの人工物……それも、自動車に見えるようなものだった。
そのはるか上を、さらに巨大なものが飛んでいる。 船のように見えるそれは、いままさに青い空のもっと上、宇宙に向かって進みだした。
この光景を言葉で表すとこうなるだろう。
「……え、未来?」
そう口に出してハッとする!
俺は今まさに生まれたばっかりの子供だ。
そんな子供が、いきなり言葉を、しかも意味の有りそうな言葉を喋るなんて普通思っても見ないだろう。
この新しい母親は、俺を投げ捨てるだろうか? 気持ち悪いと。
罵声を浴びせるだろうか? 化け物と。
これから先の事を考えると、一瞬で目の前が真っ暗になった。
未来の世界なんだから、孤児院ぐらいは……あるよな?
「えみらい? 違うわよ、ここはねエイミラーの街よ~。 貴方はここで生まれたのよ」
暗めの新しい人生設計を憂鬱になりながら脳内で紡いでいると、そう声を掛けられた。 新しい母からだ。
思わず動きにくい首を何とかめぐらして、新しい母さんの顔を見る。
って、この位置からだと顎先しか見えないのか。
新しい母も俺の顔を見ようとしてくれたおかげで初めてガラスのようなもの越しでなく、至近距離で目と目があったのだった。
そこには、俺が思わず想像していた恐怖や嫌悪などといったものは無く、生まれてきた我が子を愛おしそうに見る目だけがあった。
「それで、貴方の名前は何ていうのかしら? もう決めた?」
「えあっ? お、俺……いや、私の名前は直輝だが、いや……です」
思わず問いかけられた言葉に咄嗟に反応して、前世…というのだろうかの名前を言ってしまった。
生まれたばかりの子供に問いかけるには、変な質問だろう!? と思いつつ答えたので、文法などがおかしくなっている。
普通このシーンでは、貴方の名前は○○よー! って親が決めるんじゃないのか?
さっきから、俺の頭の中は混乱している。
「そう! 貴方の名前はナオキなのね! ちゃあんと答えれるなんて偉いよ、ナオキ!
お母さんの名前はユーカよ! よろしくね!」
が、それを聞いた新しい母は心底嬉しそうな顔でそんなことを言うのだった。
思わず新しい母、いや、ユーカ…さんの顔をマジマジと見る。
赤が少し入った茶色の髪に、これまた茶色の瞳の、綺麗というより可愛らしい顔つきだ。
こんな奇妙奇天烈な会話を、生まれたばっかりの子供と真面目にするような顔には見えない。
どういうことだ? と、思考の海に沈みかけているとパチパチパチと軽い拍手の音が聞こえる。
そっちを向くと、金髪で赤目の綺麗な女性が、子供を抱いて微笑んでた。
「おめでとうございます、ユーカさん、ナオキちゃん! やっぱり、初会話って感動しますね!
うちの子も早く目を覚まさないかしら?」
と、金髪赤目の女性が子供をあやしていると、腕の中の子供が身じろぎをした。
ややあって、目が覚めた子供は、「ふぁ~~~」っとアクビを一発。 完全に目が覚めたようで周りを見渡している。
彼女の腕の中にいる子供も遺伝したのか赤目だ。 頭部には薄く金色の髪が生えつつある。
「おはよう! わたしの可愛い貴方。 ご機嫌はいかが?
わたしの名前は、ケイナ。 ケイナママよ。 貴方の名前を教えてくれるかしら?」
そう尋ねられて、その子は「むぅ~」と眉を狭めて何やら考えてるみたいだ。
普通、生まれたばかりの子供は喋れない。 ましてや、自分で自分に名前なんて付けれない。
それが普通で、常識。
俺は文字通り生まれて初めての、まともな反応にほっとしていた。
「え~っと、わたし…? わたしの名前? んんっと、えーっと、カナカ! カナカだよ!! 初めまして、ママ!」
が、俺の常識を蹴飛ばす発言が聞こえた。
……俺の頭がイカれてなければ、この世界じゃ生まれたばっかりの子供に自分で自分に名前を決めさせるようだ。
どんな世界なんだ? ここは。 そんなことがありえるのか?
ケイナさんもユーカ母さんも、「えらいわねー」と言いつつ褒めてる。
……あはは、あははははははは。
そうか、そういうことか。
ココではそういうのが普通なわけか! 納得納得!
もうどうにでもなりやがれ!!!!!
「あー、はじめまして、カナカちゃん。 わたしの名前はナオキです。 よろしくお願いします。
ユーカ母さんに、ケイナさん? もよろしくお願いします」
前世ではコミュニュケーション不足に悩まされて、まともな会話も苦手だったが、さすがにこれぐらいは言える!
全然褒められたことではないけが。
ケイナさんが腕の中のカナカちゃんの顔を俺に、向けるように動いて喋るように促している。
「え? え? あ~、うん。 初めまして! で、いいのかな? えっと~、私の名前はカナカだよ! よろしくねナオキ君!」
言葉による意思の疎通が出来た俺たちは、暖かな空気の中、雑談に華を咲かせ……ることは無かった。
なぜ、こんな状況が存在するのか? などの、疑問は遥か遠く、今一番の問題は話題がないに尽きるのだった。
趣味を聞いてみるか? いや、生まれたばっかりの子供が趣味を持つわけがない。
好きな食べ物は? だから、モノを食ったことがないんだって。
どの政党を支持している? そもそも、子供はおろか大人にだって軽々しく聞く話題じゃない。
頭の中で色々と考える事が回ってて、上手くまとまらない。
困った。 困ったぞ。
いくら悩んでも、話題やネタなんかそう簡単に浮かばない。
こうなったら生前考えてたネタ話あたりから一つ見繕って語りだすか、と考えていると、部屋に電話の電子音のようなものが鳴った。
ややあって、ブゥンっと低周波っぽいお決まりの音が鳴ったと思ったら、俺たちの前にはSFでよく見られる、空間投影ウィンドウのようなものが出たのだった。
「お誕生おめでとう御座います。 早速ですが、当センターよりお知らせがございます。
ご精算とトランスポーターの準備が完了いたしました。
お荷物等お忘れのないよう、お気をつけてお帰りください」
モニターには無表情と笑顔のちょうど中間ぐらいの顔の、綺麗な女の人が写っていて、そんなことを言っている。
その女の人はもう一度同じことを繰り返した後、画面と一緒に消えたのだった。
要するに、無駄話しねーでとっとと帰れってことですね。
母さん達は荷物はそれほど持ち込んでいなかったようで、手早く手荷物を持つと部屋を出た。
半透明の床が上下する、そのものずばりエレベーターっぽいものを何度か乗り継ぎ地上階に出ると、目の前には自動車っぽいのもが滑りこんでくるのだった。
「それじゃ、ユーカさん、ナオキくん、また合いましょうね。
ほら、カナカも挨拶してね」
「またねー、ナオキく~ん。ユーカさんも~」
俺たちは別れの挨拶を済ますと、二手に分かれてタクシーのようなトランスポーターに向かう。
ユーカ母さんは、そのトランスポーターに触れ「自宅まで」と告げ、ドアが開いたのを確認すると、俺を抱え直し乗り込んだのだった。
トランスポーターの中は、生前に乗ったタクシーのようにシートがあるわけでなく、柔らかそうなマットが敷いてあるだけだった。
どうやって座るんだろう? まさか、直座りか? と、悩んでいると、ユーカ母さんは何でもない風にマットに腰掛けようと……。
すると、いきなりマットが盛り上がり、すぐさま座席となるのだった。
すげー、これが未来の技術ってやつなのか。
もしかしなくても、このシートは座る人の体形にあわせて調整されて盛り上がるのだろう。
ややあって、シートにユーカさんが腰掛けるとドアが閉まる。
トランスポーターと呼ばれた車は、軽い振動音を響かせすぅーっと滑るように発進し、 空を飛ぶのだった。
空を飛んでいるという状況にぎょっとしたが、考えてみればここは未来の世界らしい。
ならば空を飛ぶのも当たり前か、なんて簡単に納得…できるはずもない。
キョロキョロとまわりを見回している俺は、ユーカさんからも奇妙に見えたのだろう、「どうしたの?」と声をかけられた。
いや、だって、推進機関がどのようになっているかはわからないが、さほど音も立てずに空を滑るように飛行しているこのトランスポーターという乗り物。
生前の世界、というか過去では揚力やジェット推進などを使わなくては空を飛ぶこともままならない。
しかも、背中を押しつけるような感覚すら、あまり感じられないのは、どう考えても不思議としか言いようのないことだった。
一人のオタク、いやテクノロジーオタクの俺としては、どのようにして飛行しているのがとても不思議だった。
わからないことは、とりあえず聞いてみるのが早い。
ということで、ユーカさんに尋ねてみると、彼女は悩むような思案するようなそんな変な表情を見せる。
おや? と思いつつ様子を見てみると、ユーカさんはぶつぶつと独り言を言い始めるのだった。
「やっぱりこれが、あの産院で言われたシンクロ率が低い事の弊害なのかしら?
でも、いままで見た状況じゃ、おかしいところはなかったわよね?
うーん、どういうことなんだろう? クラウドにアクセス出来ないなら、そもそもあの反応はおかしい訳だし、うーん」
シンクロ率? クラウド? 何のことだろうか。
やがてユーカさんは一人納得すると、「検索すればわかるわよ」と教えてくれた。
これから向かう先、新しい家にはパソコンみたいな端末があるのだろう、
あとで検索して調べてみよう。
ちなみにこのタクシーのようなトランスポーター、言うまでもなく無人である。
車体の横にある扉がガルウィングのように上にスライドし乗ることができるのだが、四方にはピラーがあり、その間にはガラスがはめ込まれている。
中に入ったところではちょうど床一面がマットになっており、そこに座ろうとするとシートになる。
大きくなったら是非このトランスポーターを一つ買って、この空を飛びまわろう。
新しくできた将来の目標に、思わず笑みを浮かべるのだった。
やがてトランスポーターは高度を下げ、速度も落としゆっくりと進みだした。
おそらく、目的地が近いのだろう。
ややあって、ゆっくりと地面に着地し、ガルウィングっぽいドアは上にスライドして、俺たちに降りるように暗に伝えてくる。
ユーカさんは俺を抱えなおすと、トランスポーターから降りた。
お金はあらかじめ払っておいたのだろうか、催促されることもなくドアはひとりでにしまり、少し遠ざかった後、いずこかに飛び去ったのだった。
目の前に広がる新しい我が家は、ちょっと広めの庭付きの一戸建てだった。
庭には芝生が生い茂っており、その上を全自動芝刈り機がゆっくりながらも力強く芝生を手入れしている。
道路から続く道の奥には鈍い金属っぽい色を放つ家が建っている。
ユーカさんは迷いもなく俺を抱えたままその家に向かう。
玄関、だろうか。 その扉は近づくと空気が抜けるような音を出して開き、俺たちを向かい入れたのだった。