インビジブル・フラッグ
「ダンシングラディッシュの群生地……ですか?」
昨日は結局筋肉痛に負けて1日中宿で過ごし、明けた翌日の朝。少しだけ時間をずらして一番混雑する時間は避けてギルドを訪れた僕は、さっそく昨日聞き忘れたことを聞いてみた。が、返ってきたのは「そんな情報は無い」という無情な解答だった。
「申し訳ありません。元々道ばたに生えているのを、気が向いたときだけ採取、という方ばっかりなので……
あの、ということは、こちらの依頼を受けて貰うのも難しいでしょうか?」
そう言って提示されたのは、ダンシングラディッシュの大量搬入、可能であれば定期的な入荷の依頼だった。昨日僕が卸した大根もやっぱり馬鹿美味だったらしく、今までちょっと珍しい珍味くらいの扱いだったダンシングラディッシュの常識を覆したらしい。
しかし、大量入手も安定供給も、野生の物を適当に引っこ抜くという手法では難しい。何十、あるいは何百という群生地を巡り歩いてひたすら大根を抜くのは、どう考えても現実的じゃない。
「……植えるか?」
そう、植えるしかない。大量はともかく、安定した搬入をするなら、自分で畑を作って植えて育てて収穫するのが、一番確実だ。でも、僕は普通高校の学生だったので、当然農業の知識なんて無い。一縷の望みとしては、あの大根を育てているような奇特な先達が、あるいはいれば……
「ダンシングラディッシュを植えるんですか? 聞いたこともない話ですけど……できるなら、是非お願いします」
うん。いないよねそんな人。引き抜いたら爆発する野菜とか、育てるのにかかる労力とコストがあまりに釣り合わない。僕だって『威圧感』が無かったら、そもそも野生のを引っこ抜くことすらとっくに諦めていただろうし。
いや、しかし諦めるのはまだ早い。ここは剣と魔法のファンタジー世界だ。何かこう、僕の常識を覆すような手段がある可能性もある。例えば魔法とか……魔法?
「ちょっと聞きたいんだが、この辺で魔法を習得できそうな場所はあるか? もしくは、ここで習得したりできるのだろうか?」
「魔法ですか? それなら、通りの先の奥まったところに、魔術師ギルドがありますけど……」
魔術師ギルド! そうだよ、何で僕はファンタジー世界に来て、ひたすら大根引っこ抜いてるんだよ! まずは魔法だろ!
僕はミャルレントさんに礼を言って、依頼はひとまず保留という形にしてもらってから、教えられた魔術師ギルドの場所へと向かった。目的地にあったのは、杖と水晶玉の描かれている看板に、いい感じに蔦のかかっている建物という、これまたテンプレな建物。うん、これは間違いなく魔術師ギルドだ。次点で錬金術ギルドの可能性もちょっとあるけど、そっちはそもそも存在しているのかすら聞いたことがないので、気にしても仕方が無い。僕はそのままギルドの中に足を踏み入れ、受付にいた何だか不健康そうなお嬢さんに問い合わせ、いかにも魔法使いっぽいとんがり帽子のおじいさんを紹介されて……
教えるのを断られた。何だよくそぅ。「教えを請うならせめて威圧を解け。そんなものを間近で浴び続けたら死んでしまう」とか……気持ちがわかるから反論もできない。そりゃそうだよ。側に寄ったら呼吸も苦しくなる程の威圧を受けながら魔法を教えるとか、わけがわからないよ。あのおじいさんも、雰囲気を出しているだけで、実際にはちょっと腕のいい魔法使いくらいの能力だって自分で言ってたし。
人知れず山奥で隠居している賢者とか、勇気のしるしを胸に下げた大魔道師とかなら僕の威圧程度は無視して教えてくれるんだろうけど、そもそもそんな人と知り合えるなら、畑で大根を育てようとか思わないよ。
……とにかく、魔法を覚えるのは駄目だったし、魔法の力で植物の成長を促進させたり、土壌を改良できたりするのかもわからなかった。となると、ダンシングラディッシュを育てるのは事実上不可能……ん? そもそも僕がダンシングラディッシュを育てたかったのは、あれの味が凄く良かったからだ。そしてそれは、僕が『威圧感』を使って威圧して収穫したから。ということは、別にあの大根じゃなくても、普通の畑の作物を威圧しても、味が良くなったりするんだろうか?
ピコーンと、頭の上に電球が光った気がした。これは是非とも、農家の人に協力を要請せねば! さっそく冒険者ギルドに戻り、ミャルレントさんに相談を……
「トール様。妙齢の女性からお手紙を預かっております」
アッハイ。何だろう、ミャルレントさんの瞳孔が、ほんの少しだけ収縮してる気がする。というか、そもそも口調が明らかに他人行儀になってる。態度としては思い当たることはあるけど、流石に会って数日、大根を贈っただけの相手が自分に嫉妬してくれるとは思えないし……まあいいや。こういう時は何もしないのが一番だって死んだじいちゃんが言ってた気がするし。まずは手紙を……
「……ほぅ」
「あの、トール様。ギルドは確かに冒険者と市民を繋ぐ場所ではありますけど、それはあくまで仕事としてですので、恋文のようなものは当人同士で……」
「いや、これは先日私がダンシングラディッシュを渡した人からの、仕事の依頼だ。実に良いタイミングだった。感謝する」
「えっ!? 依頼!? あ、その、申し訳……」
謝るミャルレントさんに手を上げて答え、僕はギルドを後にする。手紙の内容は、僕の大根の味に感動し、もし良ければ自分の畑の野菜の味の向上にも協力して貰えないか、というものだった。まさに渡りに船。神様が覗いていてフラグをいじっているんじゃないかと思える程の絶好の機会。僕はさっそく指定された場所へと向かって歩いて行った。
……もし本当に覗いてるなら、ミャルレントさんとのフラグも宜しくお願いします。ヒゲ繋がりのよしみで。
*関係者の心境:ミャルレントの場合
「カッコワルイわー。会ったばっかりの男に入れあげて、仕事の依頼をしてきた相手に嫉妬するとか、カッコワルイわー」
横から聞こえてくる同僚の呟きに、アタシは必死に猫パンチをこらえる。でも、確かにアタシはカッコワルイ。せっかくお裾分けしてもらったダンシングラディッシュで、尻尾の毛並みもツヤツヤになった気がするのに、気持ちと一緒に尻尾もおヒゲもションボリしちゃう。
言ったことは間違いじゃないけど、態度は明らかに駄目だった。どんな嫌な相手でも愛想笑いを絶やさないのが受付嬢の必須技能なのに、あの時は気持ちもおヒゲもピンと立っていた。
トールさん、怒っちゃったかな? 怖い感じに戻っちゃったわけじゃないし、口調もいつも通りだったけど、気にしなかったのかな? それとも、アタシの事なんて、気にしてないのかな……?
「辛気くさいわー。一人で勝手に怒って勝手にへこんでる同僚とか、この上なく辛気くさいわー。辛気くさいから、これあげる」
そう言って、リタが私にダンシングラディッシュを1本くれた。昨日トールさんが大量に持ってきてくれたのを、リタが後先考えずに全部買い取って、家に持ち帰りきれなくてギルドに転がしていた奴の1本だ。
「ありがと」と小さく言って、アタシはそれを受け取る。同僚の気遣いが嬉しくて、しょんぼりしていた尻尾に力が入る。
でも、大量に買い込みすぎて1ヶ月先まで家の食事は全部ダンシングラディッシュだとぼやいていたリタは、本当に馬鹿だと思う。それは譲れない。
「ま、言っちゃったことはどうしようもないんだから、それ食べて毛並みに磨きをかけなさい。野菜の神を手放しちゃ駄目よ? 主に私のために。私の美容と美食のために」
リタの発言は、照れ隠しなのか本気なのかが今ひとつわからない。多分9割くらい本気だと思うけど、ほんのちょっとでもアタシを思う気持ちが混じってるなら、そんなのはどうでもいい。
今日は家に帰ったら、これで美味しいサラダを作ろう。遠くの国の王様が作ったって言われてる、キャッツォブシをたっぷりかけたら、きっとほっぺがトロトロトロンになっちゃうくらい美味しいはずだ。出来たらリタにも持ってきてあげよう。ダンシングラディッシュづくしの食生活のリタに、ほんのちょっとの嫌がらせと、たっぷりの感謝を込めて。