真の勇者
「お久しぶりです、師匠」
「う、うん。久しぶりリリン……いや、そうじゃなくて。何でリリンがここに? というかどうしてそんなことを!?」
突然コーイチさんの背後に現れて、その胴体に剣を突き刺したリリン。今までの彼のイメージとあまりにも違いすぎる行動に、混乱する僕の頭がまるで現実に追いつかない。
「……ボク、勇者になったんです」
「あー、えっと……確かにその人は勇者って呼ばれてたけど、勇者を倒したからって勇者になれるわけじゃないよ?」
「ち、違いますよ! そう言うんじゃなくて……順番に最初から話しますね」
「わかった。じゃあ立ち話も何だし、こっちにおぉぉ!?」
何となく集中が途切れてしまったために、僕はその場でつんのめって転ぶ。ギリギリ顔は打たなかったけれど、どうやらまだまだ身体制御が甘いようだ。
「大丈夫ですか師匠? ボクがそっちに行きますね」
「あ、うん。ごめんね気を遣わせちゃって」
どうしようもないのでその場に体育座りしてみた僕の方まで歩いてくると、リリンがすぐ隣に同じように体育座りになる。そうして空を見上げると、ぽつりぽつりとリリンが語り始めた。
「少し前の事なんですけど……ボクのお父さんが、ある日突然亡くなったんです」
「えっ、そうなの!?」
確かにここしばらく顔を見ないと思っていたけれど、まさかそんなことになっているとは夢にも思わなかった。リリンのお父さんならそんなに歳でもないだろうし、病気か何かだろうか?
「それはその……ご愁傷様です」
「ありがとうございます。で、教会内も大混乱になっちゃいまして、みんなボクのことを構う余裕も無くなって一人自室で途方に暮れてたんですけど……そんなときに、神様からお告げがあったんです」
「神様? えっと、何て神様って聞いてもいい?」
「え? ええ。ご本人はヒュアス様だと名乗っておられました。まあウチの教会はヒュアス様を祭っているんで当然と言えば当然ですけど」
「そ、そっか。ごめん。続けて」
そうか、ヒュアス……ローアスさんか。ならとりあえず変な神様に騙されたとかではないんだろう。
「夢の中……だと思うんですけど、真っ白な空間の中で対峙したヒュアス様が、こう仰ったんです。『今この世界に危機が迫っている。本来ならば正規の勇者候補を目覚めさせるところだが、幸か不幸か危機はお前のすぐ身近に在る。もしもお前が望むなら、その身に勇者の力を与えて問題を解決させてやろう』って。
正直ちょっと悩んだんですけど、その提案を受け入れて、ボクは勇者になったんです」
「へぇー。ん? じゃあ世界の危機とやらがこれからやってきたりするの?」
「師匠……」
「えぇぇ? 何でそんな顔で見るのさ!?」
リリンの呆れたような目に、僕は思わず顔を引く。
「世界の危機は、そこにいる人が原因だったんです」
「へ? コーイチさんが? 何で?」
コーイチさんは確かに強かったけれど、だからといって世界をどうこうできたとは思えない。いや、武力で世界征服とか無慈悲な大虐殺とかなら出来たかも知れないけど、それは別にコーイチさんじゃなくても出来ることだ。なのに何故?
「そのコーイチという人のナカには、分不相応な『神威』が満ちていたんです。ヒトの器の限界を超える力を無理矢理押し込んだことで、その器は壊れる寸前でした。もしあのまま放置して器が壊れ、『神威』が世界に漏れ出してしまったら、何だか色々と大変なことになったらしいです」
「おぉっふぅ、そうなんだ……」
そんな話は鍋パーティの時にストーラさんに聞いた記憶がある。初めて会った時と随分性格とか口調が変わったなぁとは思ってたけど、文字通り壊れかけてたわけなのか。あれ、でもそれって……
「そしてコーイチのナカに宿っていた『神威』は、僕の剣で在るべき場所へと還りました。普通なら神殺しをして奪った力が神様のところに還るって感じになるんだと思いますけど……師匠のところにいきましたよね?」
「ソ、ソウダネ! で、でもこれ、僕は直接神様からもらった奴だし……っていうか、僕のこと?」
「ふふっ。ヒュアス様に少しだけ教えてもらいました。それで一応確認なんですけど、師匠、何か変な気分とかありまえせんか?」
「気分? あー、そういえば……」
確かにコーイチさんの体から出てきたモヤモヤを吸収した時から、僕のなかには抑えがたい感情が芽生えている。
「…………コーイチの意思に汚染された『神威』は、それを取り込んだ師匠にも影響があるはずです。もし――」
「何て言えばいいだろう。駅のホームで吐き捨てられたガムを踏んだような……これだと伝わらないか。あっ、道を歩いていたら馬糞を踏んじゃったみたいな? そんなやり場のない怒りと悲しみがずっとある感じだね」
「……え、それだけですか?」
「いやいや、それだけって! これ結構嫌だよ?」
普通に馬糞を踏んだだけなら明確な原因があるけれど、今の僕の感情にはそれがない。ただ延々と「なんだよもー!」みたいな気持ちだけがそこはかとなく湧き上がってくるのだ。日々の幸福指数がだだ下がりである。
「ぷっ、ふふふっ! そういうことなら大丈夫です。今感じているのは残留思念みたいなものなので、時間が経てば消えるはずですから」
「そうなんだ。良かった」
何故か吹き出しながら言うリリンの言葉に、僕はホッと胸をなで下ろす。ずっとこんなやるせなさを感じ続けるのは流石に嫌だ。
「普通はもっとこう世界を恨むとか、そういう感じになるって聞いてたんですけど……やっぱり師匠は凄いなぁ」
「そう? まあ確かに一歩歩く毎に靴の裏を確認したくなる気持ちが続くのは世界を恨みそうだけど」
「みんながそのくらいですむんだったら、きっと世界は今よりずっと平和になっているんでしょうね」
ぬぅ。何だろう、リリンにそんなつもりが全く無いのはわかるんだけど、何となく馬鹿にされているような気がする。腑に落ちないぜ、くそぅ。
「ふぅ……久しぶりに師匠とゆっくりお話しできて、楽しかったです。それじゃボクは、最後に残った勇者の仕事をさせてもらいますね」
「あれ? まだ何かあるの?」
「はい。とっても大事な……これだけは誰にも譲れないって仕事が」
そう言って立ち上がると、リリンは僕から少し離れたところまで歩いて行き、そこでこっちに振り返ると腰から剣を抜き、構える。
「……リリン?」
「勇者の使命は、世界を脅かす脅威を排除することです。最初のひとつは壊れそうな器から『神威』を在るべき場所へ還すこと。つぎのひとつは還された対象がもし汚染された『神威』の影響を受けて狂うようなら、その排除。そして最後のひとつは……
二度とこんなことが起こらないように、『神威』を本当の在るべき場所に還すこと」
「それって…………」
しゃがんだままの僕の目を、リリンはまっすぐに見つめてくる。だから僕は転ばないように注意してゆっくりとその場に立ち上がった。
「構えてください師匠」
「……冗談、って訳じゃないんだよね?」
問いかける僕に、リリンは悲しそうな瞳を向けて首を振る。そのまま大きく息を吸い込むと――
「見つけたぞ、魔王!」
かつて聞いたその台詞を、リリンは再び口にした。
「誰だ?」
だから僕も、あの時と同じ台詞を口にする。それに気づいて小さく笑うと、リリンは堂々と胸を張り、高らかにその名を名乗った。
「ボクはリリン! 人神ヒュアスに導かれた真の勇者、リリン・カデンツァだ!」





