ごめん
「んー?」
特にいつもと変わりの無い午後。重い農具……いや、道具にも少しずつ慣れてきたはずなのに、何故だか今日はどうにも気分が落ち着かない。
ぶるんぶるーん!
「ああ、ごめんマモル君。別に疲れたってわけじゃないんだけど……何だろう? 何かソワソワするような感じがするんだよね」
足下で震えたマモル君に応えつつ、僕は額の汗を拭って空を見上げる。今日も冬空は快晴だというのに、僕の気分は今ひとつ晴れない。
ズズーン!
「うぉっ!? え、何? 地震!?」
突然大きな音と共に大地が揺れて、僕は思わずよろけてしまった。もっとも揺れは一瞬で収まってしまったので、それ以上の醜態は晒さずに済んだけれど。
「みんな大丈夫? いなくなったり怪我をしたりした子はいない?」
ぷるぷるぷるるーん!
僕の問いかけにスライム達は震えて応える。言葉はわからないけれど問題があれば側に寄ってくるだろうから、おそらく平気だったんだろう。にしても地震か。珍しい……あれ?
「そう言えばこっちで地震にあったのなんて初めてだな。あー、でも、何だっけ? 大陸だと地震が少ないとか、そういうのはあったような……」
地震に関するうんちくはいくつか思いつくけれど、そもそも僕はこの町が何処にあるのか良くわかっていない。世界地図どころか周辺の地図すら簡単には手に入らないし、僕自身も町とその周辺くらいしか行ったことないからね。
それに、あれだけ一瞬の揺れとなると地震と言うより何かが爆発した衝撃とか、そういうのの方が近い気がする。かといって別に町の方で火が燃えている感じとかはないので、やっぱり地震なんだろうけど……うーん?
「まあいっか。じゃあみんな、丁度いいから一休みしようか」
僕は畑スライムのみんなに声をかけると、庭に持ち出してある椅子に腰掛けて一息入れる。『鍬』が重くなったせいもあって最近は以前より細かく休憩を取るようになったため、簡単に休めるようにしてあるのだ。
「はぁ、お茶美味しい」
今日は何だか疲れた気がするので、奮発して在庫が心許なくなってきた薬茶を入れる。ゆっくり飲めば全身がポカポカしてスッと疲労が抜けていくのだ。
もっとも、どういうわけか今日は全身にまとわりつくような重い感じが抜けきらないみたいだけれど。
「うーん。連日の頑張りでちょっと疲れが溜まってるのかな? あんまり調子が戻らないようなら一日くらい休日にした方が……あれ?」
体を壊すくらいなら早めに休養をとるべきかと悩んでいた僕の目に、遠くからもの凄い勢いでこっちに向かってくる人影が見える。それはすぐにはっきりと見えるように……って!?
「ミャルレントさん!? どうしたんですかそんなに急いで」
「ハァ……ハァ……トールさん……逃げて……すぐ逃げなきゃ……」
「と、とにかくまずは落ち着いてください。あ、このお茶どうぞ」
僕が差し出したお茶を奪うようにしてミャルレントさんがごくごくと飲み干す。猫舌なミャルレントさんにはちょっと熱いはずなのに、そんなに喉が渇いていたんだろうか?
「ちょっ、大丈夫ですか!? 火傷とか――」
「大丈夫。大丈夫です……それより早く逃げないと!」
「待ってください。まずは順番に説明をしてもらえませんか?」
「そんな時間は……っ! いえ、わかりました。説明します」
問答をする時間の方が無駄だと思ったのか、ミャルレントさんが一瞬顔を歪ませてから説明してくれる。曰く空から突然コーイチさんが降ってきて、何だか危なそうな言動からマギィさんと獣王様がコーイチさんを賞金首指定、その後すぐリタさんに言われて自分だけこっちに走ってきたとのこと。
「えーっと、とりあえずコーイチさんがやってきたからここまで走って知らせてくれたってことでいいんですよね?」
「そうです! リタが言うには、この町にもう一回戻ってきた理由なんてトールさんを狙ってるとしか思えないって! だから早く――」
「すいません。僕は逃げるつもりは無いんです」
「トールさん!?」
僕のその言葉に、ミャルレントさんが尻尾をブワッと膨らませながら悲鳴のような声をあげる。
「相手は曲がりなりにも勇者なんですよ! トールさんが勝てるわけないじゃないですか!」
「そうはっきり言われると……まあそうなんですけど。でも、だからですよ。コーイチさん相手だと、おそらく何処に逃げても逃げ切れないと思うんです。むしろ下手なところに逃げたらそこまで追いかけてきて、無関係な人が巻き込まれる被害がどんどん拡大してしまいそうで……」
「それは……」
「だから、ここでいいんです。どうやっても逃げ切れないなら、迎え撃つのにここよりいい場所はありません」
実際、それは間違っていないはずだ。ここは僕が二年を過ごし、たっぷりと『威圧感』を染み込ませた土地だ。今でこそ固有技能は失われているけれど、もし万が一、億が一何らかの奇跡が起きて一発逆転できる可能性があるとしたら、この場所が一番その確率が高いのは疑いようも無い。
「だったら! トールさんが逃げないなら、アタシもここにいます!」
「いや、それは駄目ですよ!? ミャルレントさんは逃げてください!」
「嫌です! 絶対にトールさんから離れません!」
「ミャルレントさん…………わかりました」
ギュッと僕に抱きついて離れないミャルレントさんに、僕は彼女の腰に左手を回して抱き返しながら右手を腰の鞄の中にいれ、そこから取り出した草色の玉をミャルレントさんの眼前で握りつぶす。
「フニャッ!? トールさん、何で……………………」
「…………ごめんなさい。ミャルレントさん」
それを吸ってすぐに眠るように意識を失ったミャルレントさんを、僕はそっと地面に横たえた。これはコーイチさん対策としてファルさんに作ってもらった眠り薬だ。日本だと一瞬で意識を失うクロロホルムなんてのは物語のなかだけの存在だけど、流石はファンタジー。
まあ渡されるときに「絶対勇者以外には使わない。人にも渡さない。存在も明かさない」と厳しい約束をさせられたんだけど……
「ファルさんもごめんなさい。約束守れませんでした」
実際、この薬がコーイチさんに効くとは最初から思っていない。この程度のもので無力化出来るならとっくに酷い目に遭わされているだろうからね。それでも何もしないよりはと用意したものだったけど、まさかこんな使い方をすることになるとはなぁ。
「みんな、ミャルレントさんをお願い。全員で一緒に避難して欲しいんだ。できるだけここから遠く……そうだね、可能ならフルールさんのところとかがいいかな?」
ぷるぷるーん!
「お願いあーちゃん。ミャルレントさんを頼めるのはみんなしかいないんだ」
ぷるんぷるーん!
「心配してくれてるのかな? ありがとうさっちゃん。でも、今回はどうしても僕一人じゃなきゃ駄目なんだ。だからみんなと一緒に行って欲しいんだ」
ぶるんぶるるーん!
「マモル君、タモツ君……大丈夫。僕に何かあったとしても、畑くらいはなんとか……うわっ!?」
僕のその言葉に、マモル君とタモツ君がぷにょーんと体当たりしてきた。それに合わせて畑スライムのみんなも一斉にプニョプニョとぶつかってくる。
「ごめん! ごめんよ! わかってる。わかってるけど……でも、ごめん。本当に駄目なんだ。今の僕がみんなを守る方法は、これしか思いつかないんだ!」
てゅるるーん!
「サクラモリ君……今回だけ、頼むよ。でーやんをお願い」
すがるような僕の声に、名前を付けてから片時も離れなかった癒やし桜の木からサクラモリ君が離れていく。その頭には小さなでーやんが乗っていて、何となくその顔はこっちを見ているような気がした。
「ユキちゃん、いるかい?」
僕の呼びかけに、鼻の頭に一粒雪が落ちてくる。
「君はダンダン達のところに行ってくれないかな? 僕じゃ何処にいるかわからないし、万が一丸殻虫人の人達がこっちに遊びに来そうだったら何とか止めて欲しいんだ」
精霊であるユキちゃんなら、丸殻虫人達が通っている『原初の園』へ普通にいける。万が一のことも考えるとユキちゃんも避難させておきたいので、これは一石二鳥と言えるだろう。
「さあ、行くんだみんな! 僕の大切な人を、どうかみんなで守ってあげて欲しい」
そして大切な君たちも……その言葉を胸に飲み込んで、僕はスライム達が眠ったミャルレントさんを頭に乗せて運びながら去って行く姿をじっと見つめ続けた。心配するように僕の頬を白くて暖かい風が撫で、彼ら全員が視界に遠く消えた時……僕の頭にぴょいんと跳び乗る緑色の影が。
「……えっちゃんは行ってくれなかったんだね。君がついていてくれれば、何より安心だったんだけど」
ぷるるーん!
その言葉はわからない。でもその気持ちは伝わってくる。だから僕は緑色のプニプニボディをそっと撫でて苦笑する。
「そうだね。僕達は相棒だ。なら最後まで……一緒にいようか」
「よぅ、話は終わったかぁ?」
少し前から近づいてくるのに気づいていた、圧倒的な『威圧』感。振り向いたそこには体つきこそ前より力に溢れているのに、妙にやつれた顔つきになって真っ赤に目を血走らせたコーイチさんの姿があった。





