母の解答 姉の懊悩
「あら、トルテじゃない。呼びに行こうとは思っていたけど、どうしたの? どうしたのかしら?」
「どうって、呼ばれたから来たのよ。そうなんでしょ?」
ぷるるーん!
ミャルトルテさんの足下で、えっちゃんがプルりとその身を震わせる。いつの間にかいなくなっていたからてっきりフランツ君のところにでも行ったのかと思っていたけど、どうやらミャルトルテさんを呼びに行ってくれていたようだ。流石えっちゃん。相変わらず気配りの男である。
「それで、姉さん。そちらの方達は?」
「ああ、紹介するわね。こっちがファルちゃん。エリュー君のお姉ちゃんなんだって。で、その隣がジェイク君。ファルちゃんととっても仲良しのお友達よ」
「ファルファリューシカです。弟がお世話になっております」
「間違っちゃいねぇが、何でそんな紹介を……あー、ジェイクだ。まあ宜しく頼む」
「ミャルトルテです。エリューに狩りを教えているガラルドの妻です」
僕以外の全員が挨拶を済ませたところで、ミャルトルテさんが奥へ行くと自分のカップを手に席に着く。そこにミャルガリタさんがティーポットからネコムギ茶を注げば、改めて話の場の完成だ。
「にしても、貴方がエリューのお姉さんだったのね。この前のお祭りの時にちらっと見かけたけど、ちゃんとお話しするのは初めてね」
「そうですね。あの、こちらでのエリューの様子はどうですか?」
「そうねぇ。私は主人と違って彼と接するのは食事時くらいだけれど、いい子だと思うわよ? ファルスとミャリア……ウチの子供達とも仲良くしてくれてるし」
「エリュー君、アタシの料理をとっても美味しそうに食べてくれるの。初めてウチに来たときは凄く深刻そうな顔だったけど、今は良く笑うとってもいい子よ? いい子なんだから!」
「良く笑う……? そう、エリューが……」
二人の言葉に、ファルさんが複雑な表情を浮かべる。嬉しさや戸惑いや疑問、色んなものが混じってる感じの顔だ。
「その様子だと、貴方と一緒にいる時のエリューはそうじゃないのかしら?」
「それは……この前家に帰ったのは十年くらい前だったけど、その時のエリューはそんなに元気じゃなかったというか、無理して愛想笑いをしているような感じだったわ」
「なるほど……それは確かに家出のひとつもしたくなるわよね」
「どういう意味?」
ムッとしたファルさんの鋭い視線を向けられても、ミャルトルテさんの表情は揺るがない。ゆっくりお茶を一口飲んでから、その言葉を続ける。
「どうも何も、そのままの意味よ。あのね、子供が家出するって実はそれ程特別なことでもないの。特に男の子なら、ちょっとした冒険心とか些細な反骨心みたいなどうでもいいことでも家出しちゃったりするもの。
でもね、そういうのと今回のエリューでは家出の質が違うの。わかる?」
「…………わからないわ」
悔しそうに口元を引き締めて、ファルさんが押し黙る。その目の前のカップにネコムギ茶が注ぎ足され、優しい湯気が立ち上る。
「さっきも言ったけど、子供が家出する理由なんて些細なものよ。だからこそ、子供は家出をした瞬間からそれを後悔するの。早く帰った方がいいんじゃないか? 家族が心配してるんじゃないか? そういう思いが『まだ帰れない』ってつまらない意地とずっとずっとせめぎ合い続けるのよ。
その結果、子供は家からそう遠くへは行かない。帰りたい、でも自分からは帰れない。だから見つけて欲しい。連れ戻して欲しい。色んな思いがない交ぜになって、結局家の側で膝を抱えて座り込んでるなんてのがほとんどなのよ。だから親が迎えに行くと、泣いて謝って飛びついたりしちゃうの。フフ。単純なものよね」
そう言って笑うミャルトルテさんの目は、何処か遠くを見ているようだった。母親としての経験なのか、あるいはかつての自分の体験なのか。その言葉には不思議な説得力があり、僕は自然とその話に聞き入ってしまう。
「でも、エリューの家出は違うわ。あの子は迷うこと無く家から離れることを選んだ。危険な町の外をたった一人で歩いて、別の町までたどり着く程に。
勿論、そこには子供ならではの甘い見積もりはあったんでしょう。危険な目に遭うかも知れないくらいの想像はしていても、本当に危険な目に遭うことは想定していない。それでもトールの話では、空腹でフラフラになるまで家から離れ続けたのよ?
エリューにとって、家というのはそこまで帰りたくないものだったのよ。一体どんな生活をすればそこまで家を拒むようになるのか……」
「私達は!」
ダンッとテーブルに手をついて、ファルさんが立ち上がり叫ぶ。
「私も父さんも母さんも、エリューのことを愛しているわ! 里のみんなだって凄く良くしてくれるし、誰もエリューのことを嫌ったりなんてしてない!」
「……ファル、座れ」
そんなファルさんの背中に手を添え、ジェイクさんがファルさんを座らせる。そんな一流冒険者であるファルさんの怒声を正面から受け止めて尚、ミャルトルテさんの表情が変わることは無かった。
「別に貴方達がエリューを嫌っていたなんて言うつもりは無いわ。あの子の手を見れば大事に育てられたのはわかるもの。でも、貴方達の愛をあの子がどう受け取るかは、あの子自身の問題よ。自分が愛したから相手も愛してくれるはず、なんて考えは傲慢だわ。
だってそうでしょ? たとえそれが自分のお腹から産み落とした子供だったとしても、その子は自分の一部じゃない。かけがえのないただひとつの存在なのだから」
「なら……だったら、私達はどうしたら良かったの!? 私の何がいけなかったって言うのよ!」
「そんなの私にわかるわけないじゃない。私はエリューとはほんの数日前に会ったばかりなのよ?」
「何よそれ!? 無責任に言いたいことだけ言って!」
「他人の家族なんだから、無責任に決まってるじゃない。私が責任を負えるのは、私自身のことだけ。私が話せるのは、私が感じて思ったことだけ。それ以上のことを聞きたいなら、そもそも質問する相手が違うわ」
「誰に聞けって言うのよ! エリューを連れ回してる貴方の旦那さん?」
「馬鹿ねぇ。そんなのエリュー本人以外にいないでしょ」
「っ!?」
ジェイクさんに肩を押さえられ、それでも今にも飛び出しそうだったファルさんの動きが止まった。形のいい唇が小さく震え、金色の目は大きく見開かれている。
「貴方が、貴方達家族がどうすれば良かったのか……そんなの家族同士で話す以外にわかる方法なんて無いわ。失敗して、傷つけ合って、遠ざかったり近づいたりしながら、それでも互いを理解しようと望む。
忘れちゃ駄目よ。家族は自然にできるものじゃないの。みんなが頑張って努力して、そうしてやっと家族になるものなのよ」
「それは……でも、私は…………」
うつむき考え込むファルさん。そんな彼女の肩に、ミャルガリタさんがポンと手を置いた。
「ねえ、一緒にお料理しない? 時間が時間だからお昼はパパッと済ませちゃうけど、夕食はきっとガー君とエリュー君が立派な獲物を狩ってきてくれると思うのよ。だから一緒に作りましょ? そうしましょうよ! ね?」
「そうね。エリューも家出して……一週間とかそのくらいかしら? そろそろ自分の家の味が恋しくなる頃だろうし、きっと話をする良いきっかけになるわよ」
「あっ…………あの、ごめんなさい。私、また頭に血が上っちゃって……」
話の流れが変わったことで、自分のとった態度がどんなものだったのか気づいたんだろう。居心地が悪そうにモジモジするファルさんに、ミャルガリタさんとミャルトルテさんが優しく微笑む。
「別にいいわよ。気にしてないわ」
「そうよね。何せ私もトルテも『お母さん』ですもの! 子供相手に怒ったりなんてしないわ。しないんだから!」
「…………ありがとう、ございます」
「まあ、随分年上の子供だけどな」
お礼を言うファルさんの横で、ジェイクさんがぽそっとそんなことを呟いた。すかさずファルさんがジェイクさんのほっぺたを両手で摘まんでグニグニする。
「もーっ! ジェイクはもうっ! 何でここでそういうことを言うのよ!?」
「ひひゃい! ひひぇーお! わうかっは! おえがわうかったっへ!」
「だーめ! もっと反省しなさい!」
「フフッ。本当に仲良しさんよねぇ。仲良しさんだわ!」
「何で赤の他人にこれができて、実の弟にできないのかしら……不思議ね」
笑うミャルガリタさんと呆れるミャルトルテさんの前で、ファルさんはジェイクさんのほっぺたが真っ赤になるまでひたすらに引っ張り続けるのだった。





