エリューの願い
「ただいま」
「お帰りトール! 用事は終わったの?」
「うん、まあね。ところでエリュー、君にちょっと話があるんだけど」
「……ボクに?」
その言葉に、エリューは一歩後ずさる。不安そうな顔から考えていることはわかるので、ここは笑って否定しながら少し強引に頭を撫でてみた。
「はっはっは。そんな顔をするような話じゃないよ」
「むぅー、乱暴だなぁトールは! で、話って何?」
「あのね。僕の友達……恋人? うん、恋人だな。そういう人がいるんだけど――」
「トール、恋人がいるの!?」
おぉぅ、凄い食いつきだな。このくらい子供でもやっぱり恋愛には興味があるんだろうか? まあ見た目や言動はともかく、年齢的にはずっと年上だろうしなぁ。
「まあ、うん。いるんだよ。で、その人の家に夕食をお呼ばれしているんだけど、そこにエリューも一緒にどうかなって思ってさ」
「ボクも? えっと、それは流石に邪魔じゃない? その、変な意味じゃなくて」
「そう思うなら最初から誘わないよ。それでね、その人のお父さんの一人が、狩人なんだ」
「お父さんの一人……? って、狩人!?」
あまり一般的では無いワードに引っかかるも、その後すぐにもう一つの注目ワードにエリューが声をあげる。
「そう。その人は基人族だから、精霊魔法は……それどころか魔法そのものが使えない。でも家族の生活を支える立派な狩人なんだ。
ねえエリュー。良かったらその人の話を聞いてみない?」
「…………それって、ボクのため?」
聡いエリューは、すぐにその言葉の意味を理解した。浮かれ気味だった表情が一変して沈み込む。そんな顔は見たくないけど、でもここで話を終えるわけにはいかない。
「言っちゃえば、そうだね。エリューだってわかってるだろ? 今のこの生活は、いつまでも続けられるものじゃないって」
「……ボク、邪魔?」
消えそうなくらい小さな声に、僕はそっとエリューの体を抱きしめる。子供特有の高い体温が伝わってきて、外回りで冷えた僕の体を優しく温めてくれる。
「そんなことないさ。エリューがいる毎日は凄く楽しいよ。スライム達だってみんなそう思ってる。だからもしエリューが本当に辛くて苦しくて、もう二度と里に帰りたくない、家族にも知り合いにも誰にも会いたくないって言うなら、ここで一緒に住んでもいい。
でも、違うよね?」
「うん……」
もしもエリューが里で虐げられているとかだったら、無理にでも引き留めただろう。でもそうじゃない。優しさに甘えるのが辛くて苦しくて、どうしようもなくて衝動的に飛び出してきてしまっただけなのだ。
だったら、そのわだかまりは解いてあげたい。優しさを笑顔で正面から受け止められるようにしてあげたい。
「だったらさ。里に帰ったとき、みんなに笑顔で自慢できるようになってみない? 自分の力でこんなに大きな獲物を仕留められたんだって見せつけられたら、きっとなれると思うんだ。みんなに『凄いね』って褒めてもらえる立場にさ」
「…………なれると思う?」
「諦めなければ絶対なれる! なんて適当な事は言わないよ。でも、エリューは野菜の収穫ができたじゃないか。今のエリューは、何もできない奴じゃない。やってみたら案外上手くいくかも知れないし……それにね」
僕は抱きしめていたエリューの肩を掴んで体を離すと、少し鼻の頭を赤くしたエリューの顔をまっすぐに見つめた。
「エリューはもう、一人じゃない。僕もえっちゃんも、マモル君やタモツ君も、みんなが一緒にいる。だからもし駄目だったら、その時はみんなで笑えばいいんだ。頑張ったけど駄目だったねって笑い合って、それからまた何がエリューに向いているのかをみんなで考えればいい。
僕達はエリューを助けない。ただ君がやりたいことを全力で応援して、ずっと側で見守ってる。だからエリューは、自分がやりたいと思ったことを頑張っていいんだ。結果が出ても出なくても、ただ頑張って……頑張ることだけをしていいんだよ」
「トール……っ!」
今度はエリューの方から、ギュッと僕に抱きついてきた。体に回された細い腕が、キュッと僕を締め付けてくる。
「ボク、頑張りたい……頑張って獲物を狩ってみたい! 父さんや母さんにボクの狩った獲物をご馳走したい。それで稼いだお金で、姉さんに贈り物をしたい。里のみんなに『これをボクが狩ったんだぞ!』って自慢したい! それで、それで……言われたい。『凄いな、エリュー』って、認めてもらいたい……っ!」
「うん、頑張れ。みんなで精一杯応援するから」
「ありがとうトール……」
エリューが肩を震わせていたのは、ほんの少しの時間だけだった。すぐに立ち直ると、「トールの恋人に見られても恥ずかしくないようにしてくる!」と顔を洗いに井戸まで走って行ってしまったくらいだ。まだ時間の余裕はあるし、この分ならエリューの方は問題無いだろう。
ということで、後はガラルドさんの方だけど、子供好きのガラルドさんならそれこそ問題は――
「駄目だ」
「えっ!?」
エリューを連れてやってきたミャルレントさんの家。大人勢からはやたら可愛い可愛いと連呼され、ファルス君やミャリアちゃんとも仲良くなったことで好感度がストップ高になったエリューが件の話を切り出したところ、それまでご機嫌でお酒を飲んでいたガラルドさんが急に素になってその提案をあっさりと切って捨てた。
「あ、あの、父ちゃん? 何で……」
「何でって、そりゃ責任がとれねーからだよ。狩りってのは多かれ少なかれ命の危険が伴う。そこに俺の判断だけで余所様の子供を連れて行くなんてできるわけねーだろうが」
「それは……」
ミャルレントさんの問いかけに返ってきた答えは、至極まっとうな理由。それだけに反論の言葉が浮かばなくて、僕は思わず言葉に詰まってしまう。
「責任なら、ボク自身がとります」
その微妙な沈黙を破ったのは、他ならぬエリュー自身だった。
「あーん? お前みたいなガキが責任なんざ――」
「ボクは!」
ガラルドさんの言葉を、大きな叫び声が遮る。
「ボクのこの体は……ボクの命は、ボクのものだ! 嬉しいことも悲しいことも、辛いことも痛いことも、全部ボクのものなんだ! だから頑張ることもその結果も、そこにある責任だって全部ボクだけのものだ!
もう誰にもそれを譲ったりしない! だからお願いします! ボクに、ボクに狩りを教えて下さい!」
ガラルドさんの正面に正座したエリューが、ガンと音がするくらいの勢いで床に頭をつける。そこにあるのは強い意志。なりたいものになるための、エリューの覚悟そのもの。
「つってもなぁ……クソッ。どうしろってんだ」
そこにあるのが単なる子供の憧れ程度の気持ちではないと悟ったのか、ガラルドさんが苦り切った表情を見せる。ふむ。助けないとは言ったけど、それはあくまで狩人の修行についてた。ここはひとつ札を切ってみるか?
「あの、ガラルドさん」
「あん? 何だよ。いくら義理の息子予定の奴の言葉だって――」
「エリューはエルフなんで、多分ガラルドさんより年上ですよ」
「ハァ!?」
その発言に、ガラルドさんが素っ頓狂な声をあげた。そりゃ目の前で土下座してる子供が自分より年上だと聞かされたら、そんな反応になるよね。証拠にとエリューが髪をかき分けて見せた耳はほんのり尖っており、それを見てガラルドさんが唸る。
「むぅ、微妙だが確かに尖ってるような……おいエリュー。お前歳はいくつだ?」
「今年で七六歳になります」
おおっと、想像より更に上だぞ? まさか僕のお爺ちゃん世代とは……っと、これに驚いたのは当然僕だけではなく、ガラルドさんがガリガリと頭を掻きむしる。
「何だそりゃ!? ウチの爺さん共より年上だと? おいミャルレント。エルフの成人年齢っていくつなんだ?」
「えぇぇ? そんなのアタシも聞いたことないからわかんないニャ」
「エルフは何歳で成人というのは特にありません。が、少なくともボクの世代なら既に仕事を任されて狩りに出ています。ボクも出たことありますし……」
そう言うエリューの言葉に嘘は無い。たとえ獲物を一匹も仕留めたことがなかったとしても、同行したという事実は変わらないだろうからね。
「経験者だと!? それを先に言えよ、ったく……なら問題ねーな。俺でいいなら教えてやるぜ」
「やった! ありがとうございます先生!」
「先生!? 先生ってか。へへへ……ま、軽くしごいてやるかな」
ご機嫌な様子に戻ったガラルドさんを見て、僕とエリューはこっそり視線を合わせ、二人だけで勝利の笑みを浮かべるのだった。





