モフモフは神である
「ひえっ!? あ、あの、またと言われても……」
「ああ、すまない。別に君を責めたわけではないのだ」
引きつった笑みを浮かべる彼女に、僕はすかさず謝罪する。というか、のだって何だ? 高校生の透ではなく、剣士トールとして格好つけちゃったのか? でも仕方ないじゃないか。だってモフモフなのだ。猫の手でどうやってペンを持つのかと思ったら、何か肉球にぺたっとくっついていたのだ。あれは人間の肌にも吸い付くのだろうか?押しつけるときの柔らかさと、離れるときの吸い付きという、隙を生じぬ二段構えなのだろうか? 是非とも触りたい。そして触られたい。天国はここにあったのだ。あんな髭じじいのところでは無かったのだ。
「あの、トール様……」
瞳を潤ませ呼びかけられて、僕はようやく我に返る。
「いや、すまない。本当にすまない。今は手持ちがないのだが……先に簡単な依頼を受けて、その達成報酬で払う、というのはできないだろうか?」
「そういうことでしたら、常設の薬草採取やゴブリン討伐などはどうでしょう? 薬草の現物やゴブリンの討伐部位である右耳を持ってきていただければ、登録後に換金、差額を報酬としてお支払い、という形に出来ますが……」
「それで頼む。薬草の現物と、生えている場所の情報などは教えて貰えるのか?」
「あ、はい。こちらになります」
猫の人に薬草の特徴と、一般的に生えている場所の説明を受ける。葉っぱに特徴があって、近くには似た草は生えてないということだったし、場所も町からすぐだったから、これなら問題なく集めてこられるだろう。
「良くわかった。ありがとう。では、行ってくる……と、その前に」
格好つけて出て行こうとして、重要なことを聞き忘れていたことに気づいた。
「君の名前を教えてくれないか?」
「え!? あの……ミャルレント、です……」
「ミャルレントか……いい名前だ……では、行ってくる」
今度こそ、僕は踵を返してその場を立ち去る。本当ならマントをファッサーとしたいところだったけど、そんなものは身につけてない……というか、よく考えると帯剣すらしていない、黒い服を着た村人にこんなことを言われるとか、どうなんだろう? うわ、自分を客観視すると、相当痛い。何がいい名前だ、だよ。そういうのはもっとこう、ごつくて格好いい全身鎧にマントをたなびかせる歴戦の戦士とかだから決まるんであって、村人Aが言ったって「何だコイツ」とか思われるだけじゃん! うわー、ヤバい。今すぐ忘れたい。何もかも無かったことにしたい。今ほど存在感が無かった頃を強く求めたことは無い。かといって、ミャルレントさんに会わないのはもっと辛い……
はぁ。とにかく薬草を探してこよう……
*関係者の心境:ミャルレントの場合
「あー、怖かったぁ…………」
トールさんがギルドのドアから出て行ったところで、アタシの隣から、同僚のリタの声が、大きなため息と共に聞こえてきた。「大丈夫だった?」と心配してくれるリタに笑って答えながら、アタシはさっきまでここにいた人の事を考える。
ドアから彼が入ってきた時、アタシの全身の毛が、一気に逆立つような気がした。尻尾の先までプルリと震えて、ここがギルドの受付じゃなかったら、その場にへたり込んでしまったかも知れないくらい怖かった。
彼はギルドを見回して、小さく笑った。何の変哲も無いギルドの、何が面白かったんだろう? ひょっとして、馬鹿にされたのかな? でも、それも仕方ない。あんな気配を出せる人より強い人が、こんな昼間にギルドでお酒を飲んでるわけがない。実際彼に笑われても、酒場の飲んだくれ共は誰も彼に突っかかっていかなかった。喧嘩を売る相手をわきまえられる程度にしか酔ってなかったのは、誰にとっても幸運だったと思う。
その後、彼は突然こっちに向かってきた。脇目も振らずに凄い勢いで歩いてきて、窓口が違うって言っても、アタシに応対しろって要求してきた。
怖かった。凄く怖かったけど……何となく、さっきまで感じていた怖さとは、違う感じの怖さだった気がした。自慢のおヒゲがへんにょりしちゃうような怖さではなく、欲にまみれた見下すような怖さでもなく、何かこう、圧倒されるような……そういう感じの怖さだった。
だから、まあまあ普通に対応できたと思う。何の根拠も無いけど、怒鳴られるとか、暴力を振るわれるみたいな怖さを、全然感じなかったから。
彼は薬草の特徴や生息地の場所を聞いていった。あれだけ強そうなら、ゴブリンなんていくらでも倒せるだろうから、普段縁の無い薬草のことを聞かれたのは納得出来た。でも、それ以前の問題として、今まで冒険者として登録してなかったこととか、銅貨5枚の登録料すら持ってなかったことが不思議でならない。
何か事情があるのかな? あるんだろうなぁ。あんな格好してるんだし。
剣士を名乗ったのに、剣を持っていなかった。服も皮鎧ですらない、普通の布の服だったし。とはいえ、あの黒い服は凄く高そうに見えたから、何らかの魔法道具かも知れない。でも、そんな高価な物を身につけてるなら、やっぱり銅貨5枚を持ってないのが不思議。秘密の匂いにおヒゲがピンピンしちゃうけど、ギルドの受付嬢として、個人の秘密に立ち入ることは許されない。だから、あくまで想像だけ。
彼は最後にアタシの名前を聞いて、颯爽とギルドを出て行った。格好が格好なので、正直ちょっと格好悪いと思ったけど、立ち振る舞いは颯爽としている感じだった。オニキスみたいな黒い目に、夜空のような黒い髪。凄く強そうな気配なのに、全然強そうに見えない外見。色んな物がちぐはぐで、何が本当かわからない。
本当なのはひとつだけ。彼がアタシの名前を「良い名前だ」って褒めてくれたことだけだ。下心満載の褒め言葉には慣れてるけど、純粋に褒められたのは久しぶりで、思わず尻尾がピリッてしちゃった。気づいたら、もう怖くなくなっちゃった。
「ねえ、ミャー聞いてる?」
リタに呼びかけられて、自分がぼーっと考えにふけっていたことに気づいた。
「え? ごめん。何?」
「だから、さっきの人。トールさんだっけ? 何者なんだろうね?」
「うーん……悪い人じゃないとは思うけど」
「えー!? あんな威圧垂れ流しておいて、実は良い人なんてことはないでしょ。ギルドの受付嬢を威圧するとか、嫌がらせか体目当てか……絶対ろくなもんじゃないって」
「そうかニャー?」
思わず幼児言葉が出てしまって、アタシは慌てて口を塞ぐ。どうやら予想以上に緩んでいたらしい……何で緩んでたんだろう? ママがくれたアタシの名前を褒められたのが、そんなに嬉しかったのかな? 良くわからないけど、どうせすぐわかるようになるでしょ。あの人がゴブリンに倒されるとか想像も出来ないし、薬草だって教えた場所なら子供でも採れるんだから、夕方までにはきっとまたここに来る。
戻ってきた時は、最初から怖くないといいニャー
そんなことを考えながら、アタシはギルドの受付で笑顔を振りまくお仕事を再開した。