死は二人を分かたない
今回はミランダ視点です。
「神に感謝……? 何を、何を言ってるんだ!?」
妻の言っている言葉の意味が理解できず、オレは思わず大声をあげてしまう。
「もう、そんな大声出さないでミルド。アルフが起きちゃうわ」
「あ、う、すまん……いやしかし、何でアリンダはそんなことが言えるんだ? こんな……こんな酷い選択を迫る神に、感謝なんて……」
「あら、そうでもないわよ? だって私、今日まで凄く幸せだったもの。ミルドに出会って、一緒に過ごして、結婚して、子供が出来て……本当に、夢のような日々だったわ。ミルドは違うの?」
「違わないさ! オレだって幸せだった。アリンダと一緒になれたことも、アルフをこの手で抱いたときのことだって、一瞬だって忘れたことはない! 世界中のどんな奴よりも幸せだったって断言できる!」
「ならいいじゃない。別れを辛いと感じてくれるなら、それはそこに至るまでの日々が幸せだった証拠だもの。ミルドやアルフと別れる辛さを無くす代わりに、二人に出会えた幸せを無かったことにされるくらいなら、私は今の方がずっといい。この幸せは私だけのものよ。他の誰にも……神様にだって奪わせはしないわ」
「アリンダ……」
「それにね。この最後は言うほど悪くないと思うのよ。だってミルド……例えば私が魔物に襲われていたら、ミルドは私を守ってくれるでしょう?」
「は? そんなの当たり前だろう?」
「例えそれが、自分がどうやっても勝てないくらい強い魔物だったとしても?」
「当然だ! オレの全てを使ってでも、アリンダのことは絶対に守る!」
「それと同じことよ。私だってミルドやアルフ、愛する人のためなら命くらいかけられるわ。だから良かった。私の命でアルフを助けられるなら、こんなに嬉しいことは無いの。貴方だってわかるでしょ?」
「それ、は……」
わかる。もし今自分の命で妻と息子の二人が助かる目が生まれるのだとしたら、オレは迷わずそれに飛びつくだろう。オレの魂で妻を助けてやると笑う悪魔が居たら、きっと大喜びでこの首を掻っ切るはずだ。
「勿論、私だって死にたいわけじゃないわ。心残りはいっぱいある。アルフに素敵なお嫁さんを見つけて貰いたかったし、孫だって抱いてみたかった。男の料理だーなんて言って適当な物ばっかり食べてるミルドの健康も気になるし、後は食料庫に入れてあるパンの残りも……あれはもうカビちゃったかしら? ふふっ。やあね、心残りばっかりだわ」
「アリンダ……なら、生きよう。きっとまだ、何か方法が……」
泣きながら言うオレの唇に、アリンダがそっと人差し指を当てる。そうして小さく首を横に振ると、その目線がオレから外れて天井へと向けられた。
「ねえ、ミルド。結婚式の時の誓いの言葉って、覚えてる?」
「何を突然……?」
「言ってみて」
アリンダの意図がわからない。が、今の彼女の頼みを断るなんてあり得ない。少し頭をひねって、当時口にした言葉を……ずっと昔から伝わっているという文言を口にする。
「確か……病めるときも健やかなるときも、死が二人を分かつまで……だっけ?」
「そうそう。でもそれ、私はちょっと違うと思うのよ」
「何が違うんだい?」
「私の中には、貴方がいるの。おっちょこちょいだったり大雑把だったり、思い込みが強くて一直線で……でも誰よりも誠実で優しい、ミルドがいる。これは私の宝物。死んだって誰にも渡さない、魂の記憶。つまりね、私は死んでもミルドと別れたりしないのよ。ミルドの中にも、私がいるんじゃない?」
「……いる。いるとも! いくらでもいるぞ! アリンダのことを語り出したら、千年だってあっという間さ!」
「ふふっ、何よそれ。それじゃ私達が過ごした時間より長いじゃない」
「いや、だからそれは、そのくらいアリンダの思いが溢れてるってことで……」
「そうね。だから私は思うの。死は二人を分かたない。ミルドの中にもアルフの中にも、私はずっと居続ける。体は無くなってしまうけれど、思いはずっと貴方達の中に在り続けるわ。だから私の心残りは、二人に託すわ。一杯幸せになって、一杯素敵な思い出を作って……そして精一杯生きたら、それを抱えて向こうまで会いに来て。その時まで私は、ずっと貴方達のことをこの胸で抱えておくから。
忘れない。離れない。例え姿が見えなくなっても、私たちはずっと一緒よ」
「ああ……ああ! そうさ! そうだとも! オレと君とアルフは、ずっとずっと一緒さ! 死に神だってオレ達を分かつことなんて出来やしない! 死は……二人を分かたない……っ!」
オレはアリンダを抱きしめた。病の果てに細く脆くなっていた妻の体を、心からの愛を込めて抱きしめた。止めどない涙に視界が歪んで何も見えなかったけど、オレの心には出会った当時と同じ、アリンダの優しい笑顔がはっきりと写っていた。
「愛してるわ、ミルド。アルフを宜しくね」
「愛してるよ、アリンダ。何もかもオレに任せろ。必ず幸せにしてみせる。約束……約束だ……」
目を閉じたアリンダにそっと唇を重ねると、オレは彼女をベッドに寝かせ、アルフに薬を与えた。すぐにアルフの体調は改善し……そして三日後。もう何の心配もいらないほどに回復したアルフに安心したかのように、アリンダは静かに息を引き取った。
その後、オレはアリンダとの約束を果たすために、必死になって働いた。アルフに何不自由ない生活をさせるために、周囲の心配の声を押し切って、昼も夜も無く身を粉にして働き続けた。
でも、今思えばそれは逃げだった。アリンダを亡くした悲しみを忘れたくて、仕事に逃げているだけだった。それに気づかせてくれたのは、アリンダがオレに残してくれた最後の宝物……息子のアルフだった。
その日、オレはいつものように仕事を終えて家に帰ってきた。夜空に浮かぶ月はとっくに天頂を超え、当然アルフは既に寝ている時間だ。それでもオレは愛する息子の顔をひと目見たいと部屋の扉の前に立ち……そして聞いた。
「うぅ……ぐずっ……お母さん……」
それは、寂しさにむせび泣くアルフの声だった。母を亡くし、父である自分もなかなか家に帰らず、たった一人で孤独に耐えていた小さな子供の泣き声だった。
オレは……オレは今まで何をやっていたんだ!? アルフにこんな声を出させることが、オレがアリンダに託されたことなのか!?
世界が、崩れ落ちたような気がした。実際オレは立っていることすらできず、その場で膝をついてうなだれた。アルフが泣き疲れて眠るまで、指一本すら動かせないままオレはその声を聞き続けた。その悲しさに、そしてアルフの呼ぶ声に一度として「お父さん」が無かったことに、目の前が真っ暗になる気分だった。
大切なものが……大切だと思っていたものが音を立てて崩れていくのを感じながら、オレは何とか立ち上がり、今はオレ専用となった夫婦の寝室へと足を運んだ。使う者がいなくなり布をかぶせたままだった鏡台の前に座ると、妻の残した古びて腐ってしまったかのような化粧品を手に取り、オレは苦心して自らの顔に化粧を施す。そうして準備を整えると、オレはそっとアルフの部屋のドアを叩いた。
「アルフちゃん。朝よぉ!」
「んん……お父さん? どうしたの? 変な声出して……っ!?」
扉を開いたアルフの顔に、驚愕が浮かぶ。そりゃそうだろう。今の自分は化け物のような形相だ。劣化した化粧品で無理矢理塗りたくった顔は女装というよりは道化師のようで、無理矢理に袖を通した妻の服はパツパツであり、ちょっと動く度にピリリと何処かが裂ける気配がする。
「お父さん……? え、何それ!?」
「何って……見てわからない?」
「わかんないよ! えっと……仮装とか? いやでも、今日は別にお祭りとかじゃないし……」
「違うわよぉ! あのね、お父さん。今日からお母さんも一緒にやることにしたの!」
「……何それ」
アルフの表情が、石のように冷たくなった。その反応に脆くなったオレの心は今にもくじけそうになったが、必死になって踏ん張った。ここで倒れてしまったら、もう二度とアリンダの笑顔を思い出せない気がしたから。
「ふざけんな……ふざけんなよ! 何が『お母さんも一緒に』だよ! お母さんがそんな化け物みたいな顔のわけないだろ!」
近くにあった木製のおもちゃをアルフが投げ、それがオレの顔に当たる。僅かに血が出た感触があったが、そんなこと気にもならない。
「そうね。確かにアリンダの顔は、こんなじゃないわよね。わかってるわ。ワタシにだって良くわかってる……世界で一番愛した人の顔だもの。忘れたりしないわ」
「っ!? だったら! だったら何でそんなことするんだよ!」
「貴方のことを愛しているからよ」
手当たり次第に物を投げてくるアルフの手が止まった。そのままオレは……ワタシは言葉を続ける。
「ごめんなさい。ワタシはずっと逃げてたの。アリンダを亡くした悲しさから目を背けるために、アルフの為って言い訳をして、ずっとずっと逃げていたの。辛いのはアルフだって一緒なのに……ううん。ワタシよりも、アルフの方がずっと辛くて寂しかったはずなのに……親失格よね……」
「…………」
「ねえ、アルフ。お母さんから預かっている言葉があるの。どうか聞いてくれないかしら?」
真っ先に伝えなければならなかった言葉。それすら伝え忘れるなんて、アリンダに知られたら大目玉を食らうところだ。自分の駄目さに反吐が出る思いを飲み込んで、ワタシはまっすぐにアルフを見る。
「……何?」
「『死は二人を分かたない』……お母さんの中には、ずっとワタシとアルフの姿があった。ワタシの中にも、今もずっとお母さんがいるわ。アルフはどう? お母さんのこと、もう忘れちゃった?」
「忘れるわけないだろ! お母さん……お母さん……っ」
「そうね……そうよね。忘れるわけ無い。いなくなるわけ無いの。お母さんは今もずっと、ワタシ達の中にいるの。だからワタシは、ワタシの中にいるアリンダを表に出そうと思ったの。死んでもずっと一緒なんだって、ワタシ自身で表現するために。ミルドでも無く、アリンダでも無く、二人合わせたミランダとして、今日からワタシは精一杯、アルフのことを大切にしていくわ」
「何だよそれ……意味わかんないよ……」
「んっふ。そうよね。わからないわよね……ワタシ自身にもどうしていいかわからないのよ。ただ、これだけ……一つだけ約束するわ。もう二度と、アルフに寂しい思いはさせない。ずっとずっと側にいるわ。
だからお願い。一度は間違えてしまったけれど、離れてしまいそうになったけれど……お願いだからもう一度、どうかワタシに、貴方を愛させてちょうだい……」
「何だよ……何だよそれ……そんなの勝手すぎるだろ……」
ワタシはそっとアルフの側に歩み寄ると、恐る恐るその小さな体を抱きしめた。拒絶されたらどうしよう、嫌がられたらどうすればいいだろう? 騎士としてどんな強敵と対峙しても感じなかったような恐怖が渦巻き、それでも必死に手を回せば……アルフはそれをじっと受け入れてくれた。
「オレ、ずっと家に一人で……寂しくて、でもお父さんの邪魔をしたら駄目だって……でもやっぱり寂しくて……」
「ごめんね。ごめんねアルフ。本当にごめんね……」
「料理とか……お母さんの……上手くいかなくて……」
「お母さんは料理上手だったものね。頑張って一緒に作りましょう?」
「甘えたら駄目だって……でも、みんなが羨ましくて……」
「いいのよ。一杯甘えていいの。こんなワタシで良ければ……」
「良くは無いけど……気持ち悪いし……でも……お父さん……お父さん……!」
「アルフ……ああ、アルフ……愛しているわ、アルフ……」
ミルドの涙が涸れ果てるまで、ワタシは息子と抱きしめ合う。そうしてワタシはその日から、ミランダという「親」になった。





